街道をゆく22,23 南蛮のみち(I)(II) 司馬遼太郎 朝日文庫 ★★★★☆
バスクは、日本人にとって意外に馴染み深い場所であった。日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザヴィエルはバスク人であり、要するに、日本における「南蛮文化」の故地の一つはバスクなのである。
もっとも、「バスクには言語以外、何一つ固有の文化はない」。司馬遼太郎もバスク特有のものを探そうとするが、あまり見付からない。やや興醒めである。
日本人が歴史上初めてヨーロッパ人に出会ったときの描写は印象的である。
何ぞその形の異なるや。
と、問うたという。
ポルトガルの女たちの宿命をうたったファド。
声は強靱に、はるかにのびてゆくかと思うと、にわかに鼻音のなかに縮まり、そのうち、水色に色づいたシャボン玉のように丸い詩情がほかほかとうまれ、軽やかに空中に飛翔し、そのことに油断していると、ふたたびたかだかとした烈しさに変り、また胸をかきむしるような悲しみになってゆく。さらには、泣き寝入りする幼女の夢の中でささやくような調子にかわっている、というふうで、聴いているうちに、単なる声ではなくなってくる。そこに女性のゆたかな肉体がひろがり、さまざまに色づく心が戦慄し、ときに凝縮し、不意に肉体がつまさき立って見えざるものへはげしく両腕を振りつづける。歌詞はわからないが、海へ出て行った夫や恋人のまぼろしまで浮かんで来そうである。
芸術である。もっとも、司馬遼太郎が実際に聞いたファドは「拍子ぬけするほど下手だった」。
旅の終わりに、
大陸の果つるところ
大海の始まるところ
ポルトガルのサグレス岬を訪れる場面は美しい。(08/05/21 読了)