Home > マラソンの記録 > 2019年 古河はなももマラソン

公式記録   4:41:04
ネットタイム 4:37:37

Start 0:03:27      (4620位)
5km 0:32:38  0:29:11 (5076位)
10km 1:02:00  0:29:22 (5551位)
15km 1:30:41 0:28:41 (5607位)
20km 2:00:00 0:29:19 (5550位)
Half 2:06:24      (5504位)
25km 2:29:45  0:29:45 (5295位)
30km 3:01:07 0:31:22 (5084位)
35km 3:40:36 0:39:29 (5145位)
40km 4:27:59 0:47:23 (5451位)
Finish 4:41:04 0:13:05 (5332位)

走り続けていると、少しずつ走れるようになってくるのである。
本番4週間前に皇居6週30km走を決行したところ、29’52”-29’30”-29’38”-29’50”-29’39”-29’38”という感動的に美しいラップを刻んでしまった。 これは久しぶりに行けるかもしれない、という手応えがあった。
だが、調子が良かったのはそこまでだった。その翌週、サブ4ペースで皇居を4周したところ、左足親指の種子骨を痛めた。トシのせいか、ちょっと頑張るとたちまちこのザマなのである。
それから2週間1ミリも走れず、本番1週間前にようやく、足の裏にテーピングをして恐る恐る走れるようになった。
本番3日前に風邪を引き、前夜にパブロンを飲んで、レース当日を迎えた。

当日は予報に反して恐ろしいほどに晴れ渡り、今シーズン最凶の花粉が飛散した。
前日、小山のビジネスホテルに泊まったので、余裕をもって現地入りしたはずだった。しかし、スタート40分前に荷物を預けに行ったら、すでにすべてのロッカーが占拠されていた。参加者の数に対して、ロッカーの数がまったく足りていないのである。
さらに、荷物預かりの入り口が一つしかなく、長蛇の列だった。今から並んでいるとスタートに間に合わなくなりそうだったので、貴重品を鞄の中に入れて路上に放置したまま出走する羽目になった。

* * * * *

スタート時からジリジリと日が照りつけ、半袖シャツ一枚でも暑かった。
すぐに喉の渇きを感じたが、7km地点まで給水がなかった。前半のエイドが少なすぎると思った。
コースは、2次構造のたくさんあるRNAみたいだった。向こう側からランナーがやってくるので、知人を探していると退屈しない。
とりわけ、先頭とすれ違うとテンションが上がるのだ。
そのため、15〜20kmで無駄にペースが上がってしまった。

ハーフを過ぎてもまだ脚に余裕があったので、これは行けるのかも?と思った。
しかし、次第に序盤の暑さが応えてきた。頭がぼーっとして、フラフラと蛇行しはじめた。
30kmは練習で走っているのだから、せめてそこまでは頑張ろうと思った。

25〜30kmのラップは、31分台に落ち込んでいた。練習に負けた。
ここで気持ちが折れてしまった。
ここから先、失速するのは目に見えている。いくら頑張って走っても、せいぜい4時間20分台が関の山だろう・・・。
これまでのレースなら、失速したなりに頑張って走っていた。だが今回は、ここで頑張ることの意味が見いだせなかった。
ペースはキロ8近くにまで一気に落ち込んだ。

35kmを通過。もう歩くペースとほとんどかわらない。それなら歩いたって一緒じゃないか。
そう思って、走るのをやめて、トボトボと歩き始める。しかし、この状態で歩くと、普通よりもはるかに遅いペースでしか歩けないのである。
ペースはキロ9〜10にまで落ちた。
1キロが長い。どんどん抜かされる。みんなよく走るよなぁ・・・。
こうなったら逆に、意地でも走らないぞ、と思う。
よく「マラソンの意味がわからない」と言われる。今回、16回目のフルマラソンにしてついに、「マラソンの意味がわからない」ということの意味がわかった。
日が翳り、汗が冷めて身体が冷え、ぶるぶる震えてきた。大迫のように棄権しようかという考えが頭をもたげた。

39kmを過ぎてしばらくすると、突如、あと3キロちょっとじゃないか・・・ということに気づいた。
そろそろと走りはじめる。脚は、攣りそうで攣らない。意外に走れるぞ。
40kmを通過。さらに加速する。
キロ6で爆走。水を得た魚のように、どんどん抜かす。
ラスト2.195kmで120人をゴボウ抜きし、競技場を半周したのち、ゴールになだれ込んだ。

自己ワースト2位の記録だった。初マラソンの自分にも50秒負けた。
前回のつくばよりもずっと疲れた。予想よりもダメージが大きかった。
でも、意外なことに、これだけ歩いたのに、中間点よりもゴールのほうが順位が上がっていた。

翌朝、起き上がることができなかった。
今回、
1. 風邪を引いたらフルマラソンを走ってはいけない
2. フルマラソンの翌日に出張を入れてはいけない
という教訓を得た。

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