原発社会からの離脱 宮台真司×飯田哲也 講談社現在新書 ★★★☆☆
これまで日本社会が原発にべったりと依存してきた理由は、行政官僚の暴走を政治家が止められないという<悪い共同体>の<悪い心の習慣>にある。それは、負けると知りながら、 軍部がアジア・太平洋戦争へと突っ走っていったのを誰も止められなかったのと全く同じ構造をしている。原発や六ヶ所村の再処理工場は、「現代の戦艦大和」のごときものだ。
奇妙なことに、日本においては、脱原発や自然エネルギー推進を唱えることが左翼イデオロギーと結びついて捉えられる。けれども、原発をやめられないという病理は、<原子力ムラ>と<電力幕藩体制>、そして<霞が関文学>=「フィクションと現実を繋いでいく言葉のアクロバット」によって紡ぎ出されたものにすぎない。原発は、技術的に不合理である以前に、社会的・経済的に不合理な存在なのだ、というのが本書の主張である。
こういう対談形式の本は、さながらテレビの討論会を聞いているような臨場感があって読み易いのだが、体系的な知識を得て理論武装するためには使えないという欠点がある。飯田哲也氏の本をもっと読んでみようと思った。
ともかく、日本の政策的知性は
いったい、これが世界でもっとも進んだ先進国で民主主義の国だと信じられてきた日本で、チェルノブイリ事故から25年も経た21世紀にもなって、今、起きている現実なのだろうか。これは、フクシマ後に出現した「知の焼け跡」と表現せざるを得ない。(「あとがき」)
というほど情けない状態であることは分かった。しかし、それでもなぜか均衡を保っているのが日本社会の不可解なところだ。(11/11/16読了)