奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき ジル・ボルト・テイラー 新潮文庫 ★★☆☆☆
37歳の気鋭の女性脳科学者が、脳卒中で倒れる。脳機能が部分的に失われたとき、世界はどのように知覚されるのだろうか?彼女は、自分の壊れていく脳をギリギリまで使って、そのことをメタ的に冷静に観察する。一命を取り留めてから、リハビリによって脳機能を回復していく過程についても詳細に記されている。脳科学者としての専門的なトレーニングを受けていたからこそ可能だった、稀有の記録であろう。
脳の左半球に大量の出血があった彼女は、言語を操ったり計算したりする分析的思考能力を失ってしまう。興味深いことに、方向定位連合野にもダメージを負ったため、自分の身体と外界との境界が消え失せ、自分が流体になったかのように感じたという。そして、宇宙と一体になったような幸福感に包まれたというのだ。このことはつまり、神秘的な宗教体験とは、右脳が左脳の呪縛から解き放たれた状態に他ならないことを意味している。もし出血が右脳で起きていたら、彼女にはどんな世界が見えたのだろうか?
というと非常に面白そうなのだが、後半がいただけない。「あとがき」で訳者が危惧している通り、後半の「右脳マインドのススメ」にはとてもついて行けない。悪い意味で宗教がかっていて、完全に「イっちゃって」いるという印象。自身の体験に基づいているとはいえ、ステレオタイプな右脳/左脳の機能分化を前提にして話を進めているのだが、どの程度のエビデンスがあるのかは不明である。もっとも、ひとたび右脳による恍惚の世界を体験してしまった筆者にとっては、そんなことはもうどうでもいいのかもしれない。
竹内薫による翻訳も気持ち悪い。いまどきこんな文章を書く女性はいないだろう。元の英文のテイストが気になるところだ。というわけで、内容の割に読後感はイマイチである。養老孟司と茂木健一郎というこの業界のビッグネーム2人によって書かれた解説は、秀逸なのだが。(12/05/16読了 13/02/10更新)