認識と文化 色と模様の民族誌 福井勝義 東京大学出版会 ★★★★★
「認知科学選書」というシリーズの一冊で、「認識と文化」などというあまり魅力的でないタイトルが付けられている。しかし、地味な題名とは裏腹に、その内容は驚くべきものである。
エチオピアの西南部に、はてしなく文明から隔離された、牧畜民族ボディの社会がある。筆者は1973年に、牧畜社会の調査を目的として、120km離れた近隣の町にもほとんど知る者のないボディの村に足を踏み入れた。ボディ語が記載された文献は、皆無といってよい。著者は、「ダー アタン」(これは何ですか?)という問いかけを繰り返しながら、幼児のように彼らの言語を習得していった。
ボディの社会はウシに依存している。家畜の個体識別には毛色、すなわち色彩の認識が基盤になっていると考えられる。そこで著者は、202枚の色彩カードを使って、ボディの色彩感覚の調査を始めた。結果は驚くべきものだった。続いて幾何学模様のパターンに対する調査も行い、ウシの毛色や模様によって深く規定されているボディ社会のコスモロジーを明らかにしてゆくのである。彼らはまた、西洋科学とは独立に、メンデル遺伝学に対応するルールを経験的に発見していた。
ボディ語は、ホリ(白)、コロ(黒)、ゴロニ(赤)、ビレジ(黄)、チャイ(黄緑・緑・青)、シマジ(紫)、ニャガジ(橙)、ギダギ(灰色)という8つの基本色彩語をもつにもかかわらず、緑と青が分化していない。従ってこれは、Barlin & Kay (1969) のモデルの反例となっている。また、焦点色もあまりはっきりしない。
ボディ社会では、それぞれの人が一生涯担うモラレと呼ばれる色・模様をもっていて、それが彼らのアイデンティティとなっている。ボディの少女は、初めて自分のモラレである純度の高い赤の色彩カードを見せられたとき、感動のあまり涙を流してしまったという。自然界には彩度の高い純色はあまり存在しないから、生まれて初めてある色を見るという経験もあり得るのかもしれない。
それにしても、人口僅か4000人ほどのボディ社会が、こういうやり方で何千年もうまくやってきたという事実には、ただただ驚くばかりである。そして我々人類が、文明と引き替えにいかに多くのものを失ってしまったかということを改めて思い知らされる。(10/03/22読了)