Home > 世界中の山に登りたい! > マレーシア/ボルネオ島最高峰 キナバル山
旅の日程
今回の旅の日程は、以下の通りである。
2/28夜中 羽田発
3/1 → KL(クアラルンプール)→ コタキナバル (Air Asia)、コタキナバル泊
3/2-3 キナバル山ツアー → コタキナバル泊
3/4 コタキナバル泊
3/5 コタキナバル → KL → ジョグジャ (Air Asia) → ソロ泊
3/6 ソロ → ラウ山
3/7 ラウ山(敗退)→ ジョグジャ泊
3/8 ジョグジャ泊
3/9 ジョグジャ → ジャカルタ (Air Asia)、ジャカルタ泊
3/10-11 ジャカルタ泊
3/12 ジャカルタ → パダン (Lion Air) → Kersik Tuo (bus)、Kersik Tuo泊
3/13-14 クリンチ山ツアー → Kersik Tuo泊
3/15 Kersik Tuo → パダン泊
3/16 パダン → KL → 羽田 (Air Asia)
16泊17日というと長いようだが、実際にはあっという間だった。まるでジェットコースターに乗っているような、実に濃厚な日々だった。
ほとんど日本人には会わなかった。キナバル山やボロブドゥールなどの超有名な観光地では、多少は日本人も見かけたけれども、スマトラ島では皆無だった。
やはり、日本人は旅をしなくなったのだろうか。
でも、それも仕方のないことなのかもしれない。ヨーロッパ人ならば、短くても3週間くらい、長ければ半年もの間、仕事を続けたまま旅をすることができる。でも日本は、有給という制度はあっても、事実上それを行使できないという、実にフシギな国なのだから。
エア・アジア
移動には飛行機を使いまくったが、エア・アジアはとにかく安い。羽田〜コタキナバル(KL経由)が2万円ちょっと、ジョグジャ〜ジャカルタだと3千円程度である。
実際には、荷物を預けるのにお金がかかり、チケットの申し込み手数料もかかったりするが、それでも驚くほど安い。
問題は、遅延が多いことだ。
実際、コタキナバル→KL便がキャンセルになった。交渉の末、次の便に乗れることになったものの、KL→ジョグジャ便は1日2便しかないので、ソロ到着が夜になってしまった。
この計画は、もともとジャワ島中部がタイトだった。この遅延によって1日近くが失われ、その結果、それ以降のスケジュールにしわ寄せが来て、結果的にラウ山に登頂できずに終わってしまった。
LCCは、仕事には使わない方が無難だろう。でも、それ以外は大きな問題は起きなかった。
食事や機内のエンターテイメントがないことは、全く問題ではない。むしろ座席の前のティスプレイなんて要らない。食事は機内で、500円程度で買える。
ただ、座席は確かに狭かった。座席指定にも料金がかかる(羽田→KLだと1500円)ので、それをケチって自由席にしたところ、必ず窓側の狭い席に押し込められることになった。
でも、そういう負の要因を差し引いても、コストパフォーマンス的に言って、LCCは実に素晴らしいのだ。昔に比べると、随分と海外旅行をしやすくなったものだと思う。
キナバル山(Gunung Kinabalu, 4,095m)は、海外登山を志す日本人が、まず初めに登ろうとする山である。4,000mを超す高度がありながら、登山道や宿泊施設はとても良く整備されており、普通の体力のある人なら誰でも、安全・快適に登ることができる。
それでいて、直行便ならコタキナバルまで6時間、市内から登山口まで車で2時間というアクセスの良さ。
またキナバル山は、マレーシアの最高峰であり、グリーンランド、ニューギニアに次いで世界で3番目に大きい島、ボルネオ島の最高峰でもある。そして、プロミネンス(顕度)でいえば、地球上で第20位にランクされるという、堂々たる世界の名山なのである。
ちなみに、キナバル山はしばしば「東南アジア最高峰」と言われるが、これは正しくない。実際には、ミャンマーにもっとずっと高い山がある。ミャンマーの最高峰は、中国・インドとの国境付近に聳える、「幻の山」カカボラジ(Hkakabo Razi, 5,881m)である。
それから、ニューギニア島をアジアに含めていいかどうかは微妙だが、インドネシア領イリアン・ジャヤには、4,884mのプンチャック・ジャヤ(Puncak Jaya)が聳えている。
キナバル山の登り方
そんなキナバル山には、世界中から観光客が押し寄せる。しかし、環境保全のため、入山者の数は厳しく制限されている。
だから、キナバル山登頂に際して最大の関門は、宿の確保である。航空券を購入するよりも前に、まず山小屋を押さえなければならない。
また、ガイドと一緒に登ることが義務づけられている。
そういうわけで、山小屋に直接連絡して、自力で予約を取ることも不可能ではないだろうが、基本的には旅行代理店に頼むのが無難だろう。
私は、AMAZING BORNEO Tours という会社に頼んだ。
2ヶ月前に問い合わせたところ、すでに予約が一杯だった。でも、Via Ferrata付きなら取れるという。
Via Ferrataというのはイタリア語で「鉄の道」という意味で、鋼鉄のケーブルが取り付けられた岩場を下っていくアトラクションのことである。万一滑落しても大丈夫なようにできている。
なぜVia Ferrata付きなら予約が取れるかというと、その管理会社が専用の山小屋(Pendant Hut)を持っていて、そこにはVia Ferrataに申し込んだ人しか泊まれないことになっているからである。
キナバル山に登るルートは、2つある。TimpohonルートとMasilauルートである。
Masilauルートの方が長くてアップダウンが多く、変化に富んでいて面白い。しかし、Via Ferrataをする場合はPendant Hutで説明を聞くことが義務づけられていて、15時までに小屋に到着しなければならない。そのため、Timpohonルートを選択せざるを得なかった。色々と制約が多い山なのだ。
Timpohonルートは、登山口から頂上までたったの8.6kmしかない。これは、トレランをやっている人なら余裕で日帰りできる距離である。そこで、日帰りでキナバル山に登るという選択肢が浮上する。
しかし、これまたトリッキーなことに、国立公園のゲートが7時にならないと開かないのである。また、ルート上に何ヶ所か関門があって、その時間までに到達できないとそこから先には進めないことになっている。(もちろん、山小屋に泊まれば十分に間に合うような時間設定になっている)。
また、早朝はおおむね晴れるけれども、昼近くになると曇が湧きだしてくる。
そのようなわけで、キナバル山は、一泊しないと楽しむことができない仕掛けになっているのだ。
気になる費用であるが、これがべらぼうに高い。2人で申し込んだが、Via Ferrata付きで、税込み1,508リンギット(1リンギット≒30円)。なんと4万円以上もするのだ!
Via Ferrataなしならその半額で済むのだが、まぁ、それしか空いていなかったのだから仕方がない。
なお、この費用には、コタキナバルのホテルからの送迎、入山料、ガイド料、宿泊費と5回分の食事代(1日目のランチとディナー、2日目の朝食2回とランチ)が含まれている。
6時30分、ホテルに迎えの車が来る。他のいくつかのグループと一緒に出発する。
8時に公園本部(Headquater)に着き、ここでガイドと合流した。
ガイドはまだ19歳の少年だった。彼は、あまり英語を話せなかった。登山のあいだ中ずっと、携帯をいじりながら、我々の後ろに影のように着いてくるだけだった。
ちなみにキナバル山のガイドはすべて、この地域の先住民族であるドゥスン(Dusun)の人たちである。このしくみによって、山岳民族である彼らの生活も保障されているわけだ。
Headquaterには売店があり、飲み物やお菓子を買うことができる。ポールの貸し出しも行っている。
登録が済むと、IDカードを渡される。登山中はずっと、それを首からぶら下げていなければならない。
Headquaterから車に乗って、標高1,866mのTimpohonゲートまで移動する。
8時45分、登山開始。
登山道は、ファミリー向けのハイキングコースといった感じである。大勢の人と一緒に、ゾロゾロと登っていく。
500mごとに、標高が書かれた案内板が設置されている。休憩所も山ほどある。
こういう案内板が500mおきにある。5km地点で3000mを越える
今回の旅には、いくつかの不安要因があった。
年末に、床に置いてあった壊れたパソコンに激しく足を打ち付け、右足の小指を骨折した。骨は繋がったものの、そのせいで、ほとんどトレーニングができなかった。
また、バリ島のアグン山にトレランシューズで登ってエライ目に遭ったので、もうちょっとましな軽登山靴を購入した。しかし、靴を履き慣らしておく時間がなかった。
ついでに、デジタル一眼も新調した。新機種が発表される1週間前、底値のNikon D7000を購入したのだ。このカメラを使うのも、今回が初めてだった。
けれども、そういう不安はもう、全て忘れ去っていた。
13時25分、Laban Rata小屋に到着。ここの標高は、3,272mだ。
我々が泊まるPendant Hutは、さらにもう少し登ったところにあった。
小屋は実に快適だった。なんと、シャワーまでついている!ただし、お湯が出ないので、浴びる勇気は出なかった。
15時から、他の宿泊者と一緒に、Via Ferrataの説明を聞いた。キリマンジャロ(5,895m)や、モロッコのツプカル(Toubkal, 4,167m)に登ったことがあるという、初老の日本人男性に会った。
夕食は、Laban Rata小屋まで下りていって食べる。ビュッフェ形式になっていて、実に豪華である。
翻って、我が富士山はどうだろうか、と思う。
ただ、キナバル山は世界的な観光地だけに、ローカルな味わいというものがなくて、なにか無国籍なよそよそしさを感じるのも事実である。
それに、キナバル山が徹底した入山制限を行うことができるのは、この山が熱帯にあって、1年中登ることができるからだ。それに対して富士山は、7月から9月前半の2ヶ月ちょっとしか登れない。その時期に、1年分を稼いでおかなければならないのだ。
千円程度の入山料は徴収すべきだと思う。でも、富士山は、聖も俗も、あらゆるものを抱え込んでなお泰然としていて欲しい、とも思う。環境と観光と文化、この三者を、どう折り合いを付けていくべきか。キナバル山の姿は、富士山をどういう山にしたいのか、我々に問いかけているように思われた。
翌朝、ではなくて夜中の2時に起きる。パンを胃袋に詰め込んでから、2時40分、小屋を出発。
ヘッドライトを頼りに登っていく。とはいえ、登山者が鈴なりになっているし、山頂までロープが張られているので、なんの問題もない。
途中、若干険しいところがあり、ロープをつかんでよじ登る格好になる。そこをクリアすれば、あとはなだらかな岩のスロープが頂上まで続いている。
スロープ上には、屍が累々と、じゃなかった、高山病でへたり込んでいる人が大勢いる。多くの人は、10歩進んでは呼吸を整えるという状態になる。
しかし、私はというと、高度が上がれば上がるほどテンションも上がってきて、楽しくて仕方がないのだ!
一体みんな、何を苦しがっているのだろう?私はまるで、他の生き物を見ているかのようだった。私は、深海に潜った深海魚だった。走り出したい衝動をぐっとこらえていた。
5時15分、頂上に着いた!まだ真っ暗だった。
やっぱり早く着きすぎてしまった。
寒い、寒い、寒い・・・。
岩のくぼみにはまり込んで、ひたすら待つこと1時間。次第に、周囲の状況が判然としてくる。
日の出──。
キナバル山には、最高地点である Low’s peak (4,095m) に加えて、奇妙な形をしたピークがいくつもある。Victoria peak (4,091m)、St. John Peak (4,091m) が朝日を浴びて輝き出す。
Alexander peak (4,003m) の手前には、イイネ!みたいな形をした、その名も Oyayubi peak (3,976m) というのがある。最近、著名な日本人クライマー、平山ユージがこの岩に新ルートを開拓したという。ここから見ると小さく見えるが、実は親指の高さは100mもある。
このピークの名前がなぜ日本語なのか、よく分からない。日本統治時代につけられた名前が、そのまま使われているのかもしれない。
St. John Peak (右、4091m) と South Peak (左、3922m)
Alexander peak (後ろ、4003m) 、Oyayubi peak (手前、3976m) とキナバル山の影
やったね!ガイドさん、M氏と
日が昇って温かくなると、瀕死の状態だった同行のM氏も、すっかり元気を取り戻した。
6時35分、下山開始。奇妙な形の岩を眺めながら、雲上のプロムナードをゆっくりと下っていけばいい。
7時20分、Via Ferrataのチェックポイントに着いた。
しばらく休憩してから、別のガイドと一緒に、Via Ferrataの取り付き地点へ向かう。このガイドもDusunだ。昔はボッカ(荷揚げ)の仕事をやっていたという。収入は今と変わらないが、今の仕事のほうがずっと楽しい、と言っていた。
彼は、サービス精神満点のいいガイドだった。
1時間ほどでvia Ferrataは終わった。
10時05分、Pendant Hutに戻った。2度目の朝食をとり、軽く昼寝をする。
11時30分、下山開始。Laban Rata小屋から少し下った広場で振り返ると、キナバル山が壁のように聳えていた。
ひたすら下っていく。物足りなくなって、最後は走った。
なんだか、あまりにもあっさり登ってしまったような気がした。もっと高い山に登りたい──と思った。
14時05分、ゲートに到着。と同時に、ぽつぽつと雨が降り始めた。
車でHeadquaterに戻った。ここでもまた、ビュッフェ形式の昼食をたらふく食べることができた。
登頂証明書をもらってから、車でホテルに戻った。
まさに、至れり尽くせりの山だ。
──でも、まだ旅は始まったばかりだった。