読書日記 2009年

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音に色が見える世界 岩崎純一 PHP新書 ★★★☆☆

著者は、音階やあらゆる文字に色がついて見えるだけでなく、女性の性周期を遠方から感知できるという驚くべき能力をもつ共感覚者である。以前、著者のウェブサイトを見て驚嘆したので、大いなる期待をもって本書を繙いた。

高い知性をもつ著書は、他人と異なる自分の感覚世界を理解しようともがくうちに、日本の古典に行き着いた。かつての日本人は誰もが共感覚を保持していたが、明治以降の西欧文明の流入のために多くの日本人(男性)は共感覚を失ってしまった。科学でなく日本の古典こそが、共感覚を理解する鍵なのだ、と説く。

著者が科学を毛嫌いしているようなのは非常に残念である。
科学は、日本文化と対立するのではなく、普遍的なものである。感覚は遺伝的に規定されているので、実際には、百年かそこらで日本人集団の感覚が変化することはありえない。日本語の古語が共感覚「的」であることは事実だろうが、それは、ヨーロッパ語を含めたあらゆる言語に対して成り立つのではないだろうか。
言語というものは、近代国家の枠組みの中で公用語として用いられるようになると、小さなコミュニティー内のみで使われていたときの意味や発音のゆらぎが収束し、情緒的な側面が失われてゆくのだと思う。

言語が世界の認識の仕方を規定するというサピア=ウォーフの仮説(あるいは言語相対主義)は、基本的には正しくなく(『オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険』参照)、色彩の分類の仕方は民族間で(チンパンジーと比べてさえ)一定しているようである。
ところが本書では、色彩語の指し示す範疇が、共感覚者とそうでない人とで異なるという興味深い指摘を行っている(ただし、「科学的な」方法で示されているわけではない)。
また著者は、共感覚者の色彩感覚が、江戸時代以前の日本人と一致すると主張しているが、江戸時代以前の色彩感覚がなぜ分かったのだろうか?

共感覚者は極めてまれなので調査するのは難しいだろうが、世界の様々な民族グループ間で共感覚者の出現頻度がどの程度異なっているか、というのは興味深い問題である。
無文字社会に暮らす共感覚者は、文字に色を見るだろうか?人類の歴史の中で、文字が出現したのがごく最近であることを考えると、こういうタイプの共感覚が相対的に多いのは不思議なことである。
いずれにせよ本書は、数多くの興味深い問題を心理学者に提起しているのではないだろうか。(09/11/22 読了)

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