Home > めもらんだむ > 素数の分布とリーマン仮説に関する覚え書
素数というのは、1とその数自身でしか割り切れない数のことである。あらゆる数は素数の積として一意的に表されるから、いわば素数は数の世界を構成する元素のようなものである。
素数の列、2,3,5,7,11,13,17,19,23,29... を眺めてみると、素数の分布は実に気まぐれで、次の素数がいつ現れるのか一向に予測がつかないように見える。しかし大数学者ガウス(Carl Friedrich Gauss, 1777-1855)は、何万という素数を集めてきて統計的に眺めてみることよって、N 以下の素数の数(π(N) で表す)が大体 N/logN で表されることに気がついた。
素数に潜む神秘に誰よりも近づいたのは、ガウスと同じドイツはGöttingenの数学者、リーマン(Bernard Riemann, 1826-66)であった。彼は、ゼータ関数
ζ(x) = 1/1x + 1/2x + 1/3x + ...
を複素数の世界に拡張することを試みていた。
この関数は x の実数部が1より小さいと発散するが、うまい具合に全複素平面上に解析接続することができる。拡張されたこの関数に -2n(n は自然数)とかいう値を代入すると結果はゼロになる。
ところが、それ以外にも
x = 1/2 + 14.1347251417 i
なんていう値を代入しても、やはりゼロになるのだ。こういうのは他にも沢山あって、これらを自明でない零点(non-trivial zeros)と呼ぶ(自明な零点は、さっきの -2n である)。
一見すると素数とは何の関係もない関数の中に整数論的な性質が潜んでいる訳は、ゼータ関数はまた
ζ(x) = (1 + 1/2x + 1/22x + ... ) × (1 + 1/3x + 1/32x + ... ) × ..... × (1 + 1/px + 1/p2x + ... ) × .....
(p は素数)とも書けるからだ。
リーマンが見つけたのは次のようなことである。まず彼は、ガウスが見つけた π(N) を与える公式を精密化することに成功した。例えば π(1020) の実際の値は
2220819602560918840
であるのに対し、リーマンの公式による予想値は
2220819602554192896
だから、この公式は既に恐ろしく精密である。
ところが、この誤差をさらに補正することができるのだ。その鍵は、ゼータ関数の自明でない零点が握っている。
自明でない零点の一つ一つにある種の波が対応していて、その波をリーマンの見つけた π(N) の近似値を与える公式に無限に足し合わせていくと、厳密に π(N) を与える関数が出現するのだ!それは、フーリエ解析でサイン・カーブを無限に重ね合わせていくと矩形波が現れるというのと少し似ている。しかし、π(N) は素数のところで不連続に値が1増える階段状の関数であることを思えば、フーリエ解析よりずっと劇的で、遙かに神秘的である。
ゼータ関数の自明でない零点は全て実数部が1/2の直線上に並んでいる、というのが有名なリーマン仮説(Riemann hypothesis)である。零点の実数部の大きさは重ね合わせられる波の振幅に対応する(虚数部の大きさは波の振動数に対応する)から、零点が全て1/2の直線上に並んでいるということは、どの波も素数の分布に対して同じ大きさの寄与をするということだ。リーマン仮説が成り立てば、素数のふるまいは素直であり、例えば π(10100) の値は
4.361971987140703159099509113229164611538757211... × 1097
という具合に、なんと50ケタ近い精度で予測することができる(もしリーマン仮説が成り立たなければ、2ケタめまでしか予想できない)。
ゼータ関数の零点を一つの音だと思おう。リーマン仮説が成り立つということはつまり、ゼータ関数の零点たちによる素数のオーケストラが、美しい和音を奏でるということなのだ!
リーマンの1859年の論文は、物理学でいう1905年のアインシュタインの論文のように、パラダイム・シフトをもたらした画期的なものだったようだ。
その後1896年に、ゼータ関数の自明でない零点の実数部は全て0より大きく1より小さいことが証明され、このことによって上で述べたガウスの予想(conjecture)は「素数定理」と呼ばれるようになった。
1900年、数学界の「ハメルンの笛吹き(Pied Piper)」、ヒルベルト(David Hilbert, 1862-1943)は、20世紀の数学の進むべき道として23の未解決問題を提示した。その中の8番めに登場したのがリーマン仮説である。
それから100年の歳月を経て、リーマン仮説は今なお数学界最大の未解決問題である。2000年、ヒルベルトをパクってクレイ数学研究所が提出した7問の未解決問題の第1問目は、またもやリーマン仮説だった。今回は100万ドルの懸賞金まで掛けられている。
時代は下って、Hardy、Siegel、Selberg、Erdösなどが登場してくると、次第に抽象的に、ますます難解になってくる。
リーマンの死後、彼の熱心すぎる家政婦は、彼が遺したメモのほとんどを燃やしてしまった。凄いのは、その難を辛くも逃れたごちゃごちゃした計算の中から、シーゲル(Carl Ludwig Siegel, 1896-1981)がゼータ関数の零点を計算する公式を見つけだしたことだ。二人の生きた時代は全く違うのに、その公式は「Riemann-Siegelの公式」と呼ばれている。死後65年の歳月を経てなおリーマンは先頭を走っていた訳で、まったく宇宙人みたいな奴である。
コンピューターが登場してしばらくすると、崇高な素数もRSA暗号とかいう形で薄汚れたビジネスの世界に利用されるようになる。しかし、100ケタ以上もあるような巨大素数を素因数分解するテクニックなんてのが最近色々と考え出されているようだが、そんなのはリーマンの垣間見た神秘に比べれば、全く取るに足らないものだ。なるほど、コンピュータの登場によって、「数学は死んだ」のかもしれない。
現在では、ゼータ関数の最初の1020個の零点は、実際に実数部が1/2の直線上に並んでいることが確かめられている。(03/06/20)
【参考文献】
1. "The Music of the Primes" by Marcus du Sautoy
2. "Mathematica in Action" by Stan Wagon