読書日記 2013年

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偉大な記憶力の物語―ある記憶術者の精神生活 A.R.ルリヤ 岩波現代文庫 ★★★★★

実に驚くべき本である。舞台は1920年代のソ連。まだ20代の若き心理学徒であったルリアのもとを、一人の同年代の男性が訪れる。ラトビア生まれのユダヤ人シィーは、当時新聞記者をしていたが、デスクからの指令を一切メモに取らないことを上司に指摘され、その記憶力を調べるために研究室にやってきたのだった。シィーはそれまで、それが当たり前のことだと思っていたのである。シィーについて簡単な実験を行ったルリアは、その驚くべき能力にすっかり当惑させられることになる。本書は、この人類史上で最も優れた記憶力の持ち主を、30年間にわたって詳細に調べた、稀有の記録である。

シィーは苦もなく、無意味な文字列をいくらでも長く記憶し、それを再現することができた。ただし、そのような記憶術者は当時何人か知られていた。そのうちの一人は、石原という日本人であった。(この石原なる人物についての記録は、1930年代に出版された書物に書かれているらしい。)シィーが、それまでに報告されたどの記憶術者よりも優れていたのは、彼が決して忘却しないことであった。シィーは、1ヶ月後、1年後、いや、10年後にテストしてみても、何百もの文字からなる無意味な文字列を、記憶した当初と同じ正確さで再現してみせたのだ!

一体どうしてそんなことが可能なのか?シィーは、読み上げられた無意味な文字列を、その文字列からイメージされるモノの映像に置き換え、それを空間に配置していった。それを再生するときには、ただ、その映像を見れば良かった。だが、そんな彼も、ごくたまに間違えることがあった。それは、その変換されたモノを、暗い所や、背景と同じ色のところに置いてしまった場合で、見落としてしまったというのだ。

シィーはまた、五感の全てが入り交じる共感覚の持ち主であった。そのため、記憶を再現するときには、視覚だけでなく、聴覚・触覚・味覚・嗅覚からもたらされるすべての情報を動員することができた。記憶の誤りは、感覚間の不調和として検出されるのだ。それぞれの感覚で二重三重に記憶していて、余剰的な情報があるので、その想起は非常に正確なものになるである。シィーはやがて職業的な記憶術者になり、その中で、さらに様々な記憶術のテクニックを開発していった。一方でシィーは、例えば詩を鑑賞したり、複雑な文章を理解することが非常に困難だった。個々の単語が特異な映像やその他の感覚を生み出してしまい、それが本来の意味と衝突してして、全体的な理解を妨げるのである。

本書は、シィーの記憶のメカニズムだけでなく、さらに踏み込んで、彼の知性や人格までをも理解しようと努めている。実際のところシィーは、脳の中で生み出された感覚世界と、現実世界との区別が、あまりついていなかったようなのである。このような研究が、1世紀近く前のソ連でなされていたというのは驚きである。逆に現在では、こういうプライバシーに関わる、個人の全人格的な研究はもうできないのかもしれない。そういう意味でも貴重な記録と言える。(13/01/27読了 13/02/06更新)

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