読書日記 2016年

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iPS細胞 黒木登志夫 中公新書 ★★★★★

本書は、サイエンスとしてのiPS細胞をじっくりと解説した本である。
新書ながら内容が濃く、とても勉強になった。なんと言っても、巻末に詳細な文献リストが付いているのが良い。最新の成果が盛り込まれた、重厚なレビューという感じだ。

iPS細胞の論文Cellに掲載されたのが2006年、ヒトでのiPS細胞樹立が2007年だから、発見からまだ10年も経っていない。しかし、2014年あたりに重要な発表が相次ぎ、この分野はここ2、3年の間に著しく発展しているのだ。
従って、本書で扱っているのは、まだ「歴史」になりきれていない、ダイナミックに進展する生命科学の「現在(いま)」である。もっとも、最新のテーマを扱った書物ほど、たちまちのうちに鮮度が落ちてしまうという宿命をもっているのだが。

一方で、ある学問分野の全体像を俯瞰するためには、その分野の歴史を知ることが何よりも大切である。
STAP細胞事件は、本書の執筆中に起きた。期せずして、本書はSTAP細胞事件の背景を説明することにもなっているのだ。
そもそも、小保方論文はなぜNatureに掲載されることができたのか?それは、笹井さんや若山さんといった、錚々たるメンバーが著者に名を連ねていたからであろう。

若山さんは、1998年に核移植によって初めてクローンマウスを作った人物である。
この研究の背景には、Ian Wilmatによる有名なクローン羊・ドリー(1997年)の誕生がある。ドリーの衝撃は、30年以上も閉ざされていた核移植の扉をこじ開けたことにあった。
そしてWilmatらの研究は、1962年、John Gurdonが大学院生のときに行った地味な研究──カエルの卵への核移植──が下敷きになっている。Gurdonは、このときに発表した単名の論文によって、山中伸弥と共にノーベル賞を受賞することになるのだ。

ES細胞(embryonic stem cell、胚性幹細胞)の歴史は意外に古く、Martin Evansによって報告されたのは1981年のことである。ちなみにEvansは、自分の名前を入れ込んだ「EK細胞」という名称を提唱したが、これは流行らず、Gail MartinによるES細胞という名が定着した。
ES細胞は、トランスジェニックマウスとノックアウトマウスという重要な研究手法を生み出した。ノックアウトマウスの技術の確立により、EvansはMario Capecci、Oliver Smithesとともに2007年のノーベル生理学・医学賞を受賞している。

笹井さんの研究は、非常に面白い。
1994年に、chordinという体軸決定に重要な遺伝子を発見。脳の発生の問題にシフトしてからは、シャーレの中でES細胞から視床下部(2008年)、大脳皮質(2008年)、脳下垂体(2011年)、そして網膜(2011年、2012年)を作ることに成功した。「ブレイン・メーカー」として、Nature特集が組まれるほどであった。
それほどの知性を持ちながら、なぜ笹井さんは死ななければならなかったのか。なぜ、STAP細胞の嘘を見抜けなかったのか。謎としか言いようがない。この点については、著者の次回作『研究不正』(仮)に期待することにしよう。

でも、笹井さんの遺志(?)は多くの研究者に受け継がれ、今日ではシャーレの中に様々な臓器を作ることが可能になってきた。それらの研究には、多くの日本人が関わっている。今や、精子と卵子でさえ、シャーレの中で作り出せるようになったのだ。(16/01/23読了 16/02/19更新)

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