読書日記 2023年

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物語 ウクライナの歴史 ★★★★☆ 黒川祐次 中公新書

ロシアによるウクライナ侵略のあと、この戦争について解説した本が雨後の筍のように出版されたが、ウクライナという国の文化や歴史について正面から取りあげた本はあまりない。その中で、本書は2002年という早い時期に出版された、ウクライナ通史の決定版といえる本である。非常に内容が濃く、情報量が多い。
ウクライナは地政学的に重要であり、「ヨーロッパの穀倉地帯」と呼ばれるように、土地が肥沃である。そのため、ウクライナの歴史は、周囲の大国に翻弄され続ける苦難の歴史だった。

スラブ民族の歴史は新しい。ようやく文献に現れるのは6世紀になってからである。
東スラブ(ロシア、ウクライナ、ベラルーシ)人の起源は、「キエフ・ルーシ」にある。ルーシとはスカンジナビアから来たヴァイキングで、それがのちに、土着のスラブ人と同化したものだという。
キエフ・ルーシは、その名の示す通り、キエフを都とした。キエフ・ルーシはいわゆる「タタールのくびき」によって滅亡したが、その分家であるモスクワ公国は生き延びた。だから、ロシア人に言わせると、キエフ・ルーシはロシアの発祥の国である(そもそも、「ルーシ」が「ロシア」の語源になっている)。
しかし、ウクライナ人に言わせれば、ウクライナこそがキエフ・ルーシの正当な後継者なのだ。

モンゴルが去ったあと、ウクライナはリトアニア、次いでポーランドに支配される。
ウクライナ人は基本的に農民だが、ポーランド人貴族による搾取によって農奴に転落させられた。そのため、本来豊かであるはずのウクライナは、発展が阻害され続けた。
ウクライナ戦争に対してヨーロッパ各国間で温度差があるのは、国ごとに異なる微妙な歴史的問題をひきずっているからだろう。
また、カトリックであるポーランドの支配下において、カトリックと正教の折衷版のような「ユニエイト」が生まれた。これは、ウクライナ人のアイデンティティーの一つになっている。

もう一つ、ウクライナを特徴づけるものとして、「コサック」がある。
コサックとは「出自を問わない自治的な武装集団」のことで、特定の民族集団を指すのではない。
ロシアが原発を占拠したことで有名になったザポロージェ(ザポリージャ)は、コサックの築いた町である。一時的とはいえ、17世紀にはザポロージェにコサックの独立国家が樹立されたこともある。
しかし、コサック国家はやがて、強大化していくロシアに併合されてしまう。

その後ウクライナは、8割をロシア帝国に、2割をオーストリア帝国に分割統治され、東西で異なる運命をたどることになる。
20世紀のウクライナの歴史はあまりに悲惨すぎ、読むのもつらい。スターリンによって何百万人もの餓死者が出、独ソ戦の主戦場にもなった。
ソ連は第二次世界大戦で勝利したことによって、ポーランド、ルーマニア、ハンガリーの領土だった西ウクライナを手に入れた。こうして、ソ連内部において、4カ国に分割されていたウクライナ人居住域は一つにまとめられた。
そして、悲願だったウクライナの独立は、ソ連の自滅という形であっけなく実現した。
したがって、現在のウクライナが広大な国土をもつに至ったのは、「ソ連のおかげ」という側面もある。(しかも、フルシチョフがクリミア半島をロシアからウクライナにすげ替えた。)

 やっとのことで手に入れた独立は、流血をともなわず、平和裏に行われたものであった。このことはまことに喜ばしいが、他方「棚ぼた」的なところもあった。……しかし全体的に見れば、ソ連が自ら崩壊していくことに便乗した面が強い。したがって……建国の英雄も生まれなかったし……独立運動を象徴するような人物もいない。また旧体制の中枢にいた者たちが独立派にやすやすと転向したため、旧体制がそのまま独立国家に移行し、看板だけ替わって中身はほとんど変わらない状態となった。これが、何世紀にもわたってウクライナ民族の夢であった独立がやっと達成されたにもかかわらず、「目出度さも中くらい」な独立になった理由であろうかと思われる。

それにしても、ロシアがキエフ・ルーシの後継者を自認するなら、なぜ美しいキエフの街を破壊しようなどという蛮行に走ったのだろう。ロシアのウクライナ侵略は、やっぱり理解できない。(23/09/30読了 23/12/15更新)

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