Home > マラソンの記録 > 2015年 古河はなももマラソン

グロス:3時間54分33秒(2918位)
ネット:3時間52分09秒

Start 0:02:24
5km 0:30:08 0:27:44
10km 0:57:29 0:27:21
15km 1:24:18 0:26:49
20km 1:51:26 0:27:08
ハーフ 1:57:25
25km 2:19:15 0:27:49
30km 2:46:50 0:27:35
35km 3:14:31 0:27:41
40km 3:43:06 0:28:35
Finish 3:54:33 0:11:27

8回目のフルマラソンは、何となく走って何となく終わってしまった。平板な、のっぺりとしたレース展開だった。これほどドラマの起きなかったレースは初めてかもしれない。
タイム的には今季のベストなのでそんなに悪くもないのかもしれないが、一緒に走った皆さんの頑張りを見て、自分ももっと頑張れたのではないかというモヤモヤした気分に陥った。(しかも、昔の記録を見てみたら、あと2秒早ければサードベストの記録だった!)
11人で参加したが、自己ベスト5人(うち初サブスリー1人、初サブ3.5 1人)、寝坊によるDNS 1人、寝過ごしによるDNS 1人という結果だった。

毎度のことながらレース直前に体調を崩した。しかし、これまでレース直前に体調が悪くならなかった試しがないし、自己ベストを出した時も2日前に風邪を引いて発熱しているので、体調が悪いのは言い訳にならない。
3週間前の30キロ走で腰を痛め、花粉症による喉痛からの喘息に苦しめられた。3週間前までの目標は3時間50分切りだったのだが、いつしか目標は大幅に下方修正されて、「スタートラインに立つこと」になった。
しかしそれにしても、3月のレースは花粉の襲撃がツラい。こればっかりは自力ではどうにもならないので、もう3月のレースは二度と出ないと心に誓った。

*****

私のご先祖様は古河藩の出身なので、前泊して観光したかったところだが、古河には宿泊施設がほとんど存在しないらしく、日帰りせざるを得なかった。
前日は、4時間ほどしか眠れなかった。宇都宮線で爆睡しようと思ったが、座れなかったためそれも叶わなかった。

古河駅からバス乗り場までが無駄に遠く、そこからシャトルバスに乗らなければならなかったため会場は思いのほか遠かった。
荷物を体育館の中にある有料のコインロッカーに預けなければならなかったが、そのロッカー代が400円でかつ百円玉しか受け付けず、両替の列に並ぶのに15分くらいかかった。それから空いているロッカーを探すのに更に10分かかり、人でごった返す体育館から脱出するのにこれまた10分以上かかった。しかも、靴に計測チップを取り付けるための紐を紛失したため、受付にもらいに行った。あわやスタートに間に合わないかと思ってやきもきしたが、ギリギリ間に合った。

天気は暑すぎず寒すぎず、走りやすいコンディションだった。長袖シャツ1枚でちょうど良かった。終始曇っていて、絶好のマラソン日和であった。花粉の襲撃さえなければ──。
コースは平坦でほとんど起伏がなかった。まるでナスカの地上絵みたいなコースで、折り返しが5ヶ所もあった。
スタートしてしばらくすると対面走行になり、やがて前方から時計付きの先導車と白バイがやってきた。トップランナーの走りを見ていると惚れ惚れする。しかし、まだスタート直後で混み合っているのに、道が細くて走りにくい。
最初の10キロはキロ5分半で行こうと思っていたので、まずは予定通りのペース。しかし、ここから先、どのくらいのペースで行くかは何も考えていなかった。
10キロ過ぎに再び対面走行になる。先頭集団の直後に○ーリーを発見し、ハイタッチ。相対速度の2乗に比例する激しい衝撃が手に加わる。これでテンションが上がり、自然にペースが上がる。10〜15キロ区間が唯一の26分台。しかし、気持ちよく走れたのはこの区間だけだった・・・。
折り返し点に向かうとき、対向車線には自分より速いランナーが走っている。逆に、折り返し点を超えると、対向車線にいるのは自分より遅いランナーだ。これほどまでに違うものかと言うくらい、時間帯によってランナーの体型も走り方も歴然と違うのが面白い。

20キロを過ぎると、右足のふくらはぎに張り感を覚える。前日に整骨院に行き、腰と左足にラジオ波(?)を使った新兵器によるマッサージを受けた。そのため左足が異常に軽いが、右足とのバランスが悪くなったのかもしれない。
やがて、寝不足のため頭がフラフラしてくる。また、喘息のため気管支がゼーゼー言うが、たまに咳き込んでその瞬間にふくらはぎがピキッとなる。しかし、芍薬甘草湯の効果か、脚は最後まで問題なかった。さらに、花粉の襲撃により、鼻水が絶え間なく流れる。
内臓の調子が思わしくない。次第に周囲を見渡す余裕がなくなり、足元を見つめて一定のリズムで走り続ける。つくばや勝田に比べ、エイドが少なかったように思う。パワージェルを3個持っていたので、30キロ地点を通過した記念にまず1発目を投入する。
あと皇居2周なら楽勝じゃないかと思うが、心拍が上がりすぎるのが怖くていまいち追い込めず、ペースが上がらない。腰を落とさないように気をつけて、淡々と走る。30キロを過ぎてからがマラソンだ、ここで頑張らなくていつ頑張るのだと言い聞かせるが、たいして頑張らなかった。
35キロを過ぎて2発目のパワージェルを投入。39キロで3発目を投入。
そんなにペースは落ちていないつもりだったが、35〜40キロ区間は28分台に後退してしまった。
40キロ地点で初めて時間を確認すると、すでに3時間50分は切れそうにない。残り2キロになってもなお、前回の勝田での残り500メートルにおける過呼吸(不整脈?)の悪夢が蘇ってきてしまい、ペースを上げることができない。競技場に入ってゴールゲートを目視してからようやくスパートし、グラウンドでゴボウ抜きしてゴール。いつもはゴールと同時に倒れ込むところだが、今回は余裕をかまして、コースに向かって一礼。あんまり疲れなかったな・・・。

まるでペース走みたいだったが、最後までペースもテンションも上がらないまま、追い込めずに終わってしまった。
やはり、リスクを冒して前半から突っ込み、35キロを過ぎたら意識が朦朧とした状態で走るくらいでないと、記録は望めない。

皆さんの素晴らしい走りに触発されて、私もそろそろ4年前に出した自己ベスト(3:39’55”)を更新したくなった。しかしそのためには、かなり気合いの入った練習を積む必要がある。
毎回調整に失敗するので、来シーズンは戦略を変えようと思う。統計的に言って、フルマラソンを走った2週間後に最も体調が良くなる。そこで、11月のつくばを筆頭に、2週間に一度フルマラソンに出場する(その代わりロング走はやらない)という川内君方式・短期集中型で行くのだ。故障したら一巻の終わりだが・・・。

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