2001年 42冊

(★〜★★★はお薦め度

「天の瞳 -少年篇 I,II-」 灰谷健次郎 角川文庫 ★★☆
    倫太郎は、愉快な仲間たちとともに中学生になった。ここまでカッコ良く生きられるわけはないと思う。世の中、「優しさ」だけでは立ち行かない部分もある。それでも、灰谷健次郎は、絶望の果てにここに辿り着いたのだということを忘れてはならない。('01.12.10)
「ダライ・ラマ自伝」 Dalai Lama 文春文庫 ★★★
    ダライ・ラマは、あるいは超一流の書き手という訳ではないかも知れない。だが、どうか途中で投げ出してしまうことをせず、最後の3章だけでもいいから一読することをお薦めする。

    かつて中国政府は、チベットにおいて数々の残虐行為を行ってきた。何十万というチベット人民を虐殺し、無数の寺院を破壊し、貴重な文化財を略奪した。圧倒的多数の漢人をチベットに移住させることによって、チベットの民族と文化を抹殺しようという政策は現在でも続いている。実際にチベットを訪れ、中国による植民地支配の現状を目の当たりにしてきた私には、それを世間に知らしめる義務があるだろう。

    しかし、ダライ・ラマは偉大である。彼は言う。「・・・わたしは憎しみでこのような酷い事実を語っているのではない。起こったことは起こったのだ。だからこそ未来を見つめて生きて行くしかないといいたいのだ。」

    ダライ・ラマは何とユニークで愉快な発想をする人だろう。彼は、チベット全土を平和公園にすることを提案している。そうすれば、中国とインドという世界第1・第2の人口を擁する大国の緩衝地帯としての役目を果たすこともでき、一石二鳥というわけだ。この考え方が無邪気だとか、理想主義だとか言う人は、資本主義に毒されているだけだ。政教一致のチベットならば、本当に実現できそうな気がする。広大な国土を有するチベットでこれが実現したら、地球環境、ひいては人類に及ぼす影響は計り知れないだろう。

    仏教徒こそ、真の平和主義者である。大体歴史を繙いてみても、世界中でドンパチやっている連中はみんな一神教を信奉する連中ではないか(戦前の日本を含めて)。なんていうと、当のダライ・ラマは顔を顰めるのだろう。ともあれ、社会主義が挫折し、資本主義も閉塞している現在において、仏教的世界観こそが21世紀を生きる処方箋であるように思えてならない。('01.12.2)

「家族の標本」 柳美里 角川文庫 ★★
    ひとつひとつ丹念に押し花を作っていくように蒐集された、「不幸な」家族の標本。悪趣味といえばそうで、筆者がプライバシーの侵害で訴えられるのも頷ける。でも、人間とは他人の不幸を見て自分も「ソンナニヒドクナイカモヨ」と思って安心する生き物だから、これでいいのだ。('01.11.21)
「立花隆先生、かなりヘンですよ」 谷田和一郎 洋泉社 ★★
    他人の仕事を批判する仕事というのはあんまり生産的ではないが、この本は結構面白い。

    立花隆の著作の質が落ちたのは確かだと思う。私もかつては、立花隆ワールドにどっぷりと浸かっていた。「精神と物質」は、揺らいでいた私の心をサイエンスの世界に引き戻してくれた思い出深い本だったし、生物物理若手の会・夏の学校では、「人間とは何か」をテーマに「サル学の現在」「脳を究める」にちなんだ人を呼んできたこともあった。だけど、「脳を鍛える」を読んだときには、彼の傲慢さが鼻につくようになった。エラそうなこと言ってるけど、自分は言うほど教養があるのか、と。特に、物理学に関する記述は薄っぺらだった。

    この本だけを読むと、立花隆って何ていい加減なことを書いているんだろうと唖然とする。しかし、実際に彼の著作を読んでみるとそれほどひどい印象を受けないのは、彼の著作が読み易いために、じっくりと読む必要がなくて流し読みしてしまうというトリックがあるからだろう。

    立花隆がこの本に対してどう反論に出るのか、楽しみである。('01.11.16)

「文明の衝突と21世紀の日本」 Samuel P. Huntington 集英社文庫 ★★☆
    この本の主張は、多分正しい。つまり、どこぞのエコノミストが言うような、「グローバリゼーションが進み、インターネットが世界を結びつけ、英語が世界語になる」なんていう21世紀像はウソである。

    現在唯一の超大国であるアメリカは、京都議定書や核廃絶決議案の例が示す通り、もはや尊敬される国ではなくなりつつある。NYでの例の事件は、アメリカ凋落の始まりの象徴として記憶されることになるのかもしれない。それどころか、いずれアメリカという国自体が内部から崩壊するのではないか、という気さえする。社会主義という壮大な実験が失敗に終わったように、アメリカ社会の存在そのものが極めて不自然なもの思えてくる。

    この本曰く、現在世界には7つないし8つの異なる文明がある。それは、西欧文明、東方正教会文明、中華文明、日本文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、ラテンアメリカ文明、そしてアフリカ文明である。ラテン・アメリカは一つの文明か、仏教文明はこの中に含まれないのか、あるいは、なぜフィリピンやニューギニアが西欧文明なのか、などいくつかの疑問はある。しかし注目すべきは、日本文明が西欧文明や中華文明と並んで一つの独立した文明であるという点である。そして日本文明は、国家と文明がほぼ完全に一致しているという点で特異である。この身軽さによって、日本文明は2000年近くも存続してきたし、世界で初めて西欧化せずに近代化することに成功したのである。しかし著者の指摘通り、なるほど日本には、イスラム社会のネットワークに見られるような、近親間を覚える仲間の国がない。日本は孤立しているのだ。

    この本の予言に従えば、21世紀は再びキナ臭い時代になるだろう。戦争は全く肯定しないが、多様化へと向かう方向性そのものは、一色に塗りつぶされたノッペラボーの世界よりもはるかに健全だと思う。('01.11.13)

「数学者の言葉では」 藤原正彦 新潮文庫 ★★☆
    筆者は新田次郎の息子。数学者にしてエッセイストという、私の理想とするタイプの人物である。でも最近のオレと来たら、「忙しさは心を亡ぼす」ってな感じで、もうエッセイなんて書けっこないや。

    「面白い、非常に面白い」という父・新田次郎の評価通り、つい声を出して笑ってしまう。「作家になるための条件は、名文を書く力ではない。読者を引っぱって行く力である」。

    筆者曰く、学問を志す人の性格条件は、
    1.知的好奇心が強いこと
    2.野心的であること
    3.執拗であること
    4.楽観的であること
    だそうだ。何だか全部当てはまっているような気がして、嬉しくなってしまった。

    最後に一つ、箴言を書いておこう(自戒を込めて):「生命を燃焼させなければ真理は見えてこない」。('01.11.7)  

「槍ヶ岳開山」 新田次郎 文春文庫 ★★☆
    槍ヶ岳に初登頂したのは、修行僧播隆と案内人の中田又重郎であり、1828年(文政11年)のことだった。ザイルもハーケンもない江戸時代にこの偉業を成し遂げたのだから大したものだ。日本において、山登りとはすなわち信仰登山だった。でも、山の頂には何かがある、という宗教的な感覚は西洋流のアルピニズムにおいてもきっと共通で、登山とは人類にとって普遍的な営為なのだろう。ブロッケン現象を阿弥陀如来の来迎と見るような感覚は、我々はとっくに失ってしまったが。

    山岳小説と歴史小説を見事に融合させ、しかも人間模様を適度に織り交ぜて小説として実に面白く仕上がっているのは、流石に新田次郎のなせる技である。('01.10.27)

「方向オンチの科学」 新垣紀子・野島久雄 講談社ブルーバックス
    私は方向オンチを自認しているので、思わず買ってしまった。でも残念ながら、この本はほとんど内容がない。どうもブルーバックスは年々質が低下しているようだ(「デスマス体」はウザい。余白も多過ぎ。もっと紙質を下げて値段を安くすべき)。

    著者の主張は今ひとつはっきりしないが、どうも「本当は"方向オンチ"なんてない」という自己否定であるように思われる。しかし、方向感覚の善し悪しという人間を測る尺度は厳然として存在する訳だし、都市生活者にとっての方向オンチは単なる笑い話のネタに過ぎないかもしれないが、山での道迷いは遭難に繋がる可能性がある(現に繋がった)のだから、そんな悠長なことは言っていられないはずだ。('01.9.27)

「空へ」 Jon Krakauer 文春文庫 ★★★
    筆者はアウトドア誌のライター。ガイド登山の実態をレポートするため、顧客としてエヴェレストへの商業登山隊に参加する。しかしその結果は、12人が遭難死するという惨憺たるものだった。

    どうしてこんなことになったのか?理由は明らかである。実力がなくても、カネ(一人6万5千ドル)さえ払えば誰でも連れて行ってもらえるのだ。ルート工作や荷揚げを全てやってもらって、張り巡らされた固定ロープを伝って頂上まで引っ張り上げられることに何の意味があるんだろう。それに、エヴェレストの山頂なんていうのは、たとえ到達できたとしてもとても感動できるような場所ではないらしい。

    結論は、「山になんか登るな」ということだろう。「チョモランマ」とは、「世界の母なる女神」。神々の領域に土足で踏み込んで、女神を陵辱するからこんなことになるのだ。ヒマラヤはすっかり穢されてしまった。そして、その地に昔から住むシェルパ達も醜い欧米流の価値観に毒されてしまった。

    この本は一気に読めてしまうが、読んだ後は実に暗澹とした気分にさせられる。何の希望も与えてはくれないが、現状を知っておくことは必要である。('01.9.16)

「冒険物語百年」 武田文男 朝日文庫 ★★
    49人の冒険家の生涯を、小辞典風にコンパクトにまとめた本。もう冒険は死んだ。旧き良き時代(20世紀)のお話である。('01.9.12)
「知っておきたい薬の常識」 平山令明 講談社現代新書
    普段健康なときは気にならないが、たまに変な菌に感染したりすると、医学・薬学的な知識の必要性を感じる。という訳で読んでみたが、具体的な話が少なく、特に後半は「薬の社会学」みたいであんまりためにならなかった。('01.9.9)
「新編 銀河鉄道の夜」 宮沢賢治 新潮文庫 ★★☆
    「双子の星」「よだかの星」そして「銀河鉄道の夜」。美しいなぁ。「カイロ団長」「ひのきとひなげし」「シグナルとシグナレス」 etc.、賢治の想像力と自然への温かいまなざし。たまには、夜空の星を見上げてみるのもいいかもね。('01.8.30)
「言語の興亡」 R. M. W. Dixon 岩波新書 ★★☆
    この本の主張は二つある。一つは、言語の変化に関する「断続平衡モデル」の提唱である。断続平衡説(punctuated equilibrium)というのは、1972年にGouldとEldredgeによって提唱された生物の進化に関する仮説であるが、ここでいう断続平衡モデルというのは要約すると次のようなことらしい。系統樹的な言語の分岐モデルや「語族」という概念が適用できるのは、自然環境の変化、移住、異民族の侵入などによってもたらされる中断期のみであり、このとき言語の多様性は増大する。人類史の大部分の期間は平衡期であり、このときにはある地域の様々な言語はゆっくりと一つの方向に収束していき、多様性は減少する。例えばオーストラリアにおいては、5万年にわたる悠久の平衡期を、260程度の言語が共存しながら過ごしてきたが、1788年に始まる白人の侵略によって急激に中断期に移行した。しかし、現在まで続く西洋近代文明による世界征服のプロセスは中断期をもたらしたはずなのに、今日言語の多様性は急速に減少しているので、何だか矛盾しているような気がする。

    第二の主張は次のようなものである。急速に言語の多様性が失われつつある現在、言語学者は何よりもまずフィールドワークに出かけ、未知言語の記載につとめるべきである。さもなくば、数多くの言語は人知れず永久に消滅することになるだろう。この点は大賛成である。だが、保全言語学というのは保全生物学より難しそうだ。「生物の多様性を守るべきだ」という命題は現代社会の価値観ではほとんど誰が見ても正しいのだが、言語の場合はそうはいかない。話し手が、地域社会だけで通用する母語を自ら進んで放棄して、より優勢な言語のみで子供に話しかけるという現象は世界の到るところで起こっている。言語の多様性の減少という現実は、残念ながら、決して食い止めることはできないのだ。

    今日の、(特に南北アメリカ大陸・オーストラリアの)言語の大量絶滅をもたらしたのは白人による侵略に他ならない。さてここで、キリスト教宣教師の存在について考えてみたい。21世紀の現在においてもなお、キリスト教宣教師は東南アジアやアマゾンのジャングルの奥地に分け入って、学校を造ったり、洋服を着ることを奨励したりしている。しかし、こんなことは早急に禁止すべきだと思う。たとえ宣教師が先住民の文化を最大限に尊重して、先住民の言語を記録することでその保護に一役買ったとしても、キリスト教の布教そのものが先住民のアミニズム的な信仰を破壊するのだから悪であると言いたい。現代の世界においては、キリスト教の教えを広めるよりも、地球上に残された貴重な先住民コミュニティーの文化を保護することの方が遙かに大切なのではないだろうか?

    言語学、特に比較言語学を志そうと思ったら、まずは語学を修得しなければならない。複数の言語をマスターしていなければグローバルな研究はできないのだから、言語学者は大変である。しかしそれでもなお、一人の人間が地球上のあらゆる言語に精通することは不可能だから、言語学の統一理論なんて決してできそうにない。('01.8.11)

「言葉のレッスン」 柳美里 角川文庫 ★★
    作家と呼ばれる人たちは、言葉を大切にするんだなぁと思った。言葉の美しさを鑑賞できる、ココロのゆとりを忘れずに生きたいものだ。('01.8.2)
「インカを歩く」 高野潤 岩波新書 ★★
    アンデスの山中に残る伝統文化というのは、雪山の山頂に十字架を立てたり、雄牛とコンドルを戦わせてみたりといったもので、既にスペインが敵か味方か分からなくなっている。残念ながらインカは現在には繋がっていなくて、遺跡の中の存在でしかない。('01.7.27)
「愛を乞うひと」 下田治美 角川文庫 ★★☆
    父親の遺骨を探す旅を通して、次第に明らかになってゆく照恵の生い立ち。母からの折檻(せっかん)の場面は超リアル。('01.7.19)
「アフリカで寝る」 松本仁一 朝日文庫 ★★
    記者として、長年アフリカに暮らしてきた著者によるエッセイ。人種差別、治安は最悪、衛生状態も最悪、ダニ・シラミの襲撃、売春婦、干魃、内線・・・。この本を読む限り、アフリカは、およそ訪れたくなるような所ではない。マサイの戦士(モラン)たちと野宿する場面を除いて、希望というものが全く感じられない。アフリカは黒人たちの手に戻ったけれど、政治は腐敗し、ごく一部の上層部の人間にのみ富と権力が集中する。あるいはヨーロッパ人による植民時代の方がまだマシだったのかも知れない。でも、人類はアフリカで発祥し、それこそ何十万年も、部族社会としてうまくやってきたじゃないか。こんなアフリカに誰がした?と、怒りがこみ上げてくるが、何の行動も起こそうとしない私に怒る資格はない。('01.7.14)
「宇宙からの贈りもの」 毛利衛 岩波新書 ★★☆
    毛利さんの人柄が偲ばれる良い本である。宇宙が、冒険の対象ではなく、ましてや国威発揚の場でもなくなった現在、「宇宙開発」なんてもう20世紀的で古くさいんじゃないか、他にもっとやるべきことがあるんじゃないか、という考え方もあろう。だけど、地球の大切さを実感として感じる一番の方法は、きっと宇宙から地球を眺めることなんだろう。今宇宙に行くことの意味は、そこにあるんじゃないか。それと、宇宙ステーションなんか造ったところで、一体誰が住みたがるんだろうと思っていた。でも翻って考えてみれば、現代文明の居住空間だって宇宙ステーションと変わらないくらい充分バーチャルではないか。この指摘はなるほどと思った。さすがに実際に宇宙に行った人の言葉は説得力がある。('01.7.7)
「四人はなぜ死んだのか」 三好万季 文春文庫 ★★☆
    これ、スゲー。和歌山の毒入りカレー事件をめぐる、保健所・警察・病院の怠慢を告発する。筆者は何と中学3年生!もとは夏休みの宿題だったのだが、それをいきなり文藝春秋に持ち込むあたりが渋すぎる。どうしたらこんな子が育つんだろう、とうこともちゃんと書いてある。それにしても、上半期で22冊ということは、私の読書ペースも順調に低下してるってワケか・・・。とほほほほ。('01.7.1)
「殉死」 司馬遼太郎 文春文庫 ★★
    日露戦争における旅順攻略の司令官、乃木希典は、無能な軍人だった。しかし、江戸初期に興った陽明学を実践し、明治帝の崩御とともに妻を道連れにして切腹した彼は、輝ける軍神となった。乃木希典の奇蹟は、明治末期という時代において、日本的武士の最後の生き残りを劇的に演じ続けたことであろう。('01.6.25)
「ことばと国家」 田中克彦 岩波新書 ★★
    「世界に言語はいくつあるか?」という問いは、実は無意味である。なぜなら「異なる」言語かどうかを決めるのは、国家という政治的な装置だからだ。つまり言語はどうあがいても社会的な存在に過ぎない。残念ながら、やはり自然科学としての言語学は存在し得ないのだろうか。

    その他、この本にはなるほどと思わせる指摘がいくつかある。例えば、アイヌ語は外国語か?そう、日本語には「日本国内にある日本語以外の言語」を指す言葉がない。あるいは、小学生の時、確かに「国語愛を描いた作品」として教わった「最後の授業」とかいう短篇は、なるほど「言語的支配の独善をさらけ出した・・・植民者の政治的煽情の一篇でしかない」のだ。('01.6.21)

「外国語の水曜日」 黒田龍之助 現代書館 ★★☆
    スコットランドに行けばゲール語の本を求め、リトアニアに行けばリトアニア語の教科書を買う"語学オタク"の私にしてみれば、この本に登場するチュウやアンドレイは実に羨ましい。今までロシア語、フランス語、韓国語、中国語、アラビア語、チベット語など多くの言語を囓ってきたけど、これっぽっちもモノにならないのは(もちろん努力不足だが)仲間がいないからか・・・。

    ちょっと読者に迎合している感じの文体(「理系」「文系」とかいう区別にミョーにこだわってみたり)はあんまり好きではない。('01.6.17)

「海と毒薬」 遠藤周作 新潮文庫 ★★☆
    「罪」とは何か。神がいないとすれば、誰がそれを判断する?('01.6.10)
「ゲノムが語る23の物語」 Matt Ridley 紀伊國屋書店 ★★
    ヒトゲノムにまつわる様々な話題を23の染色体に関連させて描くという手法は、洒落ているようだがはっきり言ってこじつけである。各染色体には、(biologicalには)「個性なんてない」のだから。でも全体としては見事に一貫性があって、巧くまとめたもんだと感心する。個々のトピックは確かに面白いが、色んな文献からの寄せ集めにすぎない。「読み出したらもう止まらない」というほどには面白くはなかったのは、この分野が私の専門だからか?('01.6.8)
「化学に魅せられて」 白川英樹 岩波新書 ★★
    「導電性ポリマーの発見と開発」によって2000年度ノーベル化学賞を受賞した白川博士の本。実際は、講演やら対談やらを集めた安易な作りの本で、それをタイムリーに発行するだけで売れてしまう編集者がえらい。('01.6.3)
「自閉症からのメッセージ」 熊谷高幸 講談社現代新書 ★☆
    興味深いのは、idiot savantの人たちが示す「カレンダー記憶」などの特殊な能力である。「レインマン」の中で床に落ちた楊枝の数を一瞬にして246本と数えてしまうあれである。自分にも昔はこの類の能力が多少はあったような気がするのだが、歳をとるにつれて失われてしまった。自閉症の人は、別の世界の住人である。彼らが一般人とは独立なコミュニティーを形成したらどうなるだろう?('01.6.2)
「心にとどく英語」 マーク・ピーターセン 岩波新書 ★★
    「ローマの休日」、「カサブランカ」といった映画の台詞を題材に、「英語らしい」表現について論じる。実はこういうのが一番難しい。このレベルには永久に到達できそうにない・・・。('01.5.26)
「秘境の山旅」 大内尚樹 編 白山書房 ★☆
    日本に、まだ<秘境>と呼べるような山が残っているか?この本の結論は、NO!である。「登山道がなく、最短のアプローチをとっても1日では山頂に立てない」、これだけの条件を満たす山すらもう日本にはほとんどないのだ。マニアックな山ならいくらでもあるのだが・・・。('01.5.16)
「ロシアについて」 司馬遼太郎 文春文庫 ★★☆
    かつて僅か100万たらずの人口で人類史上最大の帝国を築き上げたモンゴル人は、銃の出現によって歴史の片隅に追いやられてしまう。「タタールのくびき」からやっと脱したロシアは、東方に広がる広大なシベリアへ膨張を開始する。しかしその動機は、単に黒貂やラッコの毛皮欲しさだった。シベリアにおける慢性的な食糧不足を解消すべく、ロシアは日本に目を向けることになる。ここに、日本とロシアとのあまり幸福とはいえない関係がスタートするのだった。

    いつもながら、司馬史観は壮大なスケールで展開される。曰く、シベリアはロシアという巨人の長すぎる左腕である。欧露という右腕(ききうで)をまわして長大な左腕の痒みを掻こうとする場合、右腕の寸法が足りず、たえず無理な体形をとったり、不自然な運動をせざるをえなくなったのだ。('01.5.13)

「自閉症だった私へ」 Donna Williams 新朝文庫 ★★★
    モスクワから帰る機内で読んだ。自閉症である筆者がその劇的な半生を描いた驚異の書。母親から虐待され続けた彼女は15歳で家を出て、色んな仕事をしながらそれこそウジ虫のような男どもの所を転々とする。やがて大学にも編入、「なぜ自分はこんなふうなのか、他人と違っているのか」、その答えを探しに旅に出る。自分が自閉症であることを独力で発見したのは26歳の時だった。筆者によると、人間は精神と身体と情緒という三つのシステムから成っている。そのうち情緒に障害があるのが自閉症で、知性には全く問題がない。この本の存在が、なによりそのことを雄弁に物語っている。('01.5.5)
「世界遺産・太鼓判55」 世界遺産を旅する会 編 小学館文庫 ★☆
    ロンドンへ向かう機内で読んだ。へぇ、こんなのがあるのか、と思えるのもあるが(例:ラリベラの岩窟教会群・ブラジリア)、ちょっと食傷気味。('01.4.15)
「英語とわたし」 岩波新書編集部編 岩波新書 ★★
    自分も英語を使って生活するようになってみて、最初の悲惨な状況に比べれば随分進歩したなぁと思う反面、まだまだ不自由を感じる。発音なんてどうでもいい、日本語訛りで堂々と喋ることだ。英語はあくまでも道具であって、大事なのは話すべき内容なのだ。('01.3.29)
「せんせいけらいになれ」 灰谷健次郎 角川文庫 ★★
    教師時代の灰谷健次郎が、普通の生徒たちの中から拾い集めてきた詩の数々。彼はなぜ、17年の教師生活を擲って放浪の旅に出なければならなかったのだろう?('01.3.24)
「海の物語」 灰谷健次郎 角川文庫 ★★
    灰谷作品は、会話が多いためスピーディーにテンポよく読めるのがいい。子供と大人が対等に、納得するまで話し合うという民主主義の原点がここにあるのだが、実際自分が大人になってみると、こんなことできっこないって気がしてしまう・・・。('01.3.13)
「レナードの朝」 Oliver Sacks ハヤカワ文庫 ★★★
    1920年代に世界中で爆発的に流行し、10年間荒れ狂ったのちに謎の終息を遂げた「眠り病」、嗜眠性脳炎。その生き残りたちは、重いパーキンソン症状を患って何十年もの間身じろぎ一つせずに過ごす。1969年、L-DOPAという「奇跡の薬」が投与されるようになると、患者たちは劇的な「目覚め(Awakenings)」を体験することになる。しかし、やがて様々な重い「副作用」が現れ始め、薬に対する反応性はますます予測不能な「カオス」へと落ちこんでいく・・・。そうした興味深い20人の患者たちの症例集。機械的な現代医学に警鐘を鳴らし、患者一人一人を個性をもった人間として見ることの大切さを説く。

    付録6「カオスと目覚め」は面白そうだが、翻訳者の力不足。

    映画版も観てみたが、原作とは全く異なっていた。ロバート・デ・ニーロの後半の演技、特に回転眼球発作は恐ろしいほどの迫力がある。映画の中に一人だけ本物の患者が登場しているらしいが、誰だか分からなかった。('01.3.8)

「心は孤独な数学者」 藤原正彦 新潮文庫 ★★★
    いわずと知れたイギリスのニュートン、「ハミルトニアン」に名前を残したものの自身が生涯を捧げた「四元数」はちっとも流行らなかったアイルランドのハミルトン、そしてこれぞ天才中の天才、南インドのタミル人ラマヌジャン。3人の数学者の足跡を追って、筆者は旅をする。

    特に興味深いのは、毎晩ヒンドゥーの女神ナーマギリが公式を示してくれたというラマヌジャンである。彼は高校しか卒業しておらず、「証明」という数学のルールもよく理解していなかったという。彼が見出した3254もの美しい公式は、1997年になってようやくその全てが証明された。アインシュタインがいなくても10年か20年後に相対性理論は発見されていただろうが、ラマヌジャンの見出した公式は「なぜこんなものを思い付いたのか見当も付かない」ので、彼がいなかったら100年たった現在でも発見されていなかったかもしれないという。ラマヌジャンは、イギリスのハーディによって人類史上に名を残すことになったが、ハーディはラマヌジャンの数学は理解しても彼の苦悩は決して理解しようとしなかった。そこには植民地インドと宗主国イギリスという時代背景もあっただろう。結局ラマヌジャンは32歳の若さで夭逝してしまう。

    数学は、地球以外の星でも通用するような普遍的な真理であるはずなのに、なぜヨーロッパで発展したのだろうか?ここにもまた、「文化とは人類の知の積分値」という「銃・病原菌・鉄」的構造が見出されるような気がする。('01.2.12)

「続・科学の終焉〜未知なる心〜」 John Horgan 徳間書店 ★★☆
    前作「科学の終焉」で著者は、素粒子論や宇宙論では重要な問題は全て解かれてしまっていて、科学者がやるべきことはもう何も残っていないとコキ下ろしていた(私も全く同感)。本書では逆に、「こころ」に関しては科学は何も解決していないという。私もかつて専攻を決めかねていたとき、脳研究というのは理論と実験が乖離しすぎていてイマイチ興味を覚えなかった。前作より読み易く、こちらの方が面白い。

    精神病理学では、クスリは確かに効くけれど、「プラシーボ」(例えばただのビタミン剤)も同じくらい効くという指摘は面白い。社会進化学的なアプローチは、一瞬流行ったとしてもやがて消え去るだろう。なぜならそれは説明の言い換えに過ぎないから。人工知能とかいう前時代的な研究に関しては、コンピューターは確かに速く、小さく、安くなって社会に浸透したけれど、ほとんど「賢く」はならなかった。量子脳理論あたりになってくると荒唐無稽すぎて検討するに値しない。結局私もミステリアン主義だ。('01.2.7)

「世界遺産・行ってみたい55」 世界遺産を旅する会 編 小学館文庫 ★☆
    ちっぽけな世界旅行・第2弾。観光旅行というのがここまでマニュアル化されてしまうと、時間とカネと労力を費やして写真と同じものを確認する作業に何の意味があるんだろう、と思えてくる。('01.2.4)
「世界遺産・厳選55」 世界遺産を旅する会 編 小学館文庫 ★★
    世界遺産の理念には大いに賛同するし、頁をぱらぱらとめくりながら美しい写真を眺めていると楽しくなってくる。でも、地球上に残っている多様性なんて、いってみれば<たったのこれだけ>なのだ。21世紀、いよいよ世界は博物館化してゆくのだろう。('01.1.28)
「司馬サンの大阪弁 〜'97年版ベスト・エッセイ集」 日本エッセイスト・クラブ編 文春文庫 ★★☆
    無彩色の愛。掌。シャボン玉消えた。人生って奴は、なんて烏滸がましいけれど、哀しくも美しい。こうして全ては、音もなくさらさらと流れていくのだろうな。('01.1.26)
「セブン・イヤーズ・イン・チベット」 Heinrich Harrer 角川文庫 ★★★
    ドイツ(オーストリア)の登山家である筆者は、ナンガ・パルパットを攻略するために英領インドに遠征中、第2次大戦が勃発し、捕虜となる。収容所を脱走、ボロボロになりながらもチャンタン高原を横断して、厳しい鎖国下にあった<禁断の都>ラサへの潜入に成功する。面白いのはここからで、チベット人に混じって何とか暮らしていくうち、遂には神であるダライ・ラマの個人教師を任されるまでになる。しかし、チベットの平和は長くは続かなかった・・・。これぞ冒険というものだろう。山岳紀行文学の金字塔。ただ、題名はやはり「チベットの七年」とすべきだ。表紙も頂けない。('01.1.10)


戻る