Home > マラソンの記録 > 2010年 かすみがうらマラソン

初フルマラソンとなる、かすみがうらマラソンに参戦してきた。

まず、ここ1週間の、ジェットコースターのように急上昇と急下降を繰り返す気候に翻弄され、体調を維持するのが大変だった。そして、花粉症にやられて鼻で呼吸ができないためか、夜に咳がひどくて眠れない状態が数週間続いていた。
本番4日前に、練習とは関係ない局面で、右足の親指の付け根に打撲傷を負った。
ほっとけば1日で治ると思っていたが、違和感が取れないので翌日に整骨院に行ったら、「3日後にフルマラソンはきついんじゃないですかね~」と言われ、自分の阿呆さ加減に泣きたくなる。それからずっと、患部をアイシングし、湿布を貼り続けていたら、脚が痺れて全く力が入らなくなった。土曜日に、近所の公園を恐る恐る走ってみたら、わずか1キロ走っただけで母指球の付け根に違和感が出たのでやめた。

こうして、レース当日を迎えた。
季節外れの雪も止んで、前日までの極寒とはうって変わって春らしい麗らかな日差し。しかし、フルマラソンを走るにはあまりにも過酷な環境だった。

かすみがうらマラソンの会場は土浦駅から歩いてすぐであり、アクセスは良好。それだけに、フルの参加者は1万6千人もいて、東京マラソン、NAHAマラソンに次ぐマンモス大会である。
従って、混雑ぶりも凄まじい。10時スタートだが、上野6時31分発の常磐線に乗ったのに座ることができなかった。脚に違和感を感じたまま1時間立ち続けるのは辛い。駅のトイレで30分以上待たされ、広大な会場で荷物を預け、プログラムをもらって、準備運動とウォームアップをしてもう一度トイレに行ったら、もうスタート時間だった。

で、結論から言うと・・・、惨敗だった。
走り出す前から既に違和感があったので、これでは完走も覚束ないと思っていた。しかしいざ走り出してみると、最初はいつ痛みが来るかと思ってビクビクしていたのだが、実際には、問題は別の所にあった。

ゆっくり走っていると、色んな所の痛みが気になる。ある程度の速さで走った方がテンションが上がる。それで、最初からサブフォーペースで飛ばす展開になってしまった。
スタート時のロスタイムは4分程度。じきに、頭にキティちゃんの風船を乗せた、5時間のペースランナーを捉える。やがて、ミニーちゃんの風船を乗せた4時間半のペースランナーも追い越す。
やがて、足の違和感のことは忘れた。16キロ地点付近に長大な上り坂があるが、快調にクリア。20キロ地点まではあっという間だった。

20キロを越すと、周囲のペースが明らかに落ち始める。心肺停止状態に陥り、AEDのお世話になっている人もいた。あの人は大丈夫だったのだろうか?やがて、私の脚にも明らかに異変が起き始めた。それでも、25キロ地点までは、ギリギリサブフォーペースを維持していた。
が、そのあと急速に脚が重くなり、27キロを過ぎたあたりで足が攣りそうになる。その後、エイドで立ち止まったときに、早くも気持ちが折れてしまった。これが30キロレースなら頑張れるが、まだ全行程の3分の1が残っている。これではとてもゴールまで走り続けられそうにない。
マラソンは、走る競技であって、歩く競技ではない。そんなことは分かっている。苦しいに決まっているのだから、苦しまなければ意味がない。でも、あっさりと自分に負け、早くも歩いてしまう。

30キロ地点を過ぎてから一旦復活し、気を取り直してゆっくり走り始める。とにかく35キロまでは走ろう。そう、30キロを過ぎてからが、本当のフルマラソンなのだ。
30キロを過ぎるとエイドの頻度が上がり、内容も充実してくる。エイドごとに休憩して、チョコパンや梅干しやレモンを囓り、水をがぶ飲みしながら少しづつ前進する。私設エイドと、沿道の応援が心に沁みる。
こうして36キロ地点まで到達する。またとぼとぼ歩いてから、走り出して少しすると太股が激しく攣った。こうして、走る→足が攣る→歩くのサイクルを繰り返すが、次第に走り出してから足が攣るまでの時間が短くなっていった。周囲には、同じように足が攣った人が続出している。
やがて、後ろから大集団がやってきたかと思うと、4時間半のペースランナーに抜かされた。その集団について行こうとするが、もう粘れなかった。

一旦足が攣ると暫く復帰できないので、走るのを諦めて早足で歩くことにする。こうして、40キロ地点を通過し、41キロ地点も通過する。
残り1キロを切ったところで声援を受け、また走り出す。が、瞬時に足が攣る。角を曲がると、突然視界にゴールゲートが飛び込んでくる。そこから猛然とダッシュ。フルマラソンの最初の42キロは、最後の195メートルのためにあるのだ!
ゴールゲートをくぐると同時に両足が痙攣して、その場に倒れ込む。係員が2人救助に駆けつける。暫く立ち上がることもできなかった。

こうして、半年にわたるフルマラソンへの挑戦は、ほろ苦い結果に終わった。でも、これが今の実力なのだろう。

あまり大きな声では言えないが、タイムは
グロス 4時間40分54秒
ネット 4時間36分47秒
総合順位 6542位/13955人中 種目順位(30代男子) 1572位/3440人中

ラップは、
0~10km 1時間02分06秒(ロスタイム4分07秒含む)
10~20km 57分03秒
20~30km 1時間05分06秒
30~40km 1時間18分56秒
ハーフ 2時間05分10秒

だった。サブ4.5は行けると思っていたが、甘かった。

敗因は、
①膝の故障が怖くて、調整期に練習量を減らしすぎた
②普段夜にばかり走っていたので、暑さに対する抵抗がなかった
あとは、給水はちゃんとやっているつもりだったが、それでも軽い脱水症状を起こしていたようだった。

しかし、何と言っても、絶対的な練習量が足りなかった。月間走行距離が120キロ程度では、サブフォーはとてもムリだ。
そして、3月、4月は花粉症に苦しめられるし、暑すぎてフルを走るにはいい時期ではない。来シーズンは、1月の大会に照準を合わせようと思う。

まぁ、当分の間は、週1でチョロッと走るくらいにして、これからは山に籠もるとしよう。

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