読書日記 2022年

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プーチンの実像 ★★★★☆ 駒木明義・吉田美智子・梅原季哉 朝日文庫

本書は、多くの人にインタビューしてプーチンの人物像を炙り出したものだが、2019年という絶妙な時期に出版されているが良い。
この直後に、コロナによって世界は分断され、戦争が始まってからはロシアに行くことさえままならなくなってしまったから、これは貴重な記録と言える。

意外にも、本書では、プーチンは魅力的な人物として描かれている。
今や信じられないことだが、プーチンには「人たらし」の天賦の才があるという。とりわけ年配者は、みんなプーチンの魅力にとろけてしまった。
2000年、大統領就任前のプーチンに会った森喜朗元首相もその一人で、プーチンの細やかな気配りに強い印象を受けたという。イタリアのベルルスコーニも、ドイツのシュレーダーも、フランスのサルコジもそうだった。アメリカの小ブッシュにさえも、「彼は非常に素直で信頼できる」と言わしめた。
そんなプーチンだったが、2012年に4年ぶりに大統領に返り咲いたとき、G8には気心の知れた首脳は誰もいなくなってしまっていた。

プーチンがKGB出身なのは有名な話だが、一介のスパイがいかにして権力の頂点に上り詰めたかというのは興味深い。
プーチンは東ドイツのドレスデンで、ベルリンの壁が崩壊するまさにその現場に居合わせた。その後、故郷のレニングラード(現サンクトペテルブルク)に帰ったプーチンは、縁あって改革派の市長サプチャークの元で働くことになる。 副市長に抜擢されたプーチンは、サプチャークの片腕としてバリバリ働いた。そして、今や信じられないことだが――プーチンは、レニングラードを「ヨーロッパに開くロシアの窓」のような開放的な都市へと改革した。
プーチンは、共産党のソ連に未来はないと考えていた。ソ連解体を阻止しようとする保守派がクーデターを起こし、ゴルバチョフを軟禁したときも、プーチンは改革派の側についた。
サプチャークが市長選に敗れると、強い忠誠心を示したプーチンも、一緒に市庁舎を去った。
しばらくプー太郎だったプーチンは、モスクワで大統領府総務局次長という地味なポストを得る。そしてその後、驚くべきスピードで出世を遂げることになるのだ。
連邦保安局(FSB)長官になったプーチンは、ここでも大統領エリツィンに対して絶対的な忠誠心を示す。スキャンダルによって首相が失脚すると、プーチンがその後任として任命された。第二次チェチェン紛争において容赦ない攻撃を行ったプーチンは、「強いリーダー」として確固たる支持を得ることになる。
そして、1999年12月31日、エリツィンが電撃的に辞任するのに伴って、ついに大統領代行に就任するのである。モスクワにやってきてからわずか3年4ヶ月だった。

2期8年で引退していれば、プーチンはロシアを復活させた優れた指導者として歴史に名を残すことになっていただろう。
権力とは、かくも人を狂わせるものなのか。(22/10/19読了 23/11/12更新)

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