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Home > めもらんだむ > 超強度近視の白内障手術記

無事に白内障の手術を終え、退院した。
結果的に、驚愕するほどよく見えるようになった。世界がこれほど明るく、これほど細部がクッキリしているとは知らなかった。道行く人の表情まで、手に取るようにわかるのだ。今まで見えていなかった、部屋の隅に堆く積もったホコリが気になって仕方ない。

その代わり、焦点を調節する機能を完全に失った。究極の老眼になったようなものだ。
手元が楽に見えるように焦点距離を30センチに調整したので、遠くを見るためには眼鏡が必要だ。それどころか、50センチ先にあるパソコンのディスプレイすらもよく見えないので、近距離用の眼鏡が別に必要になる。
それでも、わずか-3Dの薄い眼鏡で1.5の視力が出るのだ。これまでの人生で、1.5という視力は体験したことがないかもしれない。

なにしろ、私の視力は-15Dなのである。眼軸長が32mmもある(平均は24mm)。
最強度近視でも-10Dなので、-15Dというのは相当に悪い。どのくらい悪いかというと、裸眼では自分の足が見えない。焦点距離は3センチ程度なので、両眼視ができない。
だから、裸眼で寝転んで本を読めるというのは、とても幸せなことなのだ。

私は遺伝性の近視で、小学2年生で視力0.3、6年生のときはすでに0.1を下回っていた。当時の視力検査は、全員が一列に並んで、クラスのみんなが見ている前で順番にやらされるのだった。一番上の環が見えなくて、前に出ていかないとならないのは実に屈辱的だった。
当時は圧縮レンズというものがなかったので、ぶ厚いメガネを掛けるのも嫌で仕方がなかった。だから、せいぜい0.3くらいの視力で生活していた。したがって、座席は常に一番前だった。
高校生のときにコンタクトレンズを作ったが、当時はハードコンタクトしかなくて、ホコリが入ると激痛が走った。
やがて、使い捨てのソフトコンタクトが出てきて問題は解決したが、度数の上限ギリギリなので、ドンピシャで調節できない。そのため、矯正視力は1.0程度だった。それ以上にすると、手元を見るときの眼精疲労がひどいということもあった。
そのうちに老眼が進行してきた。しかし、遠近両用コンタクトというのは近くも遠くも見えないのである。だから、旅行に行くときなどは、遠方用に合わせたコンタクトレンズの上から老眼鏡を掛けることになる。
かといって、このくらい近視が強くなると、眼鏡では視界が歪みすぎて生活できないのである。

これだけ眼軸が伸びていると、いつ網膜が剥がれてもおかしくない。じっさい、2度左目の網膜に孔があいて、レーザーでバチバチ治療した。
白内障は、年を取ると誰でも必ずかかるものだ。しかし、50代前半で手術する人はほとんどいない。今回入院していた人も、70代以降と思しき人ばかりだった。
自分が白内障であることに気づいたのは2年前の年末頃だった。なんか左目の視界が曇ってるな…と思って、コンタクトを外してゴシゴシ洗ってみたけど一向に曇りが取れない。それで、自分の眼球が曇っていることに思い至って愕然としたのだ。
それから1年以上が経過して、曇りは左目は視野の中心まで広がり、常に視界に靄がかかって非常に煩わしかった。
それでも、日中明るいところではそれほど気にならなかった。
しかし、夜は濁った水晶体で光が乱反射して、実に見にくい。特に問題なのは車の運転で、前の車のテールランプの周りに皆既日食のようなコロナがもわっと見え、さらに幾筋もの放射状の光がキラキラ見えるのだった。
部屋で本を読むときも、文字が隠れて見えなくなってきた。

白内障の手術は、濁った水晶体を吸い取って、代わりに人工レンズを目の中に入れる。
人工レンズには、単焦点レンズと多焦点レンズがある。特に多焦点レンズは、日々進化している。白内障の本を読むと、多焦点レンズを礼賛するものが大部分で、近くも遠くもクッキリ見える夢の裸眼ライフが手に入ると喧伝している。
しかし、多焦点レンズというのはピント調節機能があるわけではなく、その名の通り、常に何箇所か(レンズによって2箇所とか3箇所とか5箇所)に焦点が合っていて、脳が不要な情報をシャットアウトすることによって見ているのである。したがって、見るときに利用できる光量が少なくなる。構造上、散乱されて無駄になる光があるので、全体の20%くらいの光しか利用できない。
そのため、私のような超強度近視で網膜の機能がイマイチな場合だと、近くも遠くもぼんやりとしか見えないということになりかねない。しかも、ドンピシャで調整できない限り、結局眼鏡を併用することになり、意味がない。
実際、4人のドクターに聞いて全員が多焦点レンズを薦めなかったので、多分本当にそうなのだろう。東京の多焦点レンズ推しの眼科に行って話を聞いたら違うことを言われたかもしれないが、事前や術後の検査に何度も通院しないとならないことを考えると、宮崎で手術するより他になかった。
もちろん、多焦点レンズは十分な実績があり、それまで健康な目を持っていた人なら問題ないと思う。(なお、多焦点レンズは保険が効かない。)
再手術も不可能ではないとはいえ、基本的に白内障の手術は人生で一度しかできないので、無難な方法を選択したということだ。元々がド近眼なので、近視であることにまったく抵抗がないということもある(でも老眼鏡には抵抗がある)。
複数の眼鏡を併用しなければならない煩わしさはあるが、なにしろ元の状態がひどすぎたので、御の字なのである。
ただし、水晶体を取り替えても飛蚊症は消えない。視界がクリアになった分、かえって気になるという説もある。

手術は非常なストレスで、恐怖しかなかった。
でも、人生の大抵のことはそうかもしれないが、終わってみればそれほどでもないのだ。
手術時間は15分くらい。
麻酔は点眼なので、意識は明瞭にある。ドクターが話しているのも全部聞こえる。
手術中、痛みはない。一度だけ、眼球を圧迫されたときにちょっとウッとなった。
点滴と血圧計をつけたまま手術室にイン。
最初に目を洗浄する。このときに結構染みる。
それから、目を閉じた状態で手術台に移動。
機械で目をこじあけられた状態になるが、瞬きをしたくて苦しいということはない。
手術前に、瞳孔を開く目薬を何度も指すので、もともと視界はぼんやりしている(そもそも裸眼なのでほとんど見えない)。手術中は明るい光がずっと照射されていて、器具が迫ってくるのが見えるということはない。
網膜に穴を開けるときには何も感じない。それから水晶体を掻き出す。視界には白や紫の光がキラキラ輝き、空間を浮遊しているようだ。
機械でなにやら測定してからドクターが「じゃ、予定通りアイハンスの6で」とか言っているのが聞こえる。
それから人工レンズを挿入。どうやって眼内に固定するのか、神業である。
もう一度目を洗浄してから眼帯を装着し、手術は終了。

最初に左目の手術をしたときは、凄まじい緊張感だった。手術中過呼吸になったらどうしようとか、花粉症でクシャミが出たらどうしようとか、心配のタネは尽きなかった。
右目のときは安心できると思いきや、当日の朝、検査前に看護師が目薬を指そうとして、ミスって眼にガーゼが入り、激痛が走った。角膜にかすり傷がついた。
ドクターは手術には問題ないと言うけれど、手術直前になってもずっと目がゴロゴロしていた。そのため、これがあらぬ痛みを引き起こすのではないかと思って気が気でなく、2度目も無駄に緊張を強いられた。本当に勘弁して欲しい。
左目の手術の翌日、眼帯を外したとき、思ったよりも見えないのでがっかりした。なぜなら、手術後の左目の裸眼視力は0.1程度なのである。(左目のほうが乱視が強く、右目は0.3だった。)
でもその後、両目の手術が終わって眼鏡の度を合わせたとき、あまりに細部までクリアに見えるので泣きそうになった。今まで自分が見ていた世界は何だったんだ…と思った。

現在では、白内障の手術は日帰りでやることが多い。
しかし、運転ができないし、検査のため翌日また病院に行かなければならない。さらに、片目だけ手術すると左右差が大きくなりすぎて生活できない。そのような理由で、入院することにした。
左右の手術の間に1日あけたので4泊5日になったが、隙間の1日は不要だったかもしれない。
でも、痛みがないとはいえ精神的にはかなりのダメージを被るので、個人的には日帰りはキツイと思った。
それに、入院費は非常に安くて、1泊3000円程度なのである(3割負担)。費用はトータルで10万円ちょっとだった。

あとは、感染しないように細心の注意を払うことだ。
万一感染すると、失明の危険性がある。
当分のあいだ登山や旅行はできないので、家で大人しくしていようと思う。(24/03/08)

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