読書日記 2024年

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伝説のアーケードゲームを支えた技術 ★★★★☆ 松浦健一郎・司ゆき 技術評論社

アーケードゲームの黄金期―本書第2部の時代―に、その進化をリアルタイムで体験することができたのは幸運だった。
本書は、ここに登場するゲームを実際にやったことがなければ全く訳がわからないであろう、なかなかニッチな本である。

「ブロック崩し」を初めて見た時の衝撃は忘れられない。近所の駄菓子屋の前に置いてあって、1回20円、ブラウン管の画面は白黒だった。
発表は1976年という。この筐体は、今や骨董的な価値がありそうだ。
「サーカス」(1977年)というゲームもよく覚えている。

だが、ゲーム史上もっともエポックメーキングだったのは、1978年の「スペースインベーダー」だろう。
インベーダーの数が減ると動きが速くなり、次第に難易度が上がっていく。これは、処理能力の制約上、1フレームに1体のインベーダーしか動かせないからだった。つまり、描写速度の遅さを逆手に取って、あのような絶妙なゲームバランスを実現していたのだ。

1979年に登場した「ギャラクシアン」において、はじめて「スプライト」(sprite)という技術が使われた。スプライトとは、画面を飛び回る「妖精」である。
ギャラクシアン → ギャラガ(1981年)→ ギャプラス(1984年)という進化は、主としてスプライト機能の強化によるものだった。

それからナムコは、立て続けに伝説的な名品を世に送り出した。わずか5年ほどの間にこれほど劇的な進化を遂げたのは、実に驚異的である。
とりわけ、1983年に発表された「ゼビウス」は衝撃だった。
ファミコン版ゼビウスでは、アンドアジェネシスが出現すると背景のスクロールが止まるのがとてつもなくダサかった。これも、ファミコンではスプライト機能が足りないため、タイルマップを使って(背景として)アンドアジェネシスを表現せざるを得ない、という制約によるものだったのだ。

「どんどん良くなる 夢しかなかった あの時代を 匠の技術で振り返る ビデオゲーム年代記」というキャッチフレーズもなんか良い。
口絵として、実際のゲーム画面のカラー写真が欲しかったところだ。著作権的に難しかったのだろうか…。(24/11/09読了 24/11/11更新)

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