読書日記 2014年

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強い力と弱い力 大栗博司 幻冬舎新書 ★★★★☆

2012年7月4日、CERNが、126GeV程度の質量をもつヒッグス粒子(と思われる新粒子)の発見を発表した。そして翌2013年には、ヒッグス粒子の存在を予言したピーター・ヒッグスが、独立に同様の理論を提唱したフランソワ・アングレールとともに、予定調和的にノーベル物理学賞を受賞した。(実は、1964年に3グループ6人が同様の理論を提唱したが、このうち2人だけがノーベル賞受賞の栄誉に輝いた。)
そのようなわけで、一時のブームだろうけれど、にわかに素粒子論が熱くなった。素粒子論については、もう四半世紀も前にブルーバックスを読みあさったものだったが、この機にもう一度勉強し直してみたくなった。

ヒッグス粒子の発見によって、素粒子理論における標準模型が完成した。けれども、その理論は1980年代には完成しているので、四半世紀前の知識とほとんど変わるところはない。実際、本書の年表で、1990年代以降のできごとは

1995年 トップクォークの発見(デバトロン)
1998年 ニュートリノの質量を確認(神岡)
2001年 小林=益川理論の検証(KEK+SLAC)
2012年 ヒッグス粒子と思われる新粒子の発見(CERN)

の4項目に過ぎない。いずれも、理論からの予言を実験で検証したものである。(ただし、最小の標準模型では、ニュートリノの質量は0とされる。)

本書は小著ながら、標準模型を一通り説明してあり、かつ大変読みやすい。
ただ、ヒッグス粒子の話をクライマックスにもってきて盛り上げようとしたためか、強い力の話が弱い力の前に書いてあり、時系列と逆になっているのがやや confusing だった。
また、読みやすいことは、分かりやすいことを意味しない。本書のたとえでいえば、標準模型とは、何十年にもわたって増改築を重ねてきた老舗の温泉旅館のようなものだ。それは、何十人もの物理学者のアイディアがぎっしりとつまった、つぎはぎだらけの膨大な知の累積である。その片鱗だけでも、きちんと理解するのは非常に困難なシロモノなのだ。(まるで、有限単純群の分類の話を彷彿とさせる。)

標準模型は、あらゆる実験データを説明できる非常に精緻な理論であり、現在のところほころびは見られない。
著者曰く、標準模型は「人類の知の最高傑作」だという。
しかし、実のところ、標準模型はあまり美しくない。理論の中にパラメータが18個(ニュートリノに質量があることが分かったので、実際は25個)もあるのだ。
一般相対性理論が、ほぼアインシュタイン単独で築き上げた壮麗な理論であり、ただ一つの方程式で記述されるのとは対照的である。

面白いことに、「ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く」というキャッチーな副題(編集部が付けたのだろうけれど)とは裏腹に、ヒッグス粒子はさほど究極の粒子ではなく、質量の起源については何も説明していない、と著者は述べている。
マスコミでは、ヒッグス粒子のことを「神の粒子」などと呼んでもてはやしていたが、これは(ミューニュートリノやボトムクォークを発見してノーベル賞を受賞した)レオン・レーダーマンの著書、”God Particle”によるものだ。
レーダーマンは当初、”Goddamn Particle”(くそいまいましい粒子)という名前を提案したのだが、編集者に却下されてしまったというのだ。(邦訳は『神がつくった究極の素粒子』だから、なお悪い。)
ヒッグス粒子がなぜ Goddamn Particle かというと、質量が不明だったため、あらゆるエネルギー領域をしらみつぶしに調べる以外に方法がなく、なかなか見つからなかったからである。ヒッグス粒子の存在が予言されてから発見までに、実に48年もの歳月を要したのだ。

ヒッグス粒子は、質量の起源を説明するために考え出されたものではない。
ヒッグス機構は、質量を、ヒッグス場との相互作用の強さで置き換えただけである。それぞれの素粒子の質量が、第一原理から説明できるわけではないのだ。
上で述べた25個のパラメータのうち12個は、6種のクオークと6種の荷電レプトンの質量であり、実験で測定してみないと分からない値なのである。
また、われわれの身の回りにある物質の質量のうち、ヒッグス粒子が説明するのは、わずか1%にすぎない。物質の質量の大部分は陽子と中性子が担っているが、その陽子と中性子の質量のうち、クォークの質量はたったの1%しかないのだ!(アップクォークの質量は 2MeV 程度、ダウンクォークは 5MeV 程度であるのに対し、陽子、中性子の質量はそれぞれ 938MeV, 940MeV である。)
では残りの99%は何かというと、それは強い力のエネルギーである。

それでは、ヒッグス粒子とはそもそも何なのだろうか?

* * * * *

話は1929年に遡る。ハイゼンベルグとパウリは、量子力学と特殊相対論を組み合わせて「場の量子論」を提唱した。しかし、場の量子論は、訳の分からない無限大が出てくるという問題があった。
1948年、朝永振一郎、ファインマン、シュウィンガーの3人は独立に、この問題を「くりこみ」によって解決した。(この3人は、1965年にノーベル賞を受賞している。)
1954年、ヤンとミルズは、マックスウェルの電磁気理論の拡張し、非可換なゲージ理論(ヤン=ミルズ理論)を提唱した。
ヤン=ミルズ理論の大きな問題点は、光子のような質量0のボソンが出現してしまうことであった。質量0のボソンは、光子以外には知られていなかったからである。

この困難を解決したのが、1960年に南部陽一郎が提唱した「自発的対称性の破れ」(spontaneous symmetry breaking)である。
それにしても、物理学用語というのはなかなか洗練されていて、洒落ていると思う。

このアイディアは、意外なことに、超伝導の研究に由来する。
超伝導が発見されたのは1911年である。1933年には、マイスナーが、超伝導状態の物質には磁力線が入り込めないという「マイスナー効果」を発見した。マイスナー効果は、超伝導物質中では「光が重くなる」(光子が質量をもつようになる)と解釈することによって、うまく説明することができた。
超伝導が理論的に説明されたのは1957年のことである。この理論は、提唱者バーディーン、クーパー、シュリーファーの頭文字をとってBCS理論とよばれる。(この3人は1972年にノーベル賞を受賞している。)
BCS理論によれば、超伝導状態の物質中では、電子はクーパー対を形成してボソン化し、最低エネルギー状態に凝集する。
1960年に南部陽一郎は、超伝導状態とは対称性が自発的に破れた状態であることを見抜いた。そして、対称性が自発的に破れると、南部=ゴールドストーン・ボソンと呼ばれる質量0の新しい粒子が出現することを見出した。光子は南部=ゴールドストーン・ボソンと絡み合って、質量を獲得することができる。

1964年、この「自発的対称性の破れ」のアイディアを素粒子論に応用したのが、ヒッグスら6人の物理学者であった。
理論にヒッグス場という新しい場を付け加えてやれば、質量0の南部=ゴールドストーン・ボソンを出現させることなく、対称性を自発的に破ることができる。ヒッグス粒子は、その理論のおまけとして、現れてくるのである。
そして1967年、ワインバーグとサラムは独立に、「ヤン=ミルズ理論+ヒッグス場」こそが、弱い力の説明を与えることに気づいた。(この2人は、グラショウとともに1979年にノーベル賞を受賞している。)
ヤン=ミルズ理論に現れる質量0のボソンは、ヒッグス場の対称性が自発的に破れることによって質量を獲得する。これがウィークボソンである。
こうして、弱い力は電磁気力と統合された。これを電弱統一理論(ワインバーグ=サラム理論)という。

強い力が、ヤン=ミルズ理論によって説明されたのは、その後である。
まず、1971年にトフーフトとベルトマンが、ヤン=ミルズ理論がくりこみ可能であることを示した(1999年ノーベル賞受賞)。
そして、1973年にポリッツァー、グロス、ウィルチェックの3人が、「漸近的自由性」(asymptotic freedom)と呼ばれる性質を示した(2004年ノーベル賞受賞)。これによって、距離が遠ざかれば遠ざかるほど引力が強くなるという、強い力の特徴的な性質が説明された。
クォークだけでなく、グルーオンも閉じ込められている。そのため、グルーオンの質量は0であるにもかかわらず、決して観測されないのである。
なお、クォーク閉じ込めの厳密な証明は、今日に至るまでなされていない。これは「ヤン=ミルズ方程式の質量ギャップ問題」と呼ばれる。懸賞金100万ドルが掛けられた「ミレニアム問題」の一つに数えられている超難問である。 (14/03/14読了 14/10/13更新)

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