三陸海岸大津波 吉村昭 文春文庫 ★★★★★
これは衝撃的な本である。テレビで繰り返し流された、あの映像そのものではないか!
三陸海岸は、これまでに幾度も大津波の襲来を受けてきた。それは、明治29年6月15日、昭和8年3月3日、そして昭和35年5月24日にやってきた。
本書が出版されたのは、昭和45年──今から42年前である。著者は、三陸海岸をたびたび襲った津波の資料を渉猟するとともに、津波の体験者に直接会って話を聞く。当時はまだ、明治29年の大津波の体験者が辛うじて生存していたのである。
昭和8年3月3日の真夜中、極寒の三陸海岸を激震が襲った。「冬期と晴天の日には津波の襲来はない」という誤った言い伝えのために、被害が大きくなった。津波を体験した子供たちがしたためた作文は、当時を知る上での貴重な記録である。また、明治29年、昭和8年ともに、津波の前に前例のない大豊漁となったほか、井戸水の渇水、青白い閃光や砲撃のような大音響など不気味な前兆が見られてたという。
昭和35年の津波は、地震を伴わないという点で特異だった。チリで起きた大地震によって発生した津波が3日がかりで地球の裏側に到達し、再び寄り集まって大津波を引き起こしたのである。このとき気象庁は、ハワイで津波による死者が出たことを承知していたにもかかわらず、津波警報を発令しなかった。
それでも、過去3回の津波による被害を比較してみれば、死者数は著しく減少している。
明治29年の大津波 26,360名
昭和8年の大津波 2,995名
昭和35年のチリ地震津波 105名
昭和35年のチリ地震による津波を教訓として、三陸海岸各地に巨大な堤防が築かれた。それは、旅人の目には、異様な光景に映った。みすぼらしい村落の家並みと比べて大袈裟すぎる、不釣り合いなほどに豪壮な建造物だったという。けれども、この堤防のおかげで、昭和43年の十勝沖地震のときには、津波の襲来にもかかわらずほとんど被害を出さずに済んだのである。
本書の締めくくりに、明治29年の大津波以来、昭和8年、昭和35年、そして昭和43年の津波を生き延びた87歳の古老の言葉が引用されている。「津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」
そうだろうか?
平成23年3月11日 東北地方太平洋沖地震
死者 15,857名
行方不明者 3,057名(平成24年4月現在)
そして何より、この津波によって、あの忌まわしい原発事故が引き起こされたのだから、日本史上最悪の被害をもたらしたと言えるだろう。
43歳の時に本書を上梓した著者は、2006年、今回の津波を知ることなく永眠した。
大津波は、30年、40年に一度しかやってこない。この本は、何十年経っても、あの震災を忘れずにいられるかどうかを我々一人一人に問いかけているように思う。(12/01/15読了 13/02/10更新)