ハングルへの旅 茨木のり子 朝日文庫 ★★★★☆
詩人である著者は、50代になってから韓国語を学び始めたという。この本が出版されたのは1986年で、学び始めたのはその10年前だったというから、まだ韓国語は相当にマイナーな言語だったのだろう。NHKの「ハングル講座」が始まったのが1984年である。私も20年以上前に、大学で韓国語の授業を取ったことがあるが、当時の韓国語の学習環境を考えるとまったく隔世の感がある。 ただ、ヨーロッパ以外の言語を学んでいるとその理由を聞かれるのは、この当時となんら変わっていない。
年配の方のエッセイというのは、なかなか味わい深いものだ。今、韓国に関する情報は掃いて捨てるほど手に入るけれども、それは、政治的なフィルターのかかったものか、K-POPとか韓流とか、そういうったものがほとんどである。情報の少ない時代だったからこそ、もっと素朴に韓国に接することができたのかもしれない。こういう視点もあるのか、とはっとさせられる。
くつ(靴)と구두(クドゥ)って似ているなぁ、と思っていたけど、
おり(檻)ー 어리(オリ) かま(竈・釜)ー 가마(カマ) きみ(君・公)ー 기미(キミ) こと(事)ー 걷(コッt、現在では것) ころも(衣)ー 고롬(コロm) たば(束)ー 다발(タバr) なら(奈良)ー 나라(ナラ) われ(吾)ー 우리(ウリ)
なんていう対応表を見せられると、ウウムと唸ってしまう。
韓国語の諺(俗談 속담)もなかなか良い。
はじまりが半分だ 시작이 반이다 水は深いほど音を立てぬ 물이 깊을수록 소리가 없다 (深い人間ほど静かである) 行く歳月 来る白髪 가는 세월 오는 백발 まゆげが喧嘩する 눈썹 싸움을 한다 (眠くてたまらない) 晩学の泥棒 夜の明けゆくを知らず 늦게 시작한 도둑이 새벽 다 가는줄 모른다 (年取って始めたことは、若いときよりも没頭しやすい)
そういえば、私の母もハングルのことを「オンモン」(諺文 언문)と呼んでいたけれども、最近ではこの言葉はすっかり聞かなくなったな。 それにしても、ひとつの言語の宇宙は広大な広がりがあって、語学の勉強は果てしがない。(15/09/18読了 15/09/21更新)