イースター島を行く 野村哲也 中公新書 ★★★★★
素晴らしい!
イースター島と言えばモアイ、モアイと言えばイースター島。そんなことは誰でも知っている。しかし、現在のイースター島に、これほど豊かな文化が息づいているとはついぞ知らなかった。
とにかく写真が美しい。モアイと皆既日蝕のコラボなんて、奇跡ではないか。
イースター島(ラパ・ヌイ島)は、台湾から出発して地球上に拡散していったオーストロネシア語族の東の果てである。ハワイ・ニュージーランド・イースター島を結ぶポリネシア・トライアングルの中で、唯一のスペイン語圏なのではないだろうか。
それにしても、最寄りの有人島である、イギリス領のピトケアン島まで2000kmも離れているというから、イースター島の孤立っぷりは群を抜いている。
本書によれば、イースター島にポリネシア人が到達したのは西暦600〜900年頃という。それから、1722年にオランダ人に「発見」されるまで千年ほどの間、イースター島は孤立していたのだろうか。それとも、他の島に住むポリネシア人と交流があったのだろうか。
小豆島ほどの大きさのこの島が世界のすべて・・・というのは、いくら古代人とはいえ、一体どんな気分なのだろう?
実はイースター島には、千体ものモアイが眠っているという。だが、直立したモアイは45体しかない。それらは、20世紀になってから再建されたものだ。倒れていたモアイを起こして、台座の上に載せたのである。
すべてのモアイは、18世紀の部族間の抗争、「モアイ倒し戦争」によって倒されてしまったのだ。
地球上のあらゆる島々と同じように、イースター島の歴史も哀しい。
1862年、ペルーからやってきた奴隷狩りの連中が島民を誘拐し、グアノを採取するための奴隷としてペルーに送り込んだ。そのとき、ロンゴ・ロンゴ文字を読める知識人も捉えられ、それまで連綿と受け継がれてきた島の伝統は滅んだ。
わずかに生き残った者は島に送還されたものの、彼らが持ち帰った天然痘や結核がまたたく間に島民に伝染。かつて1万人以上いた島民は、111人にまで激減してしまったという。
また、島でもっとも崇拝されていたモアイは、イギリス海軍が勝手に持ち帰り、現在は大英博物館に展示されている。一刻も早く返還すべきだ。
本書で印象的なのが、島の祭り、タパティ祭りである。これは新しく作られた「伝統」なのかもしれないが、我々が日本の伝統文化だと思っているものだって、戦後か、せいぜい明治期にできたものだったりする。
なにより、若者が楽しそうに参加しているのに希望を感じる。ラパ・ヌイ語もなんとか継承されているようだ。(ただし、古代ラパ・ヌイ語は奴隷化されたときに失われ、現代ラパ・ヌイ語はタヒチ島に移住させられた島民が使っていたタヒチ語ピジンを基にしているらしい。)
イースター島は、各頂点に山が配置された直角二等辺三角形のような形状をしている(地図)。個人的には、この「ラパ・ヌイ三山」──中央に聳える最高峰・テレバカ山(Terevaka, 507m)、プアカティキ山(Puakatike, 370m)、そしてラノ・カウ山(Rano Kau, 324m)──を踏破しに行きたいのだ。(20/04/14読了 20/04/21更新)