寺よ、変われ ★★★★☆ 高橋卓志 岩波新書
いろいろと考えさせられる本である。
観光地の有名な古刹を訪れ、仏像を拝む。1400年以上の長きにわたり連綿と受け継がれてきた日本仏教は素晴らしいものだし、これを後世に引き継いでいかなければならないと誰もが思うだろう。
だが、現代日本における仏教のあり方というものに思いを巡らすと、途端に幻滅を覚える。
はっきり言って、現代日本において、仏教は堕落しきっている。
「檀家」という奇妙なシステムがいつごろ成立したのかわからない。だが、人は必ず死ぬのだから、お寺はこのシステムに守られて、ほっといてもカネが入ってくる構造になっている。お寺の家に生まれれば、ロクに修行しなくても、偉そうに袈裟を着てお経を唱え、適当な戒名を捻りだしていさえすればいいのだ。
こんな仏教なら滅びてしまえばいい、と思う。
最大の問題は、坊さんを尊敬できないことだろう。もちろん、世の中には立派な僧侶もいるだろうが、お寺も坊さんも、こんなにたくさんいらない。
著者は、ニューギニア西部のビアク島で玉砕した日本兵の供養に付き添い、慟哭する遺族の姿を目の当たりにしたのをきっかけに、「苦しんでいる人に寄り添う、生きた仏教」を目指してさまざまな社会活動を始める。
まさに孤軍奮闘である。こんな僧侶が増えてくれれば仏教は蘇るだろうが、ほとんどの坊さんには、著者のようなことは期待できないだろう。
年を取ると、身内の葬儀に参列する機会も増える。そして、故人は、果たしてこのような葬儀を望んでいただろうか・・・と思ったりする。
結婚式は当事者の個性が尊重されるのに、葬儀は、滞りなく執り行うことが何よりも重視される。でも、葬儀だって、もっと故人の意思を反映したものであるべきだ。
自分だったらどういう葬儀がいいだろう?少なくとも、破戒僧(つまり、日本のほとんどすべての坊さん)に戒名をつけられることだけは避けたい。(21/07/17読了 21/07/18更新)