読書日記 2012年

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「反原発」の不都合な真実 藤沢数希 新潮新書 ★★☆☆☆

「不都合な真実」などというセンセーショナルなタイトルをつけているが、目新しいことは何一つ書かれていない。フクシマの事故が起きる前の、原発推進論者のロジックそのものである。かつて原子力は、「夢のエネルギー」と考えられていた。カネをばらまいて原発を建て、地域の産業を破壊するという構造的問題は昔からあったにせよ、事故が起こらなければ、ほとんどの人は原発には反対しなかったはずだ。というよりむしろ、火力や水力は環境への負荷が大きいので、かつて原子力にはクリーンなイメージがあった。しかし、事故は現実に起こったのである。

「第1章 原子力で命を守りたい」の論理展開は奇怪である。ここでは、「単位エネルギーあたりの原子力発電(の事故や公害)による死者は、火力に比べて3から4桁低い」から、原発は安全だと言っている。しかし、リスクは直接的な死者数だけで比較すべきものではない。何十年もの間、人が住めなくなるという事態が現実に起きているのである。にもかかわらずこの本では、フクシマの事故で被曝して死んだ人はまだ一人もいないという理由で、そのリスクは「0」としてカウントされているのだ。こんなバカな話があるだろうか。

死者数で比較するにしても、その計算にはツッコミどころが多い。本書によれば、ソーラー発電のほうが原子力よりもリスクが高いという。ソーラーパネルを設置するときに転落事故が起きるからなのだそうだ。しかし、原子力のリスクには、フクシマの事故で避難を余儀なくされ、そのために感染症などにかかって亡くなった人は含まれていない。また、低線量の放射線を浴びたときの発癌率の上昇については議論の余地があるにもかかわらず、フクシマの事故で被曝した人の死亡率上昇は無視されている。ウランの採掘や精製過程での被曝のリスクも無視されている。

さらに、計算方法そのものが間違っている。原子力発電の歴史は約50年だから、チェルノブイリでの死者数を50で割って1年あたりの死亡者数を出し、それを現在の発電量で規格化している(P. 25)。しかし、原発の数は年々増えているのだから、リスクも年々増えているはずである。この計算は、例えば原発1基あたり1年あたりのリスクとして計算しないとおかしいのだ。

ただし、繰り返すが、火力や水力は環境への負荷が大きいので、理想の発電方法ではない。それは本書に述べられている通りだ。だから多くの人が自然エネルギーの利用を唱えているわけだが、では自然エネルギーは何がまずいのだろうか?その問いに対する答えは、どこにも書かれていない。「自然エネルギーの不都合な真実」という章(第3章)があるが、現状では自然エネルギーが普及していないことを述べているだけである。(12/06/16読了 13/02/10更新)

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