Home > 世界中の山に登りたい! > 奥穂高岳 上高地〜涸沢〜奥穂高岳(往復)
06:00 家出発
07:03 新宿駅発(中央本線)
10:07 松本駅発(松本電鉄)
10:45 新島々駅発(バス)
13:00-13:10 上高地
14:15-14:30 明神
15:30 徳沢
16:25 横尾山荘(泊)
7月下旬から9月下旬まで2ヶ月間、再びアメリカに行ってくることにした。
それは結構なのだが、ということは、夏山シーズンを丸々失うということである。ずっと憧れてきた穂高に登るには、海の日を含むこの3連休しかない。
渡航を1週間後に控え、荷造りもままならない状況だったが、全てを擲って決行した。その位の気合いがなければ山になんか登れないのだ。
まだ梅雨も明けていなかったし、沢渡付近で土砂崩れが発生し、上高地に入るバスは大幅な迂回を強いられるという状況だった。
しかし、この二つの要因によって、むしろ比較的すいているときに穂高に登頂できたのではないかと思う。しかも、最終日に梅雨が明けたのだ。全ては狙い通りだった。
新宿から松本まで3時間近く、さらに松本電鉄で新島々まで30分。そこから上高地へ至るバスは、クネクネと蛇行するひどい悪路を通り、乗鞍高原やら白骨温泉やらを経由して、渋滞に巻き込まれつつタラタラと走った。
普段なら1時間で着くところが2時間以上もかかった。やはり上高地は遙かに遠かったのだ。
人でごちゃごちゃのバスターミナル周辺を抜け、河童橋を渡り、あえて観光客に混じって木道の敷かれた道を歩く。
1時間ほどで明神池に着くが、有料だし以前見たことがあるので素通りする。
そこから横尾まで2時間、車でも通れそうな幅の広い平坦な道をテクテク歩く。梓川の風景はそれなりに綺麗だが、林道歩きのようで味気ない。でも、このアプローチの長さがいいんだろうな、きっと。
そうして辿り着いた横尾山荘は、山小屋の概念を覆すものだった。内装は旅館のようにピカピカで電灯が煌々とと灯り、しかも風呂まで付いているのだ!部屋には二段ベッドが4つあって、まるでユースホステルのようだった。小屋は比較的すいていて、快適な一夜を過ごすことができた。
04:30 起床
05:20 横尾山荘発
06:20-06:30 本谷橋
07:45-08:20 涸沢小屋
09:15-09:25 休憩
10:30-11:05 穂高岳山荘
11:45-13:10 奥穂高岳山頂
13:55 穂高岳山荘(泊)
翌朝、朝食を食べてすぐに出発。本谷橋を過ぎるとようやく山道らしくなってくる。
やがて雪渓が現れるが、アイゼンなしでも滑らないように階段状に削ってある。至れり尽くせりだ。
コースタイムによると、本谷橋から涸沢小屋・涸沢ヒュッテの分岐点まで2時間とあるが、1時間ちょっとであっけなく涸沢小屋に着いてしまった。
これが有名な涸沢カール…。確かに色とりどりのテントが並んでいるものの、まだ一面雪で覆われているため数は多くない。ここからは、奥穂と前穂を結ぶ吊尾根が望まれるが、近すぎてあまり絵にならない。奥穂の頂上は雲の中だ。
ここから先は岩場になり、次第に傾斜がきつくなる。ザイデングラード(Seitengrat)などという近代的な名前の付けられた尾根道を登り切って、10時半に穂高岳山荘に到着。
予定より大幅に早い。このペースなら奥穂に登頂してから充分涸沢まで下れそうだったが、予定通りここに泊まることにして、早々とチェックインする。
不要なものは小屋に置いて、いよいよ頂上アタックを試みる。小屋を出てすぐのところに鉄梯子があって若干渋滞しているが、大したことはない。約40分で頂上に着いた。
ここが北アルプスの最高点、そして日本第3位の高峰・奥穂高岳の山頂か…。その登頂は思ったよりも困難ではなかった。曇っていて周囲は何も見えない。山頂にあるのは、方向指示盤と小さな祠のみ。
この日は穂高岳山荘に泊まるので、山頂に腰を据えて晴れ間を待つことにした。とりあえず横尾山荘で1000円で買った弁当(といってもパン)を食べ始めた。とはいえ、穂高岳山荘ではラーメンまで売られているので、弁当を買う必要もなかった。いつもの癖で過剰に食料を担ぎ上げてしまったが、北アルプスではいくらでも現地調達できそうだ。
しばらくすると、雲が途切れて、ジャンダルムがその猛々しい姿を現した。おお、ジャンダルムよ!ということは、この道が、悪名高き西穂〜奥穂の縦走路なのか…。すげぇ。
そして幾つかのパーティーが、縦走を終えてまさに奥穂に到達しようとしているのであった。ガイドらしきベテラン風の男性に連れられた若いお姉ちゃんは、奥穂に到着するや泣き出しそうになっていた。明日単身でこの縦走路に挑むという中年男性は、偵察に来て武者震いしていた。ジャンダルムのピークにエンジェルを立て、槍の北鎌尾根も踏破したという強者もいた。
この縦走路は、ナイフリッジ、ジャンダルム、逆層スラブといった超マニアックな難所が続くスーパーハードなコースなのだ。私は両神山の八丁尾根でビビッているくらいだから、とてもこんなところは…。しかし、オレもいつかはあの頂きに立ってみたいものだ。命が二つあればの話だが。
ちなみにジャンダルム(gendarme)とは、フランス語で憲兵のことで、要するに前衛峰ということだ。
1時間半山頂でねばったが、これ以上待っても槍は見えそうにないので下山を決意した。
小屋に戻ったものの、まだ2時前である。することもないので、小屋の前の広場で涸沢カールをぼんやりと眺めながら、持参したビーフ・ジャーキーをつまみにビールを呑んだ。
それは至福の時であるはずだったが、私の身体には異変が起こっていた。先ほどから頭がずきずき痛むのだ…。
部屋に戻ると、だいぶ人が増えていた。宿泊客二人につき布団一つという噂が立っていたが、なんとか最悪の事態は免れたようだ。
少しまどろんでから、食事の時間が来たので起きあがった。ウッ頭が痛い!食欲もないし、吐き気がする…。これってもしかして高山病か?チベットで4800mの高所に行っても平気だったのに、俺としたことが!!
夕食もロクに食べられずにつらそうにしていると、小屋の人が心配して、近くに診療所があることを教えてくれた。さすがは天下の穂高である。
頭痛薬をもらい、部屋で横になっていたが、ますます頭痛がひどくなる。こんなことなら今日中に涸沢まで下っておけばよかった、とひどく弱気になる。ところが、少し眠って目を覚ますと、風邪が治ったときのように身体が軽くなっていた。なおも寝続けた。
しかし、これは北アルプスの山小屋では普通のことなのかもしれないが、この夜は悲惨だった。まず、イビキがうるさすぎる。それはどうにも仕方がないこととはいえ、この轟音は明らかに尋常ではない。
そして、夜中に部屋を徘徊する輩が下向き光線(ヘッドライト)を私の顔面に直撃させ、起こされること数回。星空でも見に行ったのか、夜中の1時に部屋の中で大声で喋っているオヤジにはさすがに頭に来た。そのオヤジは朝4時にも大声で喋っていて、同じ部屋の若者から注意されていた。
ここは人気の山だけに若者の姿も多いのだが、一般的にいって、山でのマナーは中高年より若者の方がよっぽど良い。しばしば批判されるツアーの大集団は、自分が初心者であることを弁えているからマナーは悪くない。最悪なのは中高年のグループである。
04:00 起床
05:30 穂高岳山荘発
05:50-06:30 涸沢岳山頂
06:50-06:55 穂高岳山荘
07:40-07:50 休憩
08:20-08:35 涸沢小屋
09:20-09:30 本谷橋
10:20-10:30 横尾山荘
11:20-11:30 徳沢
12:15-12:20 明神
12:55 上高地ビジターセンター
15:15 上高地バスターミナル発(バス)
17:28 新島々駅発(松本電鉄)
18:35 松本駅発(中央本線)
という訳で4時に起こされた。頭痛は治っている。
外に出ると、空と地面の境界がオレンジ色に染まっていた。やがて常念岳頂上のやや左側から太陽が姿を現した。快晴だ!
朝日を浴びた奥穂高岳には、登山者がスズナリになっている。大部分の宿泊客は奥穂へ向かうようだ。ということは、吊尾根を通って前穂に行くか、ジャンダルムを越えて西穂に行くかである。私は涸沢経由で登って涸沢経由で下るという一番初心者向きのコースをとったけれど、こんなヘボいルートをとる人はむしろまれだった。
朝食を食べてから、私は涸沢岳に登った。ガラガラの岩場を20分ほど登り、山頂に着いて息を飲んだ。
槍だ!
しかし、反対側が絶壁になっていて、腰を落ち着けるスペースはほとんどない。ザックを降ろすのもままないくらいだ。
素晴らしい展望だった。今ごろ奥穂の頂上は大混雑しているのだろうが、ここには数人の人がいるのみだ。
ここからは槍〜穂高の縦走路が一望できる。あぁ凄い…。あれが大キレットかぁ。こんなのに比べると、俺が今まで登ってきた山なんて、山のうちに入らないな…。北穂も実に険しい。東側の常念岳と、西側の笠ヶ岳は、まるで穂高連峰を護衛するかのようだ。南側には奥穂が大きいが、吊尾根から続く前穂北尾根のギザギザの遙か遠方に、かすかに富士山も見える。
ここはあまり居心地のいい場所ではなかったし、先も長いので、40分ほどで切り上げて下山を開始した。
とはいえ、来た道を忠実に引き返すだけである。岩場を下って涸沢小屋へ。遭難者が出たのだろう、上空にはヘリが旋回していた。それにしても日差しが強い。
小屋から先は雪道だが、こういうのは慣れているから速い。雪面を滑り降りて、あっという間に本谷橋へ。
そのあとの道はひたすら長かった。横尾山荘に着いても、まだなお3時間も歩かねばならない。
やっと、喧噪の上高地に戻ってきた…。上高地アルペンホテルで入浴し、一服してから、またあの快適とはいえないバスに乗り込む。
旅を締めくくるのは中央本線だ。しかし、連休最終日のひどく混雑する列車で乗り合わせた中高年登山者集団は、公共心のカケラもない醜い連中だった。このことが、今回の山行に暗い翳を添えた。
そして私は今、太平洋の波濤を遙かに隔てたアメリカ大陸にいる。これで心おきなく研究に専念できるというものだ。それに、夏の北アルプスはきっと快適な空間ではないだろう。これでよかったのだ、と思う。(05/07/31)
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