一号線を北上せよ 沢木耕太郎 講談社新書 ★★★★☆
26歳のときに深夜特急に揺られてユーラシア大陸を横断した著者も50代のオジサンになり、もはや当時の瑞々しさはない。(でも実は、『深夜特急』を書いたのは、旅から10年後だという。)
ベトナムには旅行会社が山ほどあり、ホーチミン〜ハノイを結ぶツーリスト用バスのチケットを格安で買うことができる。途中何箇所かで自由に下車しながら、ベトナムを北上あるいは南下するという縦走コースはバックパッカーの定番の一つで、ものすごくディープな旅というわけではない。
だが本書は、年齢を重ねてきた旅人だからこその箴言が満載されており、いちいち深く首肯してしまうのだ。
曰く、
・・・バイクタクシーに四回乗り、バスに五回乗って、ただ振り出しに戻っただけだったのだ。なんと馬鹿らしいのだろう。しかし、これが旅なのだ。少なくとも、これが私の旅なのだ。私は小さく声を上げて笑い出した。
<若いうちは若者らしく、年をとったら年寄りらしくせよ>
ペルシャの逸話集、『カーブース・ナーメ』(Qabus nameh, کاووس نامه یا قابوس نامه)の一節だという。
バックパックを背負い、格安のバスに乗り、時には現地の人と醜く言い争いをしながら、まるで経済的な旅をするだけが目的のように、眉間に皺を寄せるようにして旅を続ける欧米の年配バックパッカー。それよりも、ツアコンに冗談を言いながら、団体旅行に身を委ねる関西人のおばちゃんのほうがいいなぁと思う。
また曰く──
旅をしていると大事なことがわかってくる。寒いときは温かいお茶が一杯飲めればいい。おなかがすいているときはおむすびのひとつ、フォーの一杯が食べられればいい。生きることに必要なものはほんのわずかなのだということがわかってくる。
旅から帰ると誰もがすぐにそのことを忘れてしまう。だが、それはそれでいいのだ。旅先で覚えたその痛切な思いは、決して消え去ることはない。私たちの体のどこかに眠っていて、必要な時に呼び覚まされることになるはずなのだ。
(18/01/18読了 18/02/25更新)