読書日記 2009年

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走ることについて語るときに僕の語ること 村上春樹 文藝春秋 ★★★★★

村上春樹の小説はいくつか読んだことがあるが、世間での評判ほどには、共感を覚えることができなかった。これは、初めて読んだ彼のエッセイだったが、私は彼の人となりにすっかり惚れ込んでしまった。村上春樹が、これほどのランナーだとは知らなかった。

ランニングと登山は似ている──どちらも、やってきて、過ぎ去っていく、いろんなかたちの、いろんな大きさの雲を頭に浮かべながら、だたひたすら前進するのだ。
しかし、両者には大きな違いがある。それは、登山という行為は非日常の世界に属するが、ランニングは日常の範疇にあるとういことだ。あるいは、どちらも生命を燃焼させる点は同じだが、登山には死の影がつきまとうのに対し、ランニングは健康的で明るい、と言ってもいいかもしれない。
だから、登山の本は許多存在するが、ランニングについて書かれた本は、(技術的なものを除いて)ほとんどないのだろう。

小説家にとって最も重要な資質は、言うまでもなく才能である。そして、その次に重要なのは、集中力と持続力だという。これは、研究する人生についても当てはまるかもしれない。
私は、3X歳にして走り始めた遅れてきたランナーで、まだ走ることについて語るべきことを何も持っていないけれど、せめて、息の長いランナーになりたいと思う。

 誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。

(09/11/18 読了)

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