読書日記 2025年

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限界の国立大学 ★★★★☆ 朝日新聞「国立大学の悲鳴」取材班 朝日新書

国立大学──とりわけ、地方の国立大学──の窮状は、目に余るものがある。
とはいえ、その惨状は外からは見えにくい(構造的に、大学がそれを積極的に外部に発信することはない)から、この問題が一般に知られていないのも無理はない。
よくぞ、この本を世に出してくれたと思う。

日本の研究力の衰退は、火を見るより明らかだ。
上位10%のインパクトのある論文数は、2004年には世界4位だったが、2024年には13位にまで後退した。にわかには信じ難いが、これはイランよりも下なのである。

諸悪の根源は、2004年の大学法人化だと思っていた。だが、必ずしもそうとばかりも言えないらしい。
国立大学は、小泉構造改革の際に槍玉に上げられた。その時、理研やJAXAと同じように、独立行政法人になる可能性もあった。それを文科省が阻止したのだという。
今にして思えば、私が学生だった1990年代、大学は(学生だけでなく)教員にとってもパラダイスだった。確かに、授業に毎回30分遅刻してくる教授とか、昼間から飲んだくれてる教授とかがいたのは事実だ。でも、大学教員は研究が大好きなので、放っておけば論文を書くのである。
法人化は、そんな「聖域」にメスを入れたかったのだろう。法人化に対する批判は、「古き良き時代」へのノスタルジアに過ぎないのかもしれない。

だが問題は、2005年から、運営費交付金を毎年1%ずつ削減していったことである。光熱費など、物価は年々上昇していくのだから、この政策はどう考えてもおかしい。
これに輪をかけてひどいのが、2019年に導入された、大学間で競争させて運営費交付金に格差をつけるというシステムだ。上位の大学にインセンティブを与えるのはまだしも、下位の大学には罰を与えるという実にエゲツない制度なのだ。天下の愚策である。

さらに問題なのは、疲弊する大学教員の姿を目の当たりにして、若者がアカデミアを目指さなくなったことだろう。
今後も、日本の研究力低下は避けられない。日本は、自滅への道を辿っているとしか思えない。(25/01/12読了 25/05/26更新)

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