読書日記 2021年

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空海の風景(上)(下) 司馬遼太郎 中公文庫 ★★★★★

いったい司馬遼太郎以外のどんな作家が、空海を主人公とした「小説」を書くことを夢想し、かつ実現し得ただろうか

という大岡信による解説の一文が、すべてを物語っている。
日本史上、実在した人物の中で、弘法大師・空海ほど個人として崇拝を集めた人はいないだろう。だが、幕末の志士や戦国武将ならともかく、千数百年前に生きた空海は、司馬遼太郎をして「その遠さは、彼がかつて地球上の住人だったということすら時に感じがたいほどの距離感である」と言わしめるほどに遠い存在である。
空海を主人公に据えて、その肉声に語らせようとすれば、どうしても嘘くさく、安っぽいものになってしまうだろう。そこで司馬遼太郎は、「空海のいる風景」もしくは「空海の見た風景」を描くことによって、その輪郭を浮かび上がらせようとした。

 この稿の題を、ことさら「風景」という漠然とした語感のものにしたのは、空海の時代が遠きに過ぎるとおもったからである。遠いがために空海という人物の声容をなま身の感覚で感じることはとうてい不可能で、せめてかれが存在した時代の──それもとくにかれにちなんだ風景をつぎつぎに想像してゆくことによって──あるいはその想像の風景の中に点景としてでも空海が現れはしまいかと思いつつ書いてきた。

空海は、日本の歴史上では稀有な、「万能の天才」だった。
本書を読んで、「天才の成立」ということについて考えずにはいられない。
無名の乞食僧だった空海が「留学生(るがくしょう)」の立場で遣唐使船に乗船できたこと──まるで、無名の博物学者だったダーウィンがビーグル号に乗船できたように──、秀才・最澄と同時代を生きたこと、航海中に暴風雨に遭い、海上を34日間も漂流しつつも大陸にたどり着いたこと──当時の日本の造船技術と航海術では、遠洋への航海は極めて危険なものだった。五島列島を同時に発った4隻のうち2隻は海の藻屑と消え、空海の乗った第一船と最澄の乗った第二船のみが唐に到達できた──、世界の都・長安に、その最も華やかなときに滞在できたこと、長安において、金剛頂経系と大日経系の両方を受け継ぐ世界唯一の密教僧、恵果に、その死の7ヶ月前に出会ってただちに灌頂を受けたこと、唐に20年滞在する予定を2年間で切り上げ、日本に戻る遣唐使船に潜り込めたこと──その後30年間遣唐使船は送られなかったから、この機会を逃せば空海は二度と再び日本の土を踏むことはできなかった──、それらすべてのことが、奇跡のように絡み合って空海を歴史の舞台に押し上げたのである。
空海の乗った遣唐使船は閩の地(現在の福建省)に漂着し、藤原葛野麻呂以下、乗組員は罪人として湿沙の上に引きずり下ろされた。このとき、空海が葛野麻呂に代わって砂上でしたためた一幅の書によって唐の大官の態度が一変し、来賓として手厚く遇されるようになるシーンは、しびれる。このとき歴史が動いたのだ。

命を賭してまで彼らが手に入れたいと願った仏教の経典とは、いったいどういうものなのか。聖書や聖クルアーンについてなら少しは知っているが、仏教の経典に何が書かれているか、ついぞ考えたこともなかった。
我が家は真言宗の檀家だから、法事のとき、まるで拷問のように感じ、ひたすら早く終わることだけを願っていたお経は、実は理趣経だった。
理趣経には

妙適淸淨句是菩薩位 びょうてきせいせいくしほさい
慾箭淸淨句是菩薩位 よくせんせいせいくしほさい
觸淸淨句是菩薩位  しょくせいせいくしほさい
愛縛淸淨句是菩薩位 あいはくせいせいくしほさい

というフレーズがある。この理趣経こそが、空海のもたらした真言密教の深奥とも言えるものであり、空海と最澄を絶縁せしめた原因でもあるのだ。

空海はまた、書の天才でもあった。同時代を生きた、橘逸勢(本書では矮小な人物として描かれている)、嵯峨天皇と共に、「三筆」と並び称される。
空海と最澄の直筆の往復書簡が、千年の時を経て今なお現存しているということに、感動を覚えずにはいられない。

なにが「名著」かということは人それぞれだろうが、その人に多大なインスピレーションを与えてくれる本が名著だとするならば、本書は、紛れもなく名著である。
まだ、世の中に、こんなにも知らないことが残されていたことが嬉しい。(21/06/26読了 21/07/04更新)

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