読書日記 2020年

Home > 読書日記 > 2020年

ネアンデルタール人は私たちと交配した Svante Pääbo 文藝春秋 ★★★★★

古代ゲノム学(paleogenomics)という学問を独力で創り上げた、スバンテ・ペーボの半生記。

そもそもきっかけは、ミイラだった。13歳のときに母親にエジプトに連れて行ってもらい、すっかり古代エジプトに魅せられてしまった。
大学でエジプト学を勉強するも、あまりエキサイティングな学問ではないと気付いたペーボは、医学部に進学する。そこでDNAクローニングの技術を習得し、この技術を使ってミイラのDNAを解析できないかと考える。そうすれば、古代エジプト人と現在のエジプト人がどういう関係にあるかなど、伝統的なエジプト学には答えられない謎に迫れるかもしれない。
新しい学問は、ゼロから創られるのではなく、一見関係なさそうな二つの分野を融合するところから始まるのだ。
ペーボが最初にやったことは、スーパーで新鮮なレバーを買ってきて、研究室のオーブンで熱することだった。ペーボは秘密裏に実験を行うつもりだったが、たちまち研究室には焦げ臭い悪臭が立ち込め、ラボのメンバーにばれてしまったというエピソードが好きだ。でも、教授にまで伝わらなかったのは幸いだった。

ペーボは、エジプト学の講義を聴講することで得たツテを駆使して、ベルリンの博物館からミイラの組織片を手に入れてくる。教授にばれないように深夜と週末に実験を繰り返し、ついにミイラからDNAを抽出してクローニングすることに成功した。
その結果をまとめた単名の論文は、1985年に Nature に掲載された。
ペーボは、投稿する直前に、恐る恐る指導教授に原稿を見せに行った。教授は驚きつつも、笑って許してくれたという。そして、自分の預かり知らぬところで進められた論文の共著書になることを固辞した。
このとき教授が激怒していたら、古代ゲノム学の歴史は別のものになっていたかもしれない。
とはいえ、本業の免疫の研究をサボっていたわけではない。そちらのテーマでも、ちゃんと Cell にファーストオーサーの論文を出しているから凄い。

その Nature の論文が、アラン・ウィルソンの目に止まる。ウィルソンは、有名な「ミトコンドリア・イブ仮説」を提唱した当代一の進化人類学者だ。
ペーボはそのときまだ博士号ももっていなかったが、ウィルソンから「ペーボ教授のもとでサバティカルを過ごさせていただけないでしょうか」という丁重な手紙が届いたという。まるで漫画のような展開だ。
結局、ペーボはウィルソンの研究室のポスドクとして、この道で研究を続けることになる。

でも実は、ペーボの運命を動かした1985年の Nature 論文は、誤りだった。ペーボがミイラのDNAだと思い込んでいたものは、実験室でコンタミしたヒトのDNAだったのだ。
ミュンヘン大学に研究室を構えたペーボは、コンタミを減らすためにパラノイア的な努力を続ける。そしてようやく、シベリアのマンモスからミトコンドリアDNAを抽出することに成功する。
その一方で、ペーボの努力をあざ笑うかのように、他の研究室からセンセーショナルな論文が NatureScience に立て続けに出版された。曰く、1700万年前のモクレンの葉の化石からDNAの抽出に成功、琥珀に閉じ込められた3000万年前のシロアリからDNAの抽出に成功・・・。そしてついには、8000万年前の白亜紀の恐竜の骨からDNAを抽出し、遺伝子の配列を決定したという論文まで現れた。
だがそれは、実際には、ヒトのDNAのコンタミに過ぎなかった。こんないい加減な論文が NatureScience に掲載されてしまうとは驚きである。

ペーボは、とにかく行動力が凄い。
世界で誰もやっていないことを成し遂げるためには、なにより人間のネットワークが大切なのだ、ということがよく分かる。
ペーボは最高のメンバーをリクルートし、最高の化石にアクセスし、他に先駆けて、開発中の最新の装置を使うことができた。
そうして、2010年に、単独の研究室でネアンデルタール人の全ゲノム配列を決定するという偉業を成し遂げたのである。

その解析結果は驚くべきものだった。ネアンデルタール人から現生人類の一部─ヨーロッパ人とアジア人─にDNAが受け継がれていたことが明らかになったのだ。つまり、ネアンデルタール人は、私たちの祖先と交配したのだ!
ペーボのグループは同じ年に、デニソワ人の全ゲノム配列も決定している。
本書はここで終わっているが、この物語はまだまだ続く。その後わずか10年の間に膨大な量の論文が出版され、我々のヒト進化に関する知見は劇的に深まった。

本書は、物語としても大変面白く、一気に読んでしまう。ペーボはバイセクシュアルで、共同研究者と三角関係になったりと、プライベートなことも赤裸々に書かれている。
そしてその裏には、膨大な量の仕事がある。論文数の多さもさることながら、一つ一つの論文を読んでみると、それぞれが新しいアイディアに溢れ、そのクオリティの高さに驚かされるのだ。
なんと濃密な人生だろうか。(20/02/03読了 20/03/10更新)

前へ   読書日記 2020年   次へ

Copyright 2020 Yoshihito Niimura All Rights Reserved.