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鳥海山は、言わずと知れたみちのくの名峰である。
東北エリアの山としては、関東甲信越との境界付近に位置する燧ヶ岳(2356m)に後塵を拝しているものの、日本海から一気にせり上がっているため、その仰ぎ見る高さは北アルプスにも劣らない。プロミネンスでは堂々の日本第9位にランクされ、まさに東北を代表する山といえる (Japan Ultra-prominences)。

こんなことをいうと山形県人に叱られるのかもしれないが、秋田県側からアクセスして秋田県側に下山したので、鳥海山は個人的には秋田の山というイメージがある。
しかし実は、山頂周辺は、すべて山形県の領内にある。地図を見てみると、鳥海山の中腹までは山頂を通る稜線が両県の境界をなしているのに、山頂周辺だけ不自然に山形県が秋田県側に食い込んでいるのだ。

なぜこうなっているのだろうか?
鳥海山は古くから修験道の山として崇められていて、庄内藩と矢島藩の間で山頂の争奪戦が続いていた。江戸幕府に裁決を願い出ることになったが、一万石にも満たない弱小の矢島藩は強大な庄内藩の策謀にまんまとはめられ、庄内側に有利な裁決が下されたというのである (鳥海山の山頂論争)。
ちなみに、秋田県の最高峰は秋田駒ヶ岳(1637m)だが、秋田県の最高地点は鳥海山の中腹にある1775m地点である。

鳥海山への道

梅雨空の東京は、連日、雨が降ったり雹が降ったり、不順な天候が続いた。
久しぶりに、まともな山に登りたかった。週間天気予報を眺めていると、週末に晴れそうなのは、北海道と北東北と奄美しかなかった。それで、思い切って鳥海山に行こうと思った。

問題は、そのアクセスの悪さだった。1泊2日の限られた時間内に、ソロで東京からこの山を攻略するにはどうすればよいだろうか?
近年、路線バスが次々と廃止されているため、車を使わずに山に向かおうすると、登山口までの足をどうやって確保するかが大問題となる。迂闊にタクシーに頼ると、タクシー代だけで優に1万円を越えてしまうのだ。

鳥海山は四方から登山道が通じており、登山口が8箇所もある。
その中で、辛うじてバスの便が残っているのは、まるで使い物にならない湯ノ台口ルートと、象潟口ルートだけだった。(夏季限定で、吹浦口までのバスの便もあるようだ。)象潟駅〜鉾立(象潟口)間のバスは、1日3便しかなく、前日までに予約が必要である。
山中で1泊しようとすると、前夜発になってしまう。そこで、日帰りでこの山を踏破する必要があるが、そのためには、1日目に登山口のすぐ近くまで移動して、翌日の早朝から登り始めなければならない。

地図を睨んでいると、祓川(矢島口)と矢島駅の間に鳥海荘という温泉宿があった。この宿に泊まることにして、駅からの送迎をお願いすれば、タクシー代を浮かすことができる。
大変ありがたいことに、登山当日も、宿のご主人に登山口まで車で送っていただいた。
矢島駅からタクシーで登山口まで行こうものなら、それだけで宿泊費よりも高くついてしまう。それならば、地元の旅館に還元した方がよっぽど良い。
しかも、矢島口ルートならば、比較的短時間でピークに立つことができる。鉾立からの最終バスは16:25発なので、これなら日帰りでも十分に行けそうだった。

矢島駅は、羽越本線の羽後本荘駅を起点とする、由利高原鉄道の終着駅である。
家から羽後本荘までの運賃を調べて愕然とした。1万8千円以上もかかるのだ。
しかし、出発前夜に、新潟回りのルートが存在することに気がついた。こちらの方が、なぜかずっと安いようだった。
ただし、秋田経由の方が、終電が40分だけ遅かった。新潟経由だと象潟発17:29が最終だが、秋田経由だと象潟発18:09で帰れる。
この違いはクリティカルだった。なぜかというと、この40分の違いで、象潟で温泉に入れるかどうかが決まってくるからだ。秋田経由ならば温泉に浸かることができるが、新潟経由だとそんな時間はない。

せっかくなので、往路は秋田経由で行くとしよう。復路も秋田経由にして往復割引を使うのと、東京→秋田→新潟→東京と周回するのと、どのくらい違うのだろうか?

Day 0

08:40 東京駅発(秋田新幹線)
12:30 秋田駅着
15:16 秋田駅発(羽越本線)
16:01 羽後本荘駅着
16:45 羽後本荘駅発(由利高原鉄道)
17:24 矢島駅着

早めに東京駅のみどりの窓口に行って、それぞれのルートでかかる費用を計算してもらった。
意外なことに、周回コースの方が1万円近くも安かった!

こうして、1泊2日で本州の東半分をぐるりと一周するという、テンション高めのプランができあがった。
チケットは全部で5枚ある。合計28390円だった。
乗車券は、「東京→大宮」と「大宮→東京」の2枚に分かれている。ただし、「東京→大宮」なのに、その経由地は「新幹線・盛岡・田沢湖線・奥羽・羽越・白新・新潟・新幹線」なのだ。東北新幹線と上越新幹線は東京〜大宮間が共通しているためこうなったのだが、なかなかマニアックなチケットだ。
羽後本荘〜象潟の3駅分は捨てることになる。

左上の乗車券に注目

こまちの稲穂色のシートに揺られ、どんよりした関東を抜けてみちのくに入ると、やがて空が明るくなってきた。
盛岡を通過すると、突然遅くなった。新幹線なのに、単線の田沢湖線を走るのだ。ひたすら水田が続く。
大曲で奥羽本線に入ると、いきなり逆走を始めた。

やっと秋田に到着した。4時間近くもかかった。実に全く遠かった。
どうも、このルートは相当に遠回りのようである。これなら、山形新幹線を新庄から先に延ばしても時間はさほど変わらず、そしてずっと安くなるのではないかと思った。(実際、東京〜秋田は、福島から奥羽本線経由だと571.7kmだが、秋田新幹線だと662.8kmもあるのだ!)

2時間半ほど、秋田タウンをプチ観光した。秋田タウンは30度超えの酷暑だった。
秋田市民俗芸能伝承館では、たまたま竿灯祭りの実演をやっていた。

竿灯祭りの実演

羽越本線を南下。やがて、日本海が見えてくる。
羽後本荘駅で降り、駅のコンビニで明日の食糧を買い込んで、由利高原鉄道に乗り込む。
そうして、ようやく、終点の矢島駅に着いた。駅前には見事なまでに何もなかった。

由利高原鉄道

矢島駅

15分ほど待って、鳥海荘の人が迎えに来てくれた。
温泉も良く、快適な宿だった。部屋の窓からは、鳥海山がよく見えた。明日も晴れそうだ。狙い通りの展開だった。

Day 1

05:00 鳥海荘発(車)
05:30 矢島口駐車場
05:40 祓川ヒュッテ
07:00 康ケルン
08:40 舎利坂入口
09:15-09:35 七高山山頂
10:15-10:50 新山山頂
11:15-11:45 山頂小屋
11:55 外輪山の稜線
12:20 行者岳
12:35 祠(伏拝岳?)
13:05-13:10 文殊岳
13:35 七五三掛
13:50 御田ヶ原分岐
14:10-14:20 御浜小屋
15:20 展望台
15:35 鉾立
16:20 鉾立発(乗合タクシー)
17:15 ねむの丘(タクシー)
17:29 象潟駅発(特急いなほ)
20:10 新潟駅着
20:19 新潟駅発(上越新幹線)
22:28 上野駅着

朝食は4時からOK。お弁当のおにぎりは3個300円という破格の安さだった。まさに至れり尽くせりだ。
しかも、朝食のあと、宿のご主人に矢島口まで送っていただいた。結構な距離だったから、タクシーで行ったら相当かかりそうだ。非常にありがたい。
祓川ヒュッテに登山届けを提出し、登山開始。

祓川の駐車場より鳥海山

竜ヶ原湿原

竜ヶ原湿原の木道を抜けて登りにさしかかると、いきなり雪渓が現れてびびる。それをクリアしたと思ったのも束の間、またすぐに巨大な雪渓が出現する。結構な急斜面だ。見上げると、先行する学生5人組がアイゼンなしで滑りまくっている。せっかく持ってきたことだし、4本爪の軽アイゼンを装着してみる。
ガシガシと軽快に登っていって、たちまちのうちに学生5人組を追い越す。大雪渓を登り切って、ほっと一息ついてアイゼンを外した。・・・が、歩き始めて5分と経たないうちに、またまた次なる雪渓が現れた!
面倒臭くなったので、そのまま押し切ることにした。なんら問題はなかった。単に、先ほどの学生5人組が異常に雪道に弱いだけのことだったのだ。
次第に気温が上昇していったので、結局、アイゼンを使ったのはその1回だけだった。でも、もしアイスバーンと化していたら、かなり怖いと思う。
ストックはとても重宝した。まるで春山のように照り返しが強烈なので、サングラスもあった方がよい。

いきなり雪渓

またまた雪渓

祓川方面を見下ろす

その後も雪原が延々と続いた。キックステップで登っていくが、体力を消耗する。スキーを装着した人もいる。
もう7月だというのに、雪は数メートルも積もっていようかと思われた。この雪は、一体いつになったら消えるのだろうか?これはもう氷河と呼んでもいいのではないか。

ひたすら雪渓

かなりの積雪だ!

登りはじめてから3時間、舎利坂入口に着く。見上げると、黒い岩の塊がぎらりと光っていた。

七高山を見上げる

チングルマ Geum pentapetalum

高山植物の咲き乱れる、岩でゴロゴロした道を登ってゆくと、七高山(2229m)の頂に躍り出た。
その向こうには、巨大な白い塊が控えていた。まるで人が蟻のようだ。
あれが、鳥海山のピーク、新山だ。あそこに到達するためには、相当に登り返さなければならないように見える。
ここは外輪山の最高峰である。新山と比べると、わずかに7m低いだけだ。

七高山より新山

七高山より稲倉岳(左奥)

七高山山頂!

こっちのピークのほうがはるかに平和だったので、ここでもっとゆっくりしていけば良かった。しかし、はやる気持ちを抑えきれず、鳥海山の最高地点に向けて出発する。

外輪山を少し回り込むと分岐があり、ロープの張られた足場の悪い道を一気に下る。鞍部に降り立つと、小屋へトラバースする道と、直接ピークへと至る道に分かれている。直接ピークに向かうことにする。
この雪の斜面は一見怖そうだが、歩き始めてみると全く問題ない。雪原を登り切って、がらがらした岩が堆積した地点に取り付く。
白い矢印を辿っていくと、そこにはまったく予想もしなかった光景が広がっていた。まるで北アルプスのような、峻険な巨岩が屹立しているのである。これはテンションが上がる!
岩のトンネル、「胎内くぐり」を抜けると、頂上はまもなくだった。

稜線から鞍部へと下る

雪原を登って岩場に取り付く

白い矢印を辿っていく

巨岩累々

胎内くぐり

安産の神様!?

そうして辿り着いた新山頂上は──人が数人立つとすぐ一杯になってしまうような狭い岩の上だった。
狙い澄ましたようにガスが湧き出してきて、山頂に到達したときには何も見えなくなっていた。まぁよくあることだ。
しばらく粘っているとガスが晴れてきて、外輪山が姿を現してきた。
しかし、反対側は相変わらず真っ白だった。わずか12kmしか離れていないはずの日本海は、ついに望むことはできなかった。
山頂でゆっくりしようと思っていたが、ここは、のんびりと昼寝ができるような場所ではなかった。

新山山頂!

新山山頂より七高山方面

大物忌神社に向かう。
しかし、胎内くぐりの手前にあるはずの分岐を見落として、先ほどの雪原に戻ってしまった。大物忌神社の小屋までは目と鼻の先だったが、急斜面のトラバースがちょっと怖かった。
小屋にはたくさんの人がいた。旅館で作ってもらった3個300円のおにぎりを食べ、500円の大枚をはたいてコーラを買った。
予想よりも地味な大物忌神社の鳥居の横に、頂上へと至る道があった。本来はここから下りてくるはずだったのだ。

ここからのルートは、外輪山を行く稜線コースと谷底を行く千蛇谷コースの二手に分かれる。当然ながら、景色の良さそうな稜線コースを選択する。
雪原をもう一度横断して、足場の悪い急坂を登り返すと、外輪山の稜線に躍り出た。
大物忌神社を懐に抱き、北面を雪に覆われた新山を右手に眺めながら、稜線をのんびりと歩く。
行者岳・伏拝岳・文殊岳の3つのピークを越えてゆくが、いずれもピークという感じはしない。
緯度が高いので、森林限界が低い。一面ハイマツの海だ。

外輪山の稜線より新山

ハイマツに覆われた外輪山の稜線

やっと文殊岳に着くと、トレイルランナーの一行が頂上を占拠していた。よくこんな雪と岩だらけの山でトレランなんかするものだと思うが、鉾立から七高山までなら可能かもしれない。

七五三掛(しめかけ)を越えると、再び雪原が現れた。
鳥ノ海は、凍結しているかのようだった。御浜小屋で一休みしてから、象潟口に向かって下ってゆく。石畳のよく整備された道だが、雪原によって幾度も分断される。気温が高いため、靄が一面に立ちこめて、幻想的な光景だ。

再び雪原が現れる

鳥ノ海(鳥海湖)

靄が立ちこめる

豊富な残雪

高度を下げるにつれ、緑が濃くなってくる。突如として、目の前に日本海が現れた!
展望台に着いた。ここからは、「白糸の滝」という、ありふれた名前ながら、見事な滝を望むことができる。
ここまで来れば、もう観光客のテリトリーだ。ほどなく鉾立に着いた。

日本海だ!

展望台より白糸の滝

バスの出発まであと50分だった。予想よりもだいぶ時間がかかってしまった。でも、鉾立にはさして見るべきものもなかったから、却ってちょうど良かった。稲倉山荘でいちごアイスと玉こんにゃくを食べ、水をガブガブ飲んだ。
問題は、どこで風呂に入るかだった。象潟駅から車で5分のところに「ねむの丘」という温泉施設があるようだったが、バスがそこに到着するのは、象潟駅から列車が出発する時刻の14分前なのだ。とすると、実現可能なプランとしては、特急「いなほ」に3時間近くも揺られた挙句、新潟駅近くの銭湯に立ち寄り、しかる後に最終の上越新幹線で帰るしかないように思われた。

出発時刻が近づいてきたので駐車場に行ってみると、どこにもバスの姿が見当たらない。実は、バスとは名ばかりで、ただのタクシーに過ぎなかった。乗客は、私の他にもう一人だけだった。
2人の乗客を乗せ、タクシーは予定よりも早めに出発した。しかも、小回りの利く車体であることが幸いして、バスである場合の予定時刻よりもだいぶ早めに象潟駅に到着した。
こうして奇跡的に、「ねむの丘」に立ち寄る時間が生み出された。実にラッキーだ。わずか20分ほどの滞在だったが、浴場から望む日本海は雄大で素晴らしかった。

すべて順調。
タクシーで象潟駅に戻る。「東の松島、西の象潟」と並び称され、

松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし
寂しさに悲しみをくはへて、地勢魂をなやますに似たり
 象潟や雨に西施がねぶの花

と芭蕉が詠った象潟も、今や見る影もない。

象潟駅

象潟駅より鳥海山

帰りがまた長かった。ようやく家に辿り着いたときには、日付が変わろうとしていた。

鳥海山は、雪あり岩あり花あり、山の楽しさをぎゅっと凝縮させたような、変化に富んだ素晴らしい山だった。1日で踏破してしまうのはモッタイナイくらいだ。東京からあまりにも遠いのが唯一の欠点だが、それはむしろ美点なのかもしれない。願うらくは、もっとゆっくりしたかった・・・。 (14/08/13更新)

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