Home > マラソンの記録 > 2013年 つくばマラソン

グロス 4時間37分51秒
ネット 4時間36分18秒
総合順位 6454 / 8870

Start 0:01:33
5km 0:30:25 0:28:52
10km 0:58:52 0:28:27
15km 1:27:34 0:28:42
20km 1:54:32 0:26:58
ハーフ 2:00:34
25km 2:22:47 0:28:15
30km 2:54:08 0:31:21
35km 3:28:42 0:34:34
40km 4:17:43 0:49:01
Finish 4:37:51 0:20:08

2年前のつくばマラソンで(ネットで)3時間39分55秒という好記録を打ち立てて以来、もうこの記録は一生抜けないのではないかという気分に陥ってしまい、ランに対するモチベーションがすっかり低下してしまった。
しかし、4月に移籍したT大の研究室の若者(院生)に、走る人がたくさんいたため、うっかりつくばマラソンにエントリーしてしまったのだった。

けれども、月間走行距離は50km程度と低迷。ロング走も最長28.5km止まりだった。感染症に罹ったり、風邪を引いたりして、周期的に走れなくなった。11月前半の大事な時期に風邪をこじらせ、3週間近くもの間、1ミリも走れなかった。初マラソンの時よりもずっと少ない練習量で本番に臨むことになった。
とはいえ、参加自体が危ぶまれていたので、当日スタートラインに立てただけでも目的の半分は達成したようなものだった。2年ぶりにマラソンのレースに戻ってきたのだ。
雲一つない快晴だった。

特に目標タイムは設定しなかった。この練習量では、サブ4(4時間切り)は無理であろうことは自分が一番分かっていた。
エントリーするときの予想タイムを3時間29分59秒にしたため、かなり前方からのスタートとなった。
最初の5kmは、30分以上はかけるつもりだった。ところが、周囲のペースに流されてしまい、抑えて走ったつもりでも、5kmの通過は28’52”だった。これでは速すぎる!
しかし、それから15kmの通過まで、予想外に美しくサブ4ペースを刻んでしまった。そのため、もしかすると4時間を切れるのではないかという欲が出てきた。
15kmを少し過ぎたところで、頭に風船を付け、大集団を引き連れた4時間のペースランナーが後方からやって来た。
ここらで少し貯金を作ろうなどと思ってしまい、調子に乗ってペースアップした。この辺りは、折り返してきたガチランナーの走りを擦れ違いざまに眺めることができ、自然とテンションも上がった。

しかし、20kmを過ぎると早くも足が重くなってきた。直近の1ヶ月で最長15kmしか走っていないのだから無理もない。やがて再び、4時間のペースランナーに追いつかれた。
25km地点を通過した頃、軽く過呼吸になりそうになった。そこで、目標を下方修正して、ともかく歩かずにゴールすることに切り替えた。それでも4時間15分以内にはゴールできるだろうと踏んでいた。
ところが、30kmを過ぎると、右足のふくらはぎと太股、左足のふくらはぎと太股という具合に、ローテーション的に攣り始めた。ピキッとくるたびに、立ち止まってストレッチをしながら、だましだまし走っていった。
次第に、1kmごとの間隔が長くなっていく。

39km地点、両足のふくらはぎが同時に激しく痙攣し、コース上に倒れ込んでしまった。激痛のため、まったく身動きができない。
自分もつらいはずなのに、通りすがりのランナーさんが何人もやってきて、かかとを伸ばしてくれたり、梅干しを恵んでくれたりした。涙が出そうになった。
やがて、救助隊が駆けつけてきた。救護車に収容されそうになったが、拒否した。
やっと少し動けるようになったので、別の通りすがりのランナーさんに肩を貸してもらい、路肩へと移動した。
しばらくそこに佇んで、通り過ぎてゆくランナーたちを眺めていた。どれほどの時間が経ったのか分からないが、ようやく立ち上がれるようになった。ゴールはすぐそこなのに、少しでも足を曲げると攣ってしまう。這うようにして少しずつ前進するしかなかった。
残り数百メートルで、石原良純に抜かされた。
ラスト、左折すれば栄光のゴールゲートが見える。しかし、それでもなお、走ることはできなかった。

思えば、初マラソンのときも、足が攣りまくってしまい、どうにもならなかった。あのときと同じようなパターンだ。なんとか自己ワーストは免れたものの、2年前の自分に1時間近くも水をあけられてしまった。
これを機に引退も考えたが、研究室の若者たちに軒並み破れたのが悔しいので、まだ走り続けなければならない・・・らしい。

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