Home > 世界中の山に登りたい! > 奄美大島最高峰・湯湾岳

今年(2020年)から、年5日間の有給休暇の取得が義務づけられることになった。
お盆の間もずっと家に籠って仕事をしていたため、暮れも押し迫ったクソ忙しいときに休暇を取らざるを得なくなった。せっかくまとまった休みを取るなら、どこにも行かないのもシャクである。
というわけで、奄美大島に行くことにしたのだ。

なぜ奄美大島かって?端的に言えば、安かったからである。
成田発着のPeachが片道5990円(荷物預かり込)。GoToは航空券のみには使えないが、元々この値段設定なのである。
一方、レンタカーはGoToの恩恵にあずかることができて、丸3日借りてなんと7800円。名瀬のビジネスホテルが朝食付きで3000円。それに加えて、色々クーポンがつく。一体どうなっているのだろう。
第二の理由は、そこに琉球文化圏で一番高い山があるからだ。
湯湾岳という。標高694メートル。
だが、行ってみてわかったのだが、奄美は思ったよりもずっと琉球ではなかった。

実際、奄美が琉球王国の支配下にあったのは、わずか150年あまりに過ぎない。それまでの奄美は、按司(あじ)が支配する独自の文化圏だった。
その後、琉球王国滅亡よりも早く、薩摩藩の支配下に入る。
琉球との違いとして、例えば、沖縄にはいたるところにある御嶽(うたき)は奄美にはない。では奄美の宗教は何かというと、なんとキリスト教なのだ。つまり、奄美には、近代までアニミズムしかなかったのである。

カトリック赤尾木教会①

カトリック赤尾木教会②

奄美の言語は、琉球諸語の一つに数えられる奄美語ということになっている。
だが、予想通り、そんなものは誰も喋ってはいなかった。公園でゲートボールに興じるお年寄りの話に耳をそばだててみたが、聞こえるのは標準語ばかりだった。
奄美語(名瀬方言)では「こんにちは」は「うがみんしょーらん」、「ありがとう」は「ありがっさまりょーた」という。「あまみエフエム」というラジオではこの挨拶が使われているが、トーク自体は標準語である。

奄美は大きな島である。
主要四島と北方領土を除くと、沖縄本島、佐渡島に次いで大きい。
だが、面積は沖縄本島の6割ほどもあるにもかかわらず、人口は20分の1しかない。
その理由は、行ってみればわかる。奄美大島は全島山だらけで、平地らしきものがほとんどないのだ。そのため、島内の道路はすべてクネクネした山道であり、隣の集落に通じる道路を作るためにトンネルを穿たなくてはならない有様だ。

奄美十景の一つ、あやまる岬

東シナ海をのぞむ宮古崎

湯湾岳の登り方

湯湾岳(694m)は、奄美のくにを作った神さま、女神アマミコと男神シニレクが降臨したとされる霊山である。
海をのぞむ湯湾岳展望台からハブの生息する山道を登っていくと、1時間ほどで山頂に立つことができる。

この日は午前中に、金作原原生林の散策ツアーに参加した。
しかし、原生林と言っても、かつて車道だった幅の広い平坦な道を少々徘徊し、道路脇の森を眺めるだけである。奄美大島は西表島と共に世界遺産入りを目指しているのだが、ここは西表島のジャングルとは比べるべくもない。
でも、ガイドさんの話は面白かった。
奄美大島は自然の豊かな島だと思われがちだが、実際はそうでもないという。昭和の時代には、森林伐採によって禿げ山だらけだったそうだ。
それに、ハブを退治するという理由で山にマングースを放った結果、生態系が破壊され、固有種のアマミノクロウサギも絶滅寸前になる始末だ。実際には、ハブは夜行性なのに対してマングースは昼行性で、両者が森で遭遇して一線を交えることはあり得ない。信じられないほどお粗末な話だが、昔はそんなことが平然と行われていたのだ。
だがその後、「マングースバスターズ」なる組織が結成され、地道にマングースの駆除を行ってきた結果、まもなく根絶宣言が出せそうだという。

金作原原生林①

金作原原生林②

ガイドさんに湯湾岳登山について聞いてみると、湯湾岳展望台へ至る道路が封鎖されているという情報を得た。なんということだ!危ないところだった。
そのため、急遽予定を変更して、大和村からアクセスせざるを得なくなった。
奄美大島の中心地、名瀬からクネクネ山道を1時間ほど運転し、マテリヤの滝に立ち寄ったのち、駐車場に到着。

マテリヤの滝へと続く道

コバルトブルーの水を湛えるマテリヤの滝

原生林ツアーの時は空はどんよりと曇り、雨もぱらついていたが、駐車場に着く頃には晴れ間も見え、一時的にテンションも上がった。
ここからはボードウォークが整備されている。

ここから湯湾岳に登る

ボードウォーク

木製の階段を登っていくと、あっという間に頂上の神社に着いた。なんとも不思議な空間だった。

頂上にある朽ちた鳥居

頂上にある神社、奄美岳大師御堂。琉球王朝時代に奄美を治めた「與湾大親」の碑もある

「アマミコ・シニレク 二神降臨之靈地」の碑

神社の裏手からは、頼りない山道が上の方へ延びている。少し登ると、三角点があった。ここが奄美最高地点らしい。

山頂へと続く道

ここが奄美大島最高地点。展望なし

山頂の標識を求めてさらに進んで行くと、なぜか湯湾岳ではなく「奄美岳」と書かれた細い棒が立っていた。まさかこれだけ!?あたりをいくら捜索しても、それ以外に標識らしきものはなかった。展望も一切なかった。
ただ、奄美大島の最高点に到達したという記録だけが残った。

「奄美岳」の標識

加計呂麻島へ

翌日、南の古仁屋(こにや)港までドライブして、13時発の海上タクシーで加計呂麻島へ渡った。料金は350円。他に客はいなかった。

海上タクシーで加計呂麻島へ渡る

加計呂麻島には、瀬相(せそう)港と生間(いけんま)港の2つの港がある。
わずか15分ほどで生間港に着いた。
港の周辺には、商店らしきものは一切なかった。誰もいない。途方に暮れながらとぼとぼと歩いて行くと、「レンタカー4時間2000円」という看板が目に入った。破格の安さである。また車を借りることにした。
加計呂麻島は小さな島だが、奄美大島に輪をかけて山がちだった。隣の集落に行くにもひどい山道を運転しなければならない。かつては徒歩の道があったはずだが、もはや廃れてしまったのだろうか。ここには、歩いている人は一人もいない。
島内でコロナ感染者が1人出たらしく、人が集まりそうな施設はすべて閉鎖されていた。瀬相港に行けば何か面白いものがあるかもしれないと思ったが、ひどく時間のかかる山道を運転して辿り着いてみたものの、何もなかった。

於斉のガジュマル①

於斉のガジュマル②

鬱蒼とした森に覆われた小さな祠

瀬相港

ふたたびクネクネ道を辿って生間港に戻った。16時30分発の「フェリーかけろま」で奄美大島に戻った。

フェリーかけろま(古仁屋港にて)

フェリーかけろま時刻表

宅急便もフェリーで運ぶ

加計呂麻島に陽が沈む①

加計呂麻島に陽が沈む①

嘉鉄の集落

その日は、古仁屋港からさらに南下したところにある「ねぷす」という民宿に泊まった。前日にネットで予約したのだが、ここは非常に素晴らしかった。
とても豪華な食事が2食ついて4800円という破格の安さ(GoToのお陰)。歩いてすぐのところにビーチがある。月明かりのため、星はあまり見えなかった。
翌朝、嘉鉄の集落を散策した。静かだ。海が美しい。
旅は、3日滞在すると良さが分かるという。いや、私が勝手にそう思っているだけなのだが、奄美に来て、初めて心を動かされる風景に出会うことができたと思った。

嘉鉄小中学校。生徒は全部で8人という

嘉鉄の集落

嘉鉄のビーチ。誰もいないブランコ

嘉鉄のビーチ②

嘉鉄からさらに南下し、奄美大島最南端にほど近いホノホシ海岸に着いた。風が強い。
誰もいなかった。しかしそこには、白い玉石を並べた「♡AMAMI 12.23」という文字が残されていた。今日の日付だ。ということは、つい今しがたまで人がいたのだろうか。

丸い石(玉石)が敷き詰められたホノホシ海岸

ホノホシ海岸② AMAMI12.23

ホノホシ海岸③ LOVE♡

さらに2時間運転して、空港に戻った。運転ばかりしていた3日間だった。5年分くらい運転した気がする。

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