読書日記 2011年

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本は、これから 池澤夏樹 編 岩波新書 ★★★★☆

題名の意図は、「本はまだまだこれからだぜ!!」ではなく、「本はこれから、どうなっちゃうの・・・?」である。2010年は電子書籍元年と言われているらしい。けれども、今や読書の習慣をもつ人は希少なので、こういう問題意識をもつ人はあまりいないように思われる。大部分の人にとっては、本がどうなろうと、そんなことはどうでもいいのかもしれない。

書物が電子化されることに危機感を抱いているのは出版社や書店の経営者くらいのもので、私のような一ユーザーとしては、むしろ歓迎すべきことだと思っている。というのも、読書人口の減少に伴って、出版社は本を濫造しているからだ。紙だって貴重な資源である。一方で、ネット上にはジャンクな情報が氾濫している。書籍化するに足だけのコンテンツのみが書籍化されれば充分なのだ。また、町の本屋さんが消えていくことを嘆く人がいるけれども、そんなものは要らない。各地域の中核都市に、あらゆるジャンルの本を備えた超大型店が一つあれば済む話だ。

実際のところ、電子化されるべき領域では、すでに電子化されている。学術的な論文は、もはやほとんど冊子の形で出版されることはない。百科事典の類も不要だろう。新聞も、そのコストを考えれば、紙に印刷して配布するメリットはないと思う。つまるところ、自分の知りたい情報だけを得るのには、インターネットのほうが圧倒的に向いているのである。

けれども、紙の本を読むという作業は、それとは根本的に異なっている。読書の醍醐味は、読んでみないと、自分がどこに連れて行かれるかが分からないことである。読書は、身体性を伴う行為なのだ。紙の書物は、全体の位置を俯瞰的に知ることができ、読了したときには達成感が伴うのに対して、電子書籍なるものは、茫漠と広がる情報の海の中の1ピースに過ぎない。電子図書は、「読み終えた私」への小刻みな接近感を読者にもたらすことができない──この内田樹の指摘は、言い得て妙である。だから私は、決して電子書籍は読まないし、それが本の主流な形態になることもないだろうと思う。

中野三敏の文章が面白かった。書物は、これまでに二度の革命を経験している。一度目は写本から版本へ、二度目は版本から活版への移行である。驚くべきことに、明治以前の写本・木版本のうち、活字化されているのは1%ほどに過ぎないという。また、そのような書物は、楷書体の漢文著作以外はすべて、変体仮名と草書体漢字という「くずし字」で書かれている。現在、くずし字を読むことのできる「和本リテラシー」をもつ人は、日本に3千人ほどしかいない。これらの書物をすべてスキャンして電子化するプロジェクトが進行しているのかどうかは知らないが、活字化されていない書物に対しては、電子化は福音なのだ。(11/04/21読了)

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