八甲田山死の彷徨 新田次郎 新潮文庫 ★★★★☆
無事に八甲田山に登頂を果たし、青森から東京へ向かうひどく混雑する列車の中で読み始めた。こういう、一見小説にしにくそうな題材を見事に調理して、最後まで読者を引っ張っていく筆力には脱帽させられる。
明治35年、耐寒訓練と称して厳冬期の八甲田山における雪中行軍を命じられた青森第五聯隊210名は、猛烈な吹雪に見舞われて進退窮まり、僅か11名の生存者を残して全滅した。ときは日露戦争開戦の2年前であった。上官には絶対服従の軍隊という組織が限りなく巨大な存在であった、明治日本の暗さと哀しさを漠然と感じる。
八甲田山の最後の生き残りが(91歳で!)亡くなったのが昭和45年と聞くと、そんなに大昔のことでもないような気がする。それでも、これはもう100年以上も前の出来事であり、明治は遙かに遠くなったのである。
日本における観測史上最低気温は、1902年1月25日に旭川で記録された氷点下41度である。大量遭難事件は、まさにその日に起こった。温暖化により、この記録はもう二度と破られることはないかもしれない。
現在の地図を繙いてみれば、第五聯隊が行軍したのは八甲田山北側の山麓であって、県道40号線が走っている。この100年の間に、自然はすっかり飼い慣らされてしまったし、気象条件の厳しさ自体も薄れてしまったようである。(08/09/17 読了)