読書日記 2009年

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アシモフの科学エッセイ<4> 生命と非生命のあいだ アイザック・アシモフ ハヤカワ文庫 ★★★★☆

本書が書かれたのは、1960年代の後半である。40年以上も昔に書かれた科学エッセイを、今読む価値があるのか、と思うかもしれない。ところが、アシモフが一流の書き手であるということもあるが、当時の科学観を知ることができるという点において、本書は大変面白かった。

本書には、アシモフによる未来予想図が描かれている。興味深いのは、それが、ほとんど全く当たっていないことである。
曰く、1980年ないし85年には、月面に恒久的な基地が建設されている。1985年には宇宙飛行士が火星に着陸し、95年には火星にも基地が出現する。2000年までには、人類は、水星や金星、小惑星セレスにまでも到達しているだろう。

まだある。1990年には、人口増加の圧力のため、人類は海中の大陸棚に向かって進撃を開始する。マイアミ沖には水中ホテルが建設されているだろう。
1964年から65年にかけて、ニューヨークで万国博覧会が催された。その50年後、2014年の万国博覧会はどうなっているだろうか?家事用のロボット小間使いや、最新式の核融合炉のモデルが出展されるだろう。博覧会の見物人は、月面基地に滞在している人と(2.5秒の時差のある)会話を楽しむことができる。世界の人口は65億に達し(←これは大正解!)、もはや農業では食糧の需要に追いつけず、人々は微生物や「疑似ステーキ」を食べるようになるだろう・・・。

今日の我々から見ると滑稽だが、当時の時代背景を思い浮かべる必要がある。
1957年、ソ連による最初の人工衛星、スプートニク1号が地球を回る軌道に打ち上げられた。それから10年も経たないうちに、人類は宇宙空間を遊泳できるようになり、あと数年のうちには月にまで到達できるという期待を抱いている。(そう、これは、アポロ11号による月着陸以前のお話なのだ!)
10年足らずの間にこれだけ前進できたのだから、もう10年あれば、人類は宇宙でどこまで行けるだろうか、という訳である。

このことの教訓は、科学の進歩は、全く直線的ではないということである。今のペースが、今後もずっと続くのではない。そうではなくて、ある特定の分野が急激に発展するのである。
おそらく、当時から見て想像もつかない程に進歩したのは、生物学の世界だろう。アシモフの専門は、生化学である。当時はまだ、インシュリンやリボヌクレアーゼのアミノ酸配列がやっと分かったところで、遺伝子に関する知識はほとんどなかった。にもかかわらずアシモフは、誰もが血液を一滴取って「遺伝子分析」を行い、未来の健康状態を予測し、予防を講じるようになる時代がやってくる、と今流行のテーラーメード医療を予見したことを言っている。こういうのを読むと、やはりアシモフは天才なのだろうと思う。

生物学に関しては、謎の記述がある。それは、学習したプラナリアを切り刻んで他のプラナリアに喰わせると、そのプラナリアはより速く学習できるようになるという、「RNA記憶」の話である。結局、この実験はウソだったのだろうか?

今日的な視点から見ると、ゾッとするような記述もある:

その頃(1990年)には大きな肉食獣は絶滅するか、もしくは確実に絶滅への道をたどっているから、ジャングルもあまり怖くはなくなっており、危険な昆虫、虫、微生物の類ももっと駆除できているだろう。
湿っぽい広大なアマゾン流域には、みじめったらしい原始人しか発見されなかったし、古代人の夢みた広漠たる南方大陸も原住民の住む砂漠のオーストラリアと住む者もない氷に閉ざされた南極大陸とに縮こまってしまったのである。

当時は、科学技術イコール開発であった。そこにこそ、人類の未来がかかっていると考えられていたのだろう。
現在、科学の役割は、環境を守ること、すなわち、いかに現状を変えないでおくか、ということに変わった。当時とは正反対になったのである。
当時が良い時代だったのかどうかはさておき、その頃の無邪気さと比べれば、確かに現代は夢も希望もなくなった、と言わざるを得ない。(09/06/09 読了)

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