読書日記 2012年

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街道をゆく18 越前の諸道 司馬遼太郎 朝日文庫 ★★★★☆

福井県(越前)は東京から遠く、関東人にとってはイメージが湧きにくい県の一つである。けれども、本書を読んでみて、その京都(畿内)からの微妙な距離感のために、歴史的に興味深い土地であることに気付かされた。越前は、古代、「越」(こし、元来は蝦夷の一種族を指す言葉であったらしい)と呼ばれた地域の中で他を圧して先進的であったという。

福井といえば永平寺が有名だが、司馬さんはそんなところには目もくれない。というか、「永平寺に近づくと、客を吐き出したバスが多くうずくまっていて、さらにゆくと、団体客で路上も林間も鳴るようであり、おそれをなして門前から退却してしま」うのである。代わりに司馬さんが訪れるのは、大野の山中にある宝慶寺だ。道元の弟子である中国僧、寂円は、永平寺の俗化に反対し、ひたすら道元の風を慕ってこの宝慶寺を建てたという。

司馬さんはまた、白山神社・平泉寺を訪ねる。古来より、越の人々は白山に対する信仰があった。その土着の神は、仏教という先進的な思想と混じり合って、「白山権現」となった。「本地垂迹」(ほんじすいじゃく)である。中世、ここは悪党の巣窟だったというが、その時代の歴史に疎いのでどうもイメージが湧かない。白山に登りに行くときに、訪れてみたいものである。

福井市は盆地にあり、丹生(にゅう)山地という600メートル級の山々によって日本海から隔てられている。「丹生」とは砂鉄を含んだ赤い土のことで、朝鮮半島からやって来た製鉄集団がここに住み着いた。彼らはまた、窯を使う須恵器を持ち込み、それが弥生式土器に取って代わることになる。秀吉の朝鮮侵略の際、多くの朝鮮陶工を連れ帰ったことにより日本陶芸が成立することになるが、ここ丹生山地だけはそのような技術革新の波から取り残され、「古越前」として後世に受け継がれたという。

意味不明な雲の表紙がなくなって、以前のような写真の表紙が復活したのは喜ばしい。しかし、巻頭の地図がごちゃごちゃして見にくいのは致命的である。須田画伯の手による、味のある地図に戻して欲しいものだ。(12/04/11読了 13/02/10更新)

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