読書日記 2012年

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天才の世界 湯川秀樹 聞き役 市川亀久彌 光文社知恵の森文庫 ★★★★★

「天才とはなにか」について考えているときに、この本に出会った。敬愛する湯川先生が、天才について論じている本があるとは知らなかった。とはいえ、これは湯川秀樹の著作ではない。湯川秀樹が4人の天才を選び、その一人一人を俎上に載せて、市川亀久彌という人が湯川秀樹から発言を引き出すという形を取っている。この市川亀久彌という人は創造性について研究していたらしく、「等価変換理論」という謎の理論を編み出したようだが、詳細はよく分からない。

この本で俎上に載せられている4人の天才とは、弘法大師(空海)、石川啄木、ゴーゴリ、そしてニュートンである。一見すると、ニュートンを除いては、やや意外なラインナップに思えるかもしれない。しかし、そうではないのだ。

石川啄木など、中学生の頃はこれっぽっちも共感できなかった。でも今であれば、やはり彼は天才だったのだと思う。啄木は26歳の若さで夭逝している。20 年ちょっとという人生は、何かを成し遂げるには短すぎる。にもかかわらず、彼がこういう歌を遺していることに、感動を覚えずにはいられない。

いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ

この4人の天才は、啄木ーゴーゴリ、空海ーニュートンという具合に対を成している。空海とニュートンは、どちらも万能型の天才だった。万有引力と微積分法を発見したニュートンは、工作も得意で、望遠鏡を作ったり、装置を自作して精密な光学の実験を行ったりしている。また晩年は、造幣局で実務家としての才能も発揮したという。そして、錬金術や聖書の年代記的考察など、今日の科学から見ればなんの価値もないような研究も行い、膨大な著作を遺している。ニュートンといえば、近代科学を作り上げた人というイメージで認識されているけれども、神秘主義的なものを引きずっていて、中世最後の大学者という側面も併せ持っていたという。「プリンピキア」はニュートンにとって、数学ということばで記した聖書だった。彼が考えていたのは、神の存在をも含む全自然学だったのである。

ニュートン力学はあまりにも完成されすぎていたため、力学に関しては、その後200年間はほとんど何も付け足すことがなかった。物理学史上のもう一人のスーパースター、アインシュタインもまた、一人で一般相対論というとてつもなく立派なものこしらえてしまった。そうすると、結局それを研究する人は少なくなる。これは、量子力学の世界では、ボーアに始まり、ハイゼンベルク、シュレーディンガーなどの物理学者が綺羅星のように現れたのと好対照をなしている。

そして湯川秀樹は、アインシュタインは空海に、ボーアは最澄に似ていることを指摘している。比叡山からは法然、親鸞、道元、日蓮など偉い人が続々と出た。一方、空海は、一人で全部やってしまったから、後の人は、空海がこしらえた体系を後生大事に守っていくことしかできなかった。天才とは、孤独な存在なのだ。

これら4人の天才には、多かれ少なかれ共通点があって、それは「内的葛藤・社会的矛盾・自己顕示欲」という風にまとめられている。このまとめも大変に面白い。でも実は、本書の主眼は、ケーススタディを通じて天才とは何かを定義することではない。それは、湯川秀樹に「天才」について語らせることを通じて、湯川秀樹という5人目の天才について語ることなのだ。実はこの本は、メタ的な構造をもっているのである。

この対談が行われたのは、1971〜72年である。物理学者のみならず、文学者としても深い素養をもつ湯川先生の偉大なる知性を前に、私はただひれ伏すばかりである。還暦を過ぎた湯川先生の、穏やかな京ことばの語り口も心地よい。名著だと思う。(12/12/07読了 13/02/10更新)

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