Home > 世界中の山に登りたい! > 石鎚山脈・赤石山系トレラン大縦走 石鎚山〜東赤石山

ゴールデンウィーク。日本の山の多くはまだ、深い雪に閉ざされている。
どこかに、雪がなくて走れそうな山はないだろうか?そう思って地図を眺めていると、四国に長大なトレイルを発見した。
西日本最高峰・石鎚山(1982m)を起点とし、赤石山系の主峰・東赤石山(1707m)へと到る、百名山1座(石鎚山)、二百名山2座(笹ヶ峰 1859m、東赤石山)、三百名山2座(瓶ヶ森 1896m、伊予富士 1756m)を越えていく全長約50kmの壮大なコースだ。

50kmというと、ロードだったら一日で走れる距離だし、トレランでもそれほどでもないように思える。ところが実際には、これは予想を遥かに超越した、非常にタフなコースだった。
四国の山は、標高はあまり高くないし、山頂付近にまで林道が通じている。だから、マイカーで登山口まで乗り付けて、単品で山頂を踏むだけなら容易である。
しかし、そうであるが故に、これを通して歩こうとする人はほとんどいないらしい。その結果、あまり歩かれない縦走路は荒廃の一途を辿ることになる。
手入れのされていない登山道は笹で覆い隠され、それをかき分けながら進まなければならない。足もとが見えないから、濡れた石や木の根っこに足を取られると転倒する。しかも、ところどころ登山道が判然としないところもあった。

予報では、ゴールデンウィーク後半の四国の天気はイマイチだったが、回復傾向を示していた。
しかし実際には、下界は予報通り晴れていたらしいが、山は大荒れの天気となった。 前日の予報によれば、4日の降水確率は、昼過ぎからは0%だった。
もうすぐ回復する、もうすぐ回復すると念じながら歩き続けていた。しかし、蓋を開けてみれば、終日暴風雨だった。とりわけ、寒風山から笹ヶ峰にかけては、厳冬期の八ヶ岳並みの突風が吹き荒れ、立っているのも困難なほどだった。強風にあおられ続け、低体温症になるかと思った。
実際のところ、この日、北アルプスでは吹雪となり、8人もの方が低体温症で亡くなったという。
5日は一転して雲一つない快晴となった。穏やかに晴れ渡り、逆に熱中症になりそうだった。

全コースを通じて、岩場(石鎚山と西赤石山〜東赤石山間)か、笹に覆われた藪こぎルートが大部分だった。
そのため、トレラン装備で行ったにもかかわらず、ほとんど走れるような所はなかった。
走ることができたのは、山道と並行して走る2ヶ所の林道と、東赤石山から筏津へと下る道だけだった。
とはいえ、最後の下山路で走らなければバスには間に合わなかったので、やっぱりトレランスタイルで行って正解だったのかもしれない。

トレランは、整備された山道ならば圧倒的に速いが、ヤブ山だとメリットがない。それどころが、足を痛めることになる。
テーピングをして行ったのだが、初日の晩に風呂に入ったら、あっさり剥がれてしまった。予備のテープを持ってくるのを忘れたので、メインの2、3日目はテーピングなしで強行することになった。
トータルで右足首を2回ひねった。もう一度同じ所をひねったらもう歩けなくなると思いつつ、背水の陣で歩き続けた。
今回、長い距離を歩いてみて、いかに登山靴によって足が守られているかということを痛感した。トレラン用のシューズや靴下は、全く強度が足りないのだ。

下山してみると、トレランシューズがボロボロになっていた。
歩いているとき、右足の踵が擦れるのが気になっていた。
下山して靴を脱いだら、靴下の踵にぽっかりと穴が空いていた。そして、シューズの踵の内側も大きくえぐれていた。
これまで、登山靴によるひどい靴擦れに悩まされてきた。長いあいだ登山靴を履き続けていると、踵の皮がべろんと剥がれてしまうのだ。
今回は、踵の皮膚は無傷だった。踵が靴に勝ったわけである。

鎖あり、岩あり、花あり、藪こぎあり、ロードあり、暴風雨あり、そして最終日は快晴になった。山のすべてを凝縮した、実に実に濃厚な2泊3日だった。

【全装備】
冬用CW-X上下、半袖Tシャツ、下着、短パン、ゴアの雨具、ダウン、帽子、手袋、靴下、ツェルト、トレランシューズ、22リットルザック、ウエストポーチ、デジタル一眼レフカメラ、携帯電話、携帯充電器、時計、地図、コンパス、ヘッドライト、ポケットティッシュ、鏡、耳栓、薬、使い捨てコンタクトレンズ、現金、輪ゴム、地図、地図コピー、メモ帳、ペン、水筒、ゴミ袋(兼ザックカバー)、パワージェル6個、バームクーヘン3個、塩飴、ポカリスエット粉末1袋、水とスポーツ飲料(適宜補充)、弁当(適宜補充)
忘れ物:テーピング用テープ

【第0日】大阪南港〜オレンジフェリー(泊)

21:00 大阪梅田バスターミナル発(バス)
22:30 大阪南港発(フェリー)

4連休前夜のオレンジフェリー船内は、客でごった返していた。
大阪南港から愛媛の東予港まで、2等指定は5500円である。梅田のバスターミナルからのバスを含めて、5900円だった。
車ごと乗れる巨大なオレンジフェリーには、風呂や食堂も完備されている。
2等指定の他には、2等寝台、1等、そして特別室がある。2等指定は一番安いチケットだと思っていたが、さらにその下に「自由席」というのがあるらしかった。これは、なぜかホームページには載っていない。
自由席の人は、毛布を敷いてその辺に雑魚寝する。しかし、一晩中煌々と明かりがついている上に、人がひっきりなしに往来するので、とても眠れそうには思えなかった。

2等指定の一人分のスペースは、かなり狭い。ラッキーなことに一番端の場所で、隣に人はいなかった。かなりの空席があったのに、なぜ自由席の人が2等指定に変更しないのかは謎だった。
しかし、部屋は空いていたとはいえ、環境は最悪だった。自分のすぐそばに赤ん坊がいたのだが、その子は熱があるらしく、一晩中咳き込みながら泣き喚いているのである。世のお母さんの多くが育児ノイローゼになることが示すように、赤ん坊の泣き声ほど消耗させられるものはないのだ。

さらば本州

2等指定はこんな感じ

【第1日】東予港〜石鎚山ロープウェイ〜成就社〜石鎚山〜土小屋〜山荘しらさ(泊)

06:10 東予港着
06:20 東予港発(バス)
07:43 伊予西条駅発(バス)
08:39 石鎚ロープウェイ前バス停着
09:00 ロープウェイ発
09:30-09:45 成就社
10:30 試しの鎖
11:25 土小屋との分岐点
11:45 石鎚山・弥山山頂
13:00 石鎚山・天狗岳山頂(西日本最高点)
13:30 弥山山頂発
13:45 土小屋との分岐点
14:40 車道
14:55 岩黒レストハウス発
15:15 よさこい峠
15:45 山荘しらさ着

四国初上陸!

22時半に出港した船は、6時10分、定刻通りに東予港に着岸した。
ほとんど眠れないまま、ヘロヘロの状態で、記念すべき四国への初上陸を果たした。

無料の送迎バスに乗り、伊予西条駅へ向かう。
このフェリーの素晴らしいところは、伊予西条駅から石鎚山へ向かうバスに乗り継げることである。
1時間の乗り継ぎ時間の間に、トレランの格好に着替え、3日間の山ごもりに使わない荷物は駅のロッカーにブチ込む。ロッカーの使用期限は3日間なので、何が何でも3日以内に戻ってこなければならない。

雨が降っていた。
ロープウェイを使うのは邪道だと思っていたが、すっかり萎えた。バスの乗客全員がロープウェイ前のバス停で降りたので、つられて降りてしまった。

9時発のロープウェイに乗り、1300mまで一気に高度を稼ぐ。
さすがにこの山はメジャーらしく、悪天候にもかかわらず、多くの人で賑わっている。
成就社に参詣してから、登山開始。

ロープウェイに乗り込む

雨の成就社

登っていくと、74mもある長い鎖が出現する。
腕力を使ってよじ登るが、これが結構怖い。登り切ると狭い岩の上に着く。しかし、またすぐに鎖を使って下ることになる。要は登って下るだけで、巻き道を使えば一瞬なのだ。なんだこれ!?
あとで分かったのだが、これは「試しの鎖」というもので、ここで怖かった人は、これ以降は巻き道を通りなさいということらしかった。でも実は、試しの鎖が一番長いのだ。

試しの鎖

ほとんど垂直な三の鎖

そのあと、「一の鎖」(33m)「二の鎖」(65m)「三の鎖」(68m)という3ヶ所の鎖が続く。
雨が降っていて、トレランシューズだとグリップが心配だという言い訳を思いついたので、ヘタレな私は巻き道を取ることにする。
三の鎖はほとんど垂直だった。ここは修験道の山なので、わざわざ登りにくくなるように鎖が掛けられているのだ。
迂回路は、岩壁の外側に大きく張り出した格好で設置されていた。

弥山の山頂に着いた。ここからは、天狗岳の針峰がのぞまれるはずだったが、真っ白で何も見えない。
小屋で一杯200円の味噌汁(インスタント)を頼み、コンビニで買ったおにぎりを食べて一服する。

石鎚山弥山山頂

この先に天狗岳の針峰がのぞまれるはずだが・・・

弥山の標高は1974mであり、これは石鎚山のピークではない。真のピークは1982mの天狗岳であり、そこが西日本の最高峰だ。
天狗岳に行かないことには、石鎚山に登ったことにはならない。よって、なんとしてもそこに到達しなければならない。
しかし、弥山山頂は大勢の人で賑わっているのに、誰も天狗岳へ行こうとする者はいなかった。

やがて、雨が上がって空が少し明るくなってきたので、意を決して天狗岳へ向かうことにする。
鎖を使って少し下り、ナイフリッジを辿っていく。「なんだ、大したことないじゃん」と思ったのも束の間、やがて、行く手を巨大な岩の塊に阻まれた。
これは一体どうやって越えるのか・・・と逡巡していると、後方から若者の3人組がやってきた。若者たちは、「こえぇー!!!」などと言いながら、嬉々としてヒョイヒョイとその岩を越えていった。う〜むなるほど・・・。
そこはどうなっているかというと、左側がスッパリと垂直に切れ落ちていて、右側は30度くらいの傾斜のある平らな岩で、さらにその右側も絶壁になっている。いずれにせよ、転落したら命はない。立つことはできないので、岩の上部を這いつくばって前進するのである。も〜怖いのなんのって。先行する登山者がいなかったら、ここに挑む勇気はなかっただろう。
ともかく山頂を極めることができ、無事に弥山に生還した。西日本最高点を制覇したので、これで最低限の目標はクリアできたことになる。

ここが西日本最高点

土小屋に向かって下っていくと、1時間ほどで車道に降り立った。 岩黒レストハウスで一服する。
そこから本日の宿である「山荘しらさ」までは、山道に並行して舗装道路が走っている。山道の方が距離は短いが、車道で行ったとしても約8km。ロードの8kmなら、ゆっくり走っても1時間はかからないだろう。
今さら雨の山道を歩きたくなかったので、伊吹山は迂回して、車道をゆっくりと走っていくことにする。

「山荘しらさ」に到着した。ここは車でアクセスできるので、山小屋というよりは山岳リゾートホテルといったほうが相応しい。
風呂もあり、電気も使えて実に快適である。食事も豪華だった。

翌日は、一気に銅山峰ヒュッテまで行く計画だった。標準コースタイムは14時間半だが、距離が26kmくらいしかなかったので、倍速で行けばなんとかなるだろうとタカをくくっていた。
しかし、今日もコースタイムとさほど変わらないペースでしか歩けなかったので、さすがに無謀ではないかという気がしてきた。もう一つの問題点は、途中に山小屋が一つもなく、水や食料を補給できる場所が全くないことだった。
それで、標準コースタイム10時間半の丸山荘泊まりに変更することにした。結果的に、翌日は大荒れに天気になったので、変更して正解だった。銅山峰ヒュッテなど、到底一日では辿り着くことはできなかったのだ。要するに、計画が杜撰すぎたのである。

【第2日】山荘しらさ〜瓶ヶ森〜西黒森〜東黒森〜伊予富士〜寒風山〜丸山荘(泊)

06:35 山荘しらさ発
07:30 林道
07:45 瓶ヶ森登山口
08:00 瓶ヶ森・男山山頂
08:15 瓶ヶ森・女山山頂
09:15 西黒森山頂
09:45 林道
10:15-10:20 東黒森登山口
10:40-10:45 東黒森山頂
11:10-11:25 伊予富士山頂
12:15-12:25 桑瀬峠
13:15-13:25 寒風山山頂
14:35 笹ヶ峰との分岐点
14:55 岩黒レストハウス発
15:00 丸山荘着

前日は、曇りの予報だったのに、一日中降ったり止んだりを繰り返していた。
この日の予報は曇りのち晴れで、午後の降水確率は0%だった。
朝起きてみるとガスで真っ白だったが、そのうち回復するだろうと思って出発した。ルートを短縮したので、精神的には楽だった。
瓶ヶ森登山口までの車道は相当クネクネしているので、車道ではなく山道を辿ることにした。
しかし、この道を歩く人はほとんどいないらしく、道は荒れ果てており、とんでもない悪路だった。正しい道を辿っているのか常に不安だった。
天気は回復するどころが、ますます雨脚が強くなってきた。トレランシューズは水浸しになり、ぬかるみにはまって泥だらけになった。しかし、そんなものはまだ序曲に過ぎなかったのだ。

林道に出るとほっとした。瓶ヶ森登山口の駐車場から、再び山道に入る。
ここから瓶ヶ森・女山のピークまでは、歩く人も多く、よく整備されている。
暴風雨になった。寒い。
瓶ヶ森・女山のピークからは、一面の笹原と点在する白骨林を前景とした石鎚山の雄姿がのぞまれ、それはさながら一幅の日本画のごとき風景であるはずだった。しかし、視界はわずか5mに過ぎなかった。

瓶ヶ森山頂

西黒森山頂

西黒森へ向かうと、再びひどい悪路となる。道が笹に覆われていて、足もとが見えないため歩みは遅々として進まず、しばしば道が消えた。笹の迷路に迷い込んだようで、どれほど前進したのかも分からない。
ふたたび林道と交差した。そこから「ジネンゴの頭」のピークを通る山道は迂回して、伊予富士の登山口までは車道を行くことにする。
これまでの悪路に比べ、車道のなんと歩きやすいことか。結果的に、この日一息つくことができたのは、この車道だけだった。
やがて、下界が晴れてきた。空も明るくなり、日が差してきた。伊予富士の山頂に着くころには晴れているだろうか、などと思った。

しかし、甘かった。
伊予富士へ向かう登山道から、再び山道に入る。また雨が降り出した。
東黒森のピークを越えて、伊予富士の山頂へ。

東黒森山頂

伊予富士山頂

伊予富士を越えてしばらくしたところで、足を滑らせて肘を強打し、流血。
いつまで経っても天候は回復しなかった。風はますます強まっていく。
立ち止まると寒くて仕方がないので、歩き続けるしかない。桑瀬峠で、山荘で作ってもらったお弁当を半分だけ食べる。

寒風山山頂

寒風山山頂。
寒風が吹きすさんでいる。寒風山だけに。
などとアホなことをつぶやく余裕もなくなってきた。
そこから笹ヶ峰に到る縦走路は、厳冬期の八ヶ岳なみの凄まじい強風に見舞われた。風はゴーゴーと恐ろしい唸りを上げて荒れ狂っている。ときおり、立っていることも困難なほどの突風が吹く。
冬用CW-Xはかなり防寒効果がある。それに半袖Tシャツと雨具を重ね着した状態が最大の防寒体制だったが、それでも寒さを感じた。(最悪、ビバークになった場合は、さらにダウンとツェルトがあるが。)
このまま行くと低体温症になるかも・・・と思い始めた。

笹ヶ峰山頂との分岐点から、ものの5分も登れば山頂のはずだった。しかし、風が強すぎて、もはやそこに到達することはできなかった。
登頂は明日に取っておくことにして、丸山荘への道を駆け下りた。
いつまで経っても小屋に着かない。かなり高度を下げ、風も弱まってきたころ、やっと赤い屋根が見えた。

丸山荘は、昔ながらの味のある山小屋だった。
そこは昭和40年代にタイムスリップしたかのような空間で、まだ黒電話が現役だった。
薪のストーブだ。なぜか薪運びを手伝わせられた。
宿泊客の中で私が最年少だったため、色々とイジられたが、愉快な一夜を過ごすことができた。

【第3日】丸山荘〜笹ヶ峰〜銅山越〜西赤石山〜東赤石山〜筏津〜伊予西条(泊)

06:45 丸山荘発
07:25-07:45 笹ヶ峰山頂
08:15 ちち山山頂
09:35-09:45 獅子舞の鼻
10:00 土山越
11:00 綱繰山
11:10-11:20 西山迂回路との分岐点
11:40-11:45 銅山越
12:40-13:05 西赤石山山頂
13:30 物住頭
14:00-14:05 石室越(八巻山との分岐点)
14:20-14:30 赤石小屋
14:40 東赤石山への分岐点
14:55-15:05 東赤石山山頂
15:15 分岐点
15:25 筏津への分岐点
15:40 徒渉点1
16:00 徒渉点2
16:20 合流点
16:40 車道(筏津バス停)
17:00 筏津バス停発(バス)
18:20 新居浜駅着

丸山荘と笹ヶ峰

翌朝、5時過ぎに目が覚めた。晴れている!
ぼんやりと霞んではいるものの、小屋から、遥か彼方に石鎚山が見える。入山してから足もとばかり見ていたけれども、はじめて山の姿を拝むことができた。

宿で同部屋だった70歳の方から、東赤石山の登山口である筏津から、新居浜駅行きのバスが17時くらいに出るという情報を得た。それは路線バスではなくコミュニティーバスだったので、正確な時間は不明なのだ。
私が調べた範囲では、筏津から伊予三島駅行きの最終バスが14時23分だったので、丸山荘に泊まると東赤石岳には辿り着けないと思っていた。しかし、これで予定通り全行程をこなすことが可能になった。

他の宿泊客と合わせるため、朝食は6時半という遅めの設定だった。
17時だったら余裕で下山できるだろうと思ってタカをくくっていたが、やっぱり朝食は6時にしてもらうべきだった。のちのち、その30分に泣かされることになるのだ。

急いで朝食を食べて、出発。
まずは、昨日登り損ねた笹ヶ峰のピークへ向かう。
笹ヶ峰は風の通り道になっているらしく、晴れていてもやっぱり風が強かった。四国というと温暖なイメージがあるが、冬には2メートルもの積雪を見るという。

笹ヶ峰山頂に向かう

笹ヶ峰の山頂からは、縦走してきた山々がぼんやりと見えた。
石鎚山は一番奥、遥か遠くに霞んでいる。そこから左に向かって、瓶ヶ森、西黒森、東黒森、伊予富士と続く。伊予富士は、その名前とは裏腹に、頂上部分がギザギザしている。
折り返して、その手前が寒風山。こちらは尖っていて端正な形のピークだ。
反対側、これから向かう赤石山は、逆光を浴びて、これまた遥か彼方に霞んでいる。今いるところが、ちょうど石鎚山と東赤石岳の中間くらいだろうか。どれほど遠いやら、見当もつかない。

笹ヶ峰山頂!

笹ヶ峰山頂より南西側:手前より寒風山(左の尖ったピーク)、伊予富士(その後ろのギザギザのピーク)、東黒森、西黒森(中央右側の丸いピーク)、瓶ヶ森(そのすぐ右)、石鎚山(さらに右の奥)

笹ヶ峰山頂より北東側:西赤石岳と東赤石岳(左奥)、ちち山(中央)

笹ヶ峰を発ち、ちち山へと向かう。
この道がまた、笹に覆われた凄まじい悪路だった。笹ヶ峰だけに。
登山道が笹で覆い隠されている上に、ジェットコースターのように急登と急降下を繰り返すのだ。トレランシューズではまったく足もとが覚束なかった。
足もとが見えないのに、笹を手でかき分けるのが面倒くさいので適当に歩いていたら、足を置いた位置に傾いた石があり、スリップして転倒した。その拍子に右足首をひねり、ズキっという鈍い痛みが走る。
そこから先、痛みはないものの、足首に違和感を抱えたまま歩き続けることになった。すでに書いた通り、もう一度転倒して同じところを捻ったら最後、もう歩けなくなるかもしれないという背水の陣で臨んだ。

ほどなく、ちち山のピークを通る尾根道と、迂回する道との分岐点がある。小屋で、トラバース道は、傾いた道の上に笹で覆いかぶさっていて危険なので、通らないように言われていた。それで、ちち山ピークを通るほうの道を辿ったのだが、こちらも凄まじい悪路で、ひどく難儀した。
デジタル一眼レフをぶら下げながら歩いていたら、笹と格闘しているうちに、レンズキャップを落としてしまった。これまでに何回レンズキャップをなくしたことか・・・。

ちち山山頂

ちち山山頂より笹ヶ峰方面

ちち山山頂より黒森山・沓掛山(北側)

ちち山の斜面を急降下する

ちち山を越えた次のピーク、「獅子舞の鼻」に到る斜面には、アケボノツツジが慎ましく咲いていた。アケボノツツジは西日本の山岳地帯でしか見られない花で、この花を目当てにやってくる登山客も多いという。

綱繰山斜面のアケボノツツジ遠望

アケボノツツジ1

アケボノツツジ2

ちち山(左)・笹ヶ峰(右)とアケボノツツジ

「ちち山分かれ」で石鎚山脈は終わり、それより東側は、北の赤石山系と南の法皇山脈に分かれる。ここから1200m以下(土山越)にまで一気に高度を下げたのち、赤石山系の最高峰、東赤石岳(1707m)に向かってまた500m以上登り返すのだ。

綱繰山を越えてしばらく行くと、地図にない分岐点があった。
右に行くと、西山のピークを迂回して銅山越へと到る近道である。
迂回路を行くことにするが、やがて、川に行く手を阻まれ、道が消えてしまい焦る。しかし、なおも川を下っていくと、再びはっきりとした道が現れた。

綱繰山付近より笹ヶ峰

銅山越

銅山越に着いた。
この辺一帯は、かつて別子銅山だった。あとで分かったことだが、日浦登山口からここに到る登山道の途中には、別子銅山の史跡がたくさんあるようだ。石見銀山と並んで、別子銅山を世界遺産に推薦する動きもあるのだ。
別子銅山から掘り出された銅は、ここ銅山越を通って、新居浜の町に運ばれたという。ここにいるお地蔵さんは、その往来の過程で行き倒れた無縁仏を祀ったものなのだ。
ここには、四方から登山道が通じている。これまであまり人に会わなかったが、ここはちょっとした観光地のような賑わいを呈していた。

この時点ですでに12時近かった。休憩を含めると、標準コースタイムとほとんど変わらないペースでしか歩けていない。
標識には、「東赤石山まで4時間」と書かれている。下山するのに更に2時間ほどかかるらしいので、果たして5時のバスに間に合うかどうか、微妙になってきた。

西赤石岳を目指して登っていく。
暑い。昨日とは一転して、今度は熱中症になりそうだ。実に過酷だ。
しかし、銅山越から西赤石山へ到る道は、通る人も多く、よく整備されていた。コースタイム1時間40分のところを、55分で山頂に着いた。

無風。穏やかに晴れていた。
CW-Xを脱ぎ、半袖のTシャツ1枚になっても、全く寒さを感じなかった。
これまでで一番平和な山頂だった。

西赤石岳山頂

西赤石岳より北西側:新居浜の町と瀬戸内海

西赤石岳より東側:左から物住頭、前赤石山、東赤石山

西赤石岳山頂から仰ぎ見る東赤石岳は、まだ遥か彼方だった。
最後のピークを目指して、なおも東進を続ける。
この縦走路は比較的よく歩かれているが、巨石がごろごろしているので、スピードは上がらない。
この辺にある岩の表面には、白いペンキで描かれた花丸のような模様がたくさん付いている。一瞬、ルートを示す目印かと思ったが、天然のものだった。なぜこのような模様ができるのかは謎である。

物住頭より前赤石山(手前の尖峰)と東赤石山(右)

こういう模様のついた岩がたくさんある

謎の模様のついた岩壁をゆく

石室越で道は二手に分かれる。左へ行くと八巻山を経て東赤石山へ向かうが、標識に「悪路」と書かれていたので、赤石山荘を経由する右のルートを取る。
実際、左のルートは道が途中で消えているらしく、こちらを辿っていたらバスに間に合わなかった。四国の山の「悪路」は、まったく侮れないのだ。

けれども、右のルートは、嫌というほど下っていった。いつまで経っても赤石山荘に着かないので、焦った。
赤石山荘で水を補給させてもらった。そこからなおも下ると標識があり、そこで左折。10分ほどトラバース道を進むと、左手に東赤石岳山頂へ向かう直登ルートが現れる。

ゴロゴロした巨石の急斜面をよじ登っていく。
そうして、遂に東赤石岳の頂上に辿り着いた。
山頂は、畳一枚ほどの狭い岩の上だった。誰もいなかった。
ぽかぽかと温かい。
長い道のりだった──。それは、至福の時であるはずだった。ここで小一時間ほど、昼寝でもしゃれ込みたいところだ。
でも、もう時間がなかった。バスの時間まで、2時間を切っている。
あと30分早く着いていれば・・・。

最後のピーク、東赤石岳山頂

東赤石岳より長大な縦走路を振り返る

10分間だけ休憩して、山頂をあとにする。
一旦赤石山荘との分岐点まで戻り、川沿いのルートで下山する。
2度目の徒渉点を過ぎたところで、すでに16時を回っていた。聞くと、ここからまだ1時間以上の行程という。
合流点で16時20分。コースタイムでは、あと40分。バスの出発時刻もあと40分だ。
ここから先、次第に道幅が広くなる。走る。走る。まだこんなに余力があったとは!
関西から来た中高年の大パーティーを華麗にゴボウ抜きして、最後のダッシュ。
16時40分、車道に降り立った!

間に合った!のか?
バス停はどこだ?
コミュニティーバスを運行しているタクシー会社に電話して聞くと、バス停の場所は分からないという。しかも、今日は予約が一杯で、もう乗れないという。なんだって!?
しばらくウロウロしていると、向こうから犬を連れた地元の人がテクテク歩いて来た。聞くと、確かにそのバスは5時くらいにやってくるという。そして、なんの標識もないが、まさにここがバス停なのだという。
すると、数分後にそのバスはやってきた。乗客は、他に一人しかいなかった。さっきの話はガセだったのだ・・・。
ともかく、無事にバスに間に合った。ふと見ると、トレランシューズがボロボロになっていた。
蓋を開けてみれば、すべての日程を消化し、この長大なルートを2泊3日で駆け抜けることができたのだ。

新居浜駅から予讃線に乗り、伊予西条駅へ戻った。荷物をピックアップして、駅前にある、朝食付き一泊4000円の安ホテルにチェックインする。
シャワーを浴びたのち、駅前の呑み屋で一人祝杯を挙げたのだった。

【第4日】高松市内観光

最終日は、今治からしまなみ海道をわたって尾道に行き、尾道を観光してから帰ろうと思っていたが、面倒臭くなった。
そこで、高松でうどんを食べて帰ることにした。

3日間山に籠もっていた身にしてみれば、高松駅前に聳える摩天楼がやけにまぶしかった。
アーケードを徘徊し、セルフ店に入ってうどんを食べた。とはいえ、最近は東京にも進出しているので、さほど珍しいものでもなかった。
それから、栗林公園をのんびりと観光した。

モダンな高松駅

栗林公園1

栗林公園2

栗林公園3

瀬戸大橋線に乗り込む。
瀬戸大橋は長かった。四国に別れを告げ、再び本州に舞い戻った。瀬戸大橋線は、予讃線とは比べものにならないほど速かった。
岡山駅は人でごった返していた。そのことが逆に、四国の寂れようを際立たせていた。

連休最終日の新幹線は激コミだった。
松山から家まで、5時間半もかかった。やっぱり四国は遠かったのだ。

これまでに、四国4県を除く全都道府県に上陸していた。(ただし、山口県と佐賀県は通過しかしていない。)
このたび、愛媛・高知・香川に足跡を残したので、あとは徳島県を残すのみとなった。徳島県は、次回、剣山に登りに来たときのために、取っておくことにしよう。【完】

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