図説 アジア文字入門 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 編 河出書房新社 ★★★★☆
ビルマ語を勉強してみようと思い立った。その際、巨大なハードルとして聳え立っているのが、視力検査のランドルト環を彷彿とさせる、やたらと丸いビルマ文字である。 実際、リングの上下左右が欠けた4種類の文字が全て存在する:
ပ pa. ဂ ga. ၁ 1(数字) င nga.
欠けのない完全なリングもある。面白いことに、これは「わ」という文字である。
ဝ wa.
ビルマ語には声調が3種類ある。声調によって母音や末子音の記号が変化したりして、覚えるのはすこぶる困難だ。しかし、子音だけならば、それほどでもない。なぜならば、文字の配列が日本語(かさたなはまやらわ)と基本的に同じだからだ。そして、それはなぜかといえば、どちらもサンスクリット語の文字の並びに従っているからである。
インドのお札は、(英語を除いて)16の異なる言語で書かれている。このうち、アラビア文字を使うウルドゥー語とカシミール語を除く14の言語は、9種類の異なる文字で表記されるが、それらはすべて「ブラーフミー系文字」の仲間である。また、ベトナムとマレーシアを除く東南アジア大陸部の国々の公用語も、それぞれが異なるブラーフミー系文字で表記される。インドネシア最大の言語であるジャワ語も、伝統的にブラーフミー系のジャワ文字で表記されてきたのだが、今日では使われなくなってしまったのは残念である。 主なものを西から東へざっくりとまとめてみると、下のようになる。最近、これらのフォントがネットでも使えるようになったのは、多言語主義者にとっては実に喜ばしいことだ。(注:フォントがないと表示されません)
言語 文字 主な使用国 例:こんにちは グジャラート語 グジャラーティー文字 インド નમસ્તે ヒンディー語 デーバナーガリー文字 インド नमस्ते パンジャブ語 グルムキー文字 インド・パキスタン ਸਤਿ ਸ਼੍ਰੀ ਅਕਾਲ カンナダ語 カンナダ文字 インド ನಮಸ್ಕಾರ マラヤーラム語 マラヤーラム文字 インド നമസ്കാരം テルグ語 テルグ文字 インド నమస్కారం タミル語 タミル文字 インド・スリランカ வணக்கம் シンハラ語 シンハラ文字 スリランカ ආයුබෝවන් オリヤー語 オリヤー文字 インド ନମସ୍କର ベンガル語 ベンガル文字 インド・バングラデシュ নমস্কার / আসসালাম আলাইকুম チベット語 チベット文字 チベット བཀྲ་ཤིས༌བདེ༌ལེགས། ビルマ語 ビルマ文字 ミャンマー မင်္ဂလာပါ タイ語 タイ文字 タイ สวัสดี ครับ ラオ語 ラオ文字 ラオス ສະບາຍດີ クメール語 クメール文字 カンボジア ជំរាបសួរ
これらの文字はすべて「ブラーフミー文字」という共通祖先に由来しているが、あまりにも華麗な変化を遂げてしまったため、一覧表を一瞥してもほとんど対応関係が分からない。 しかし、基本となる「しくみ」はすべての文字に受け継がれている。すなわち、ブラーフミー系文字においては、主役は子音であり、その周囲を母音が取り囲んでいるという格好をしている。例えば、ビルマ文字では子音をeとaで両側から挟むことによってoの母音を表す(例:ကော e+k+a → ko)が、これは、タミル文字(கொ)でもタイ文字(โก)でも基本的に同じなのである。だから、どれか一つの文字を覚えてしまえば、二つめ以降はずっと覚えやすくなる・・・はずなのだ。 当然のことながら、それぞれの言語の教科書を繙いてみても、それぞれの文字の説明しか載っていない。その点本書は、説明はやや物足りないものの、ブラーフミー系文字を体系的に扱ってあって目からウロコだった。 それにしても、南アジア・東南アジアの言語は実に多様だ。話者数もヨーロッパの言語をはるかに凌ぎ、地理的にも日本に近いにもかかわらず、なんとも馴染みの薄いものばかりである。
アジアは、文字の宝庫である。本書には、文字資料のきれいな写真がたくさん載っており、ブラーフミー系文字に加えて、アラビア文字と漢字についても紹介してある。 漢字系の文字は、漢字そのものを除くと、現在では日本語のひらがな・カタカナしか生き残っていない。しかしかつては、ベトナム語を表記するチュノム(𡨸喃:チュノムのフォントがある!)や、西夏文字・契丹文字・女真文字といった様々なバリエーションがあった。西夏文字は、数詞ですら恐ろしく複雑な格好をしている。女真文字は、一から二十までを表す文字がそれぞれ存在するところが面白い。(14/11/08読了 14/11/12更新)