Home > 世界中の山に登りたい! > 尾鈴山周遊:尾鈴キャンプ場〜尾鈴山〜長崎尾〜尾鈴山瀑布群
ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り
と、漂泊の歌人、若山牧水に謳われた尾鈴の山。この歌からはたおやかな山容を想像していたが、1500メートルに満たない標高ながら、意外にも険しかった。深山幽谷の趣があった。
この山の中腹には、尾鈴山瀑布群と呼ばれる見事な滝がいくつも穿たれている。
2日前の天気予報までは降水確率は0%だったが、前日の宮崎市内には嫌なスコールが降った。紅葉に映える滝を期待していたが、当日は見事に雨に降られた。
滝巡りのコースを周回して、その日のうちに東京に帰り着くのはかなりスリリングだ。全行程が綱渡りの連続だった。
09:00 尾鈴キャンプ場 駐車場
10:00-10:05 登山口
10:40 5合目
11:20-11:45 尾鈴山山頂
12:30-12:40 長崎尾山頂
12:55 分岐点
13:30 林道
14:50 さぎりの滝
15:55 駐車場
スーツケースにMacBookやスーツを詰め込み、宮崎駅直結のJR九州ホテルをチェックアウト。コンビニでおにぎりを買い、7時11分発、2輌編成の延岡行き日豊本線に乗り込む。
7時43分、高鍋駅着。レンタカー会社に電話して、迎えに来てもらう。レンタカー会社が開くのは8時なので、宮崎市内で車を借りると間に合わなくなるのだ。
車を運転するのは4年ぶりだった。さっそくアクセルとブレーキを間違えてレンタカー会社の人に失笑されたものの、運転し始めるとすぐに慣れた。
尾鈴山に近づくにつれ、道はつづら折りになった。片側が断崖絶壁の一車線。こんなところで対向車が来たら一巻の終わりだ・・・と思いつつそろそろと進んで行くと、突如として正面から道幅一杯のダンプカーが現れた。
こんな山道でバックなんかできるわけない、と思って泣きそうになっていると、ダンプカーから怖いおじさんが降りてきて、私の車につかつかと歩み寄ってきた。「そんなハンドルで山に来ちゃダメだ」とか言いつつ代わりに運転してくれた。優しい。
ようやく尾鈴キャンプ場の駐車場に着いた。他に車はない。
高鍋駅では晴れていたが、着いた頃にはすっかり曇っていた。
ここから登山口まで、林道をテクテクと歩いていく。前方を歩いていたおじさんに追いついて少し話すが、訛りが強くて半分くらいしか聞き取れなかった。それ以降、山中でただの一人の人間にも会わなかった。この時期の平日のこんな天気の日に、この山に登ろうとする酔狂な人は他に誰もいないようだった。
1時間近い林道歩きをやっと終え、登山口に着いた。ここから一気に急坂が始まる。一合ごとに標識が設置されているから、休憩せずに登り続けた。
11時20分、尾鈴山山頂到着。登山口からコースタイム2時間のところ、1時間20分で着いた。良いペースだ。この分なら3時には下山できそうだ。なんだ、余裕じゃないか・・・。
山頂はガスに覆われていた。もっとも、たとえ晴れ渡っていたとしても、樹木に覆われていて展望はない。
誰もいないので、三角点の上にカメラを設置してタイマーで記念撮影した。
ここから尾根道を南下する。ケルンの積まれた長崎尾のピークで一休みし、分岐点を過ぎてしばらく行くと一気に下り始める。
目印の赤テープがたくさん付いているので、それを忠実に辿っていけばいい。だが、九州の山は、東京近郊の山とは違って、あまり人が入っていないのだ。登山道には落ち葉が積もり、足跡が消されている。道の両側に繁茂した木々を掻き分けながら進むが、しばしば巨大な倒木に行く手を阻まれる。
いよいよ雨が降り始めた。諦めてレイン・コートを着る。
ザックカバーを忘れたので、すべてが濡れた。カメラも濡れた。
やがて雨は止んだが、一眼レフのレンズの内部が曇り、写真が撮れなくなった。
白滝という落差75メートルもの滝が現れる。だが、木々が繁茂してよく見えない。これ以降、滝の看板が次々と出現するが、そもそもその滝がどこにあるのかすらわからない。全景が拝めたのは、「やすらぎの滝」ただ一つだけだった。
こんなところを下るのか・・・という程の急斜面を下って行く。道は濡れて滑りやすく、トータル3回くらい転んだ。
薄暗い谷に降り立った。徒涉地点で赤テープを見失う。しばらくウロウロし、広い登山道を見つけた時はほっとした。このあたりは、「山と高原地図」でも点線になっている。
昭和33年まで、この山には木材を運ぶためのトロッコ列車が走っていた。今や寂れる一方だが、かつてはここにも人間の生活があったのだ。
山中には至る所に軌道の跡が残っており、一部は現在の登山道として使われている。そんな軌道の残骸は、道幅こそ広いものの、敷石がごろごろと散乱して歩きにくいことこの上ない。
15時55分、やっと駐車場に戻ってきた。なかなかの達成感だ。コースタイム7時間のところ、実際に7時間近くかかってしまった(休憩含む)。九州の山を舐めていた。
さて、これからどうしよう。17時までに車を返却したかった(そうすると駅まで送迎してもらえる)が、こんなズブ濡れのまま飛行機に乗るわけにはいかない。木城温泉に向かうことにした。
絶壁の山道をそろそろと下り、「湯らら」という日帰り温泉へ。汗を流してほっと一息ついて、17時20分にレンタカー会社に戻る。タクシーを呼んでもらい、高鍋駅へ。
駅で、泥だらけの登山の遺物をスーツケースに押し込み、18時0分発の列車に乗り込む。これでそのまま宮崎空港まで行けるのだ。
空港に着いたのは、出発40分前だった。
実は東京を出る際、出発40分前に羽田空港に着いたところ、あやうく飛行機に乗り遅れるところだった。11ヶ月ぶりの飛行機だったので、乗り方を忘れてしまった。国内線だと思って舐めすぎていた。
出発20分前までに保安検査場を突破しなければならないが、間に合わなかった。なんとか通してもらったものの、今度は登山用のストックを機内に持ち込めないと言われ、没収されそうになった。機内に持ち込めるのは長さ60センチまでなのだ。ストック先端に装着されたゴムバンドを外すとぎりぎり60センチに収まり、なんとか突破できた。そこからソラシドエアが出発する51番ゲートまで、果てしなく遠かった。猛ダッシュの末、ゲートが閉め切られる1分前に機内に駆け込んだ。
でも、宮崎空港では、40分もあれば余裕だった。今度はぬかりなく、ストックも手荷物として預けた。
19時。カラクリ時計から、宮崎の無形文化財の神楽が舞い出でる。願うらくは、空港でチキン南蛮を食べたかった。せっかく宮崎まで着たのに、この日はコンビニのパンとおにぎりしか食べていなかった。
でも、無事に周回コースを歩き通せて良かった。今度は5月、アケボノツツジとシャクナゲの咲く頃に、リベンジしに来たいものだ。
座席は3分の2ほどが埋まっていた。奇しくもこの日、東京では500人近い新規感染者を出し、日本全体では2千人を超えた。宮崎ではずっと1人か0人で推移していたのに、この日は8月以降最多の10人の感染者が出た。
「空から笑顔の種を蒔く、ソラシドエア・・・」。機内にアナウンスが虚しく響いた。