田部井淳子のホームページ)。('03.9.14)
日本への往復の飛行機の中で読んだ。格調高いが、難解な漢字が多用されているため、機内で読むと疲れる。登場人物の名前もなかなか覚えられない。鑒真の渡日という、教科書的な地味な史実を、普昭、栄叡、戒融、玄朗という4人の留学僧の生き様を通して描き出した。奈良朝のこの時代に、大陸に渡ることがいかに困難だったか、鮮明なイメージを伴って理解される(但しそれは、当時の日本は新羅と仲が悪かったため、東シナ海を横断する危険な航路をとらざるを得なかったという多分に政治的な理由による)。そういえば、唐招提寺って修学旅行で行ったっけ・・・。('03.9.10)
23人の研究者が語る<知の人生>への旅立ち。文科系の研究者が大部分で、私にとっては新鮮だった。こういう本の善し悪しは編集部による人選が全てだが、トンデモ系の人も少々含まれてはいるものの、これは全体として良く出来上がっていると思う。文科系の学者というと万巻の書を読むというイメージがあるけど、外に出て実体験を積むことの方がもっと大切なんだということを改めて教えてくれる。学問とは世界を理解しようとする営みだから、全てはそこから始まるのだ。特に印象に残ったのは、松田素二、町田宗鳳の二氏だろうか。('03.8.21)
月がどのようにしてできたか、幻の放射線・N線、燃料や時計の歴史などなど、これぞ雑学という感じでオモシロイ。各章はたわいもないお喋りから始まっていて、ついつい引き込まれてしまう。何気ないようで、この構成の巧みさは流石にベテランである。久美沙織氏による「あとがき」は明らかに蛇足で、かなりバカっぽい。('03.8.14)
「新潮文庫の100冊」って、つい買ってしまう(1年前に買ったんだが)。最後の「ジーキル博士の陳述書」を読むとイマイチ釈然としない気分になるのだが、これは誰もがもつ悪の部分をひたすらに隠蔽し、偽善的に生きることすらを美徳とする哀しいイギリス人の文学なのだということを鑑みれば納得がいく。('03.7.29)
対談集で、楽しく読んだが、まぁ一度は聞いたことのあるような話だから。『街道を行く 砂鉄のみち』に書いてあったことだが、日本が非欧米の中で唯一早い時期に近代化に成功したということ、著者の言葉を借りれば、「アジア的停滞」を免れ得たということ──は、日本に鉄器がふんだんにあったから、もっといえば、気候が湿潤なために、砂鉄から鉄を作り出すことができるほどの森林の復元力があったからだ、という<司馬史観>は学問的に真剣に検討されてもいいように思う。我々日本人などというけれど、先住民族は琉球やアイヌの人たちで、我々のルーツは多くの場合むしろ朝鮮半島にあるんじゃないのかね。何かもうちょっと仲良くできないもんだろうか。('03.7.26)
翻訳がひどくて日本語が支離滅裂。この本の意図は、物語と統計の間、つまり所謂「理系」と「文系」の間に橋を架けることにあるらしい。しかし<物語>というのは文化に深く根ざしているわけで、この場合それはアメリカ文化であり、我々にとっては本書の<物語>の部分はそもそも分かり易いものではない。こういう本を敢えて翻訳しようと試みるならばそれは非常に文学的でなければならないが、これはまるで自動翻訳機が訳したみたいな文章だ。原著 "Once upon a number" は割といい本みたいなだけに残念。こんなのが2400円もするというのはボッタクリだね(ちなみに原著は12ドル)。('03.7.16)
老練な作家によるやけに渋い作品が並ぶ中、表題になった'98年版ベスト・オブ・ベスト・エッセイは小学生の作文。無数にある出版物の中から、毎年どうやってここに掲載する作品を選んでいるんだろう。('03.6.26)
面白い企画だと思う。語るに足りない人生なんてないんだから、誰にとっても人生が一番面白いのだ。安易といえばそうかもしれないけど、学生をタダで使って人海戦術で多数のサンプルを集めて来るという芸当は、立花隆にしかできなかったことなのだろう。
年齢順に並んでいるのも良い。特に最初の方の、原爆被爆者の話だけでも読む価値はある。全体としては玉石混淆で、後半に行くにつれてダレてくるのだが、それは単に若いからというだけでなく時代が豊かになったからか。
前日居酒屋で飲み潰れて先輩の下宿に収納され、澱んだ意識の中で迎えたのが私の二十歳の誕生日だった。「二十歳のころ」は、不思議な感傷を伴って想い出される。15歳の誕生日も25歳の誕生日も一向に覚えていないところを見ると、少々こじつけに思えたこのテーマも、やっぱり意味があるのかも。('03.6.18)
久々に寝不足にさせてくれる本に出会った。逐一辞書を引きながら読み進めていくのは根気の要る作業だった。日本語の10倍くらい(3週間)時間がかかったが、反芻しながら読んでいったので却って深く脳裡に刻み込まれた。英語の小説を読む気は毛頭ないけど、こういうのなら何とか読み通せることが判明した。
素数にとりつかれた数学者たちの生き様を通して、ユークリッドからRSA暗号、量子カオスといった現代的な話題まで、非常に幅広く高度な内容を含んでいる。背後には広大かつ深遠なる世界が広がっていることを窺わせる。ラマヌジャンによる分割数の公式など、ツボを押さえて数式が多少出てくるところがますます私の好奇心を刺激した。
それでは、題名の「素数の音楽」とは一体なんだろうか?その解説はこちら。
なるほど数学は学問の王様であり、中でも数論は "Queen of Methematics" と呼ばれる所以である。私もこの本のお陰ですっかり数の世界にobsessされてしまい、amazonで衝動的に関連書を10冊ほど買い込んでしまった。それにしても、こういう一般向けの科学書はアメリカの方が圧倒的に質が高いね。日本語に翻訳されている本が意外に少ないということが分かったし、日本人による自前のものとなるともっとお寒い状況で、「図解・・・」とか「サルでも分かる・・・」とか銘打ってあるだけで中身はスカスカ、ちっとも興奮が伝わってこないようなものばっかり。日本には科学ジャーナリストという職業は存在しないけど、この本も大学教授(しかも若い!)が書いた訳だし。日本でこういう本が生まれないのは、大学のシステムのせいだろうか・・・。若者の科学離れとか言われるけど、ウ〜ン確かに由々しき事態かもしれない。
こういうのが良質の翻訳で読めたらシアワセなんだけどなぁ。『エレガントな宇宙』や『複雑系』がベスト・セラーになるようなお国柄だから、きっと売れると思うんだけど、なんなら私が翻訳しましょうか?('03.6.15)
最初の「数学」の章を読んだときには、「シマッタ、このシリーズを5冊も買ってしまった」と思わせるものがあったが、全体としては結構面白かった。高校の理科に毛が生えた程度の内容で、難しくはない。しかし、数学・物理学・化学・生物学・天文学と幅広い領域をバランスよくカバーしているので、知識の穴を塞ぐのには良い。なるほど著者の博識ぶりを伺わせる。
この本が書かれたのは1964年で、あとがきには「さすがに少々内容が古いのはいなめません」と書いてあるが(しかもこのあとがき自体が1985年に書かれたのだが)、決してそんなことはない。非常に基礎的で、歴史的な記述が大部分なため、現在でも充分読む価値がある。その中で唯一、とっても古くなってしまったのは、最も普遍的であるはずの「数学」の章である。それはコンピューターが発達したことによる。アシモフは、途轍もなく大きな数として、当時知られていた最大の素数、211213-1(3375桁の数)を挙げている。しかし現在知られている最大の素数は、2001年12月に発見された
213,466,917-1なのだ!これは4,053,946桁である(400万ケタですぜ!)。ちなみに、ここには知られている大きな素数のトップ5000がリストアップされている。世の中にはマニアックなサイトがあるものだ。
ただ何となく、著者がアメリカ中心の世界観にどっぷりと浸かっているように思われたのだが、むしろその点において時代を感じさせるのだった。('03.5.20)
まことにこの、湯川秀樹・朝永振一郎・小平邦彦というトリオは偉大である。こういう素朴な大学者は、今の日本にはもういないのだろう。ノーベル賞・フィールズ賞受賞者の顔ぶれを見ても、人類はだんだんと小粒になってきているような気がする。この3人は同じ時期にアメリカにいて、小平邦彦が渡米した年(1949年)の冬に湯川秀樹がノーベル賞を取ったから、このとき既に湯川秀樹はビッグ・ネームだったのだろうけど、実際のところ小平邦彦と朝永振一郎は同じ船でアメリカに渡り、同じアパートに暮らしていたのだった。
この本の中で一番傑作なのは「プリンストンだより」である。これは著者が妻に宛てた手紙なので、感じたことを包み隠さず書いてあるのだが、メシがマズイとさかんに文句を言っているのが面白い。敗戦直後の食うや食わずの状態からやって来てこの有様なのだから、やっぱりアメリカのメシはよほどマズイのだ!彼は英語がからきしダメで、「プリンストンだより」のはじめの方はまるで頼りなくて微笑ましくさえあるのだが、1年以内に重要な発見を次々として結局18年間もアメリカに滞在してしまったあたり、やはり偉大な人は違うのだ。
著者が渡米したときは既に34歳だったから、数学者としては遅咲きである。といっても20代のときには時代がそれを許さなかった。その頃日本はいわば鎖国状態だったから、数学の研究は「全国紙上数学談話会」というガリ版刷りの日本語の雑誌に発表されたという。戦後、著者の知り合いの知り合いである進駐軍のアメリカ人に論文を託したところ、ワイルという大数学者の目にとまって、プリンストン高級研究所に招聘されることになったのだった。その頃のプリンストンにはアインシュタイン、ゲーデル、フォン・ノイマンがいたというから、まことに歴史的である。戦時中の日本はそんな状況であったにもかかわらず、「全国紙上数学談話会」は高度の研究を含んでいて、戦後5年経っても知られていない内容もあったというから不思議なものだ。
それから、この本には数学教育に対する批判も書かかれている。面白いのは、いつの時代でも「近頃の大学生の学力低下は目に余るものがある」などと言われていることだ。ということは、日本人は年々バカになってきているということだが、まぁ実際そうかもしれない。それはともかく、小学校低学年においては国語と算数、つまり読み書きそろばんだけを徹底的にやり、理科や社会は高学年になってから始めればよいという著者の提言には賛成である。
もう一つ、人類と科学技術の関わりについて述べた部分もある。「人類は科学・技術には優れていて、一番下手なのは政治」というのもこういう人が言うと説得力がある。著者は、核の抑止力によって辛うじて平和が保たれている現状を指して「このように不気味で奇怪な世界をつくってしまったわれわれ現代の大人には、21世紀をになう子供たちにメッセージを送る資格はない」と誠実に言う。そう言いつつも、「ただ子供たちが21世紀の世界の政治機構を、もう少し理性的なものに改めるように努力することを望むのみである」というメッセージを送ったのだったが、残念ながらその希望は実現にはほど遠いようだ。('03.5.1)
この本は著者が30歳前後のときに書かれたものなのだが、この人、本業が小説家の割にはあんまり文章が巧くない。若い。メッチェンだのKoitusだの、まるで昔の一高生みたいだ(実際そうだったのだが)。
「あとがき」には、「深田さんは小説家として大成せず、登山家として大成された」と冗談めかして書いてある。でも登山家といっても、ヒマラヤの8000m峰に登頂するでもなく、グランドジョラス北壁を登攀するでもなく、およそプロフェッショナルなことは何もしていない。単に山が好きで、日本の山に隈無く登っただけである。そうして、茅ヶ岳登山中に急逝された。なんだかとっても羨ましい。こんな幸福な人生ってないんじゃないかという気がしてくる。
大正15年頃の八甲田山や朝日連峰はさぞかし秘境だったのだろう。その10年後(つまり昭和10年頃)に当時を回顧して、近年は開発によって山が俗化されてしまったことを嘆いているのが面白い。
『日本百名山』は、つくづく名著だと思う。その良さは、自分で山に登るようになるとジワジワと分かってくる。嗚呼、山に登りたいよう。望郷の念は増すばかり也。('03.4.27)
この国は、本当に希望がないなと思う。いや、アメリカに限らず、今や世界中どこを探したって希望なんてありはしないのだ。私は、疲れた。
考えたってどうにもならないときは、考えるのを止めることだ。だから、こいつを読んでやった(嗚呼しかし、ファインマン氏は原爆をつくった人だった!)。
保存則、対称性といった物理学ではお馴染みの、昔懐かしいお話と、ノーベル賞受賞講演が収められている。クォークが発見される以前、もう40年近くも前のお話だが、なんだかホッとする。('03.4.2)
司馬遼太郎は相変わらず面白い。小次郎との対決のくだりは息もつかせぬ展開で、一気に読ませられてしまう。隠れた名作かも。('03.3.14)
この本はすごい。これだけ詳しく、一般向けに超ひも(弦)理論を解説した本はない。時空は10次元(M理論によると11次元)で、残りの6次元はカラビ=ヤウ多様体としてコンパクト化されているとかいう話は何度も聞いたけど、いつも話はそこまでだった。この本からは、何とか一般の人に分かり易くイメージしてもらおうという著者の熱意が伝わってくる。現役の研究者として超ひも理論に多大な貢献をしていながら、この若さで、これだけジャーナリスティックな本が書けるというのは、相当に多才な人物と見た。一般に、この二つの能力は両立しないような気がするけどなぁ。まるで、この著者自体が超ひも理論みたいな存在だ(ホメすぎか?)。
一般相対性理論と量子力学は両立しない。そこで登場するのが、自然界の4つの力を統一するこの超ひも(弦)理論だ。恥ずかしながら、私も昔はこいつをやってやろうと思っていたものだった。だけど、4つの力はおろか、電磁気力と弱い力さえ統一できずに、つまりワインバーグ=サラム理論にすら到達する前に挫折してしまった…。以来意図的に物理学の発展から目を背けてきたので、いつしかスタンダード・モデルは古典になってしまったし、「第二次超ひも理論革命」なんてのがあったことも知らなかった。だけど今は、この業界に足を踏み入れなくてつくづく良かったと思っている。こんな連中と張り合ったって勝てる訳がない。('03.3.10)
様々な人生の位相を自在に飛び回るのがジャーナリズムの醍醐味だとしたら、これは確かに秀逸なルポルタージュだろう。「事実は小説よりも奇なり」と思わせるようなケースもあったが、全体としては結構フツーだった。娘を持つ身となった今、これは他人事ではない・・・。('03.2.28)
・「妻」と刺身の「ツマ」は同じことばで、端に添えられているものという意味である(しかしこの話にはオチがあるので、ここでムッと来た人は本書を読んでください)。
・「考える」は「か」(場所を表す、すみかの「か」)+「向き」+「合う」から来ている。
・「書く」は基本的な動詞のようだが、無文字社会には存在しない。実は、これは「掻く」と同じことばである。
こういう語源の話というのは妙に説得力があって面白い。英語では雑学的に良く聞くのだが、恥ずかしながらこと日本語に関しては今まで考えたこともなかった。親戚のたくさんいる英語に対し、日本語は孤立語なので、語源研究にはハンデがあるのだろうか。こうして見ると日本語は実に素朴な言語である。
日本語を遡っていくと、必然的に話は日本語の起源に行き着く。しかし、あとから付け足したと思われるこの日本語ータミル語同起源説のくだりになると、どうしても胡散臭さを禁じ得ない(ちなみに、「カレー」はタミル語だそうだ)。この説の信憑性は本書からは判断しかねるけれども、タミル人と日本人はどう転んでも似ていないのに、言語だけ起源が同じなんてことがあり得るのだろうか。ところで、タミル語を母語とする人に聞いてみたところ、なんと彼はタミル語と日本語の類似性を知っていた(!)ので、この説はタミル人の間では案外有名なのかも知れない。('03.2.23)
なんのかんのと叩かれても、やっぱり立花隆の本は面白い。インタビュー形式で科学の諸分野を横断的に紹介するのは彼の独壇場だろう。ニュートリノ物理学(小柴さんがノーベル賞を取った奴だ)、性転換、環境ホルモンという案配で、こういう話を自力で聞こうと思ってもなかなかできることではない。ちなみに遺伝研の堀田所長も登場する。科学者は自分の仕事に忙しくて、一般向けに分かり易く説明するところにまで手が回らないので、こういう人は必要なのだ。願うらくは、妙な思想は介入させずに、彼にはジャーナリズムに徹して欲しい。('03.2.9)
敢えて異国の地で、地球の反対側にある印度に思いを巡らすのも悪くはあるまい(この辺にはインド人がたくさんいるので、実は日本にいるときよりもインドは身近な国である)。著者は1956年にインドに行った。『何でも見てやろう』の2年前だが、それとはだいぶ異なっていて、こちらはあくまでも外部の視点から見た思索的な紀行文である。
「何でも見てやろう」でも書いたが、この本に書かれていることの多くは現在にも通用する普遍性をもっている。昔も今も、我々にとってインドは西欧なんかよりずっと「謎」なのだろう。日本は貧しかった、という。しかしこの時代に既に、日本はアジアの中では圧倒的に豊かな国だったのだ。もっとも、インドのこの貧困は、200年以上にわたる英国の犯罪的な搾取がもたらしたものだ。英国は、インドにおいて搾取以外の如何なることもしなかった。
やはり、インドには一度行ってみなければならない。「何でも見てやろう」みたいな、あるいは『深夜特急』みたいな旅はもうできそうもないが、こういう旅なら今でも、いや今だからこそできるはずだ。('03.2.2)
この人の著作は賛否両論分かれるところである。特に進化生物学者には頗る評判が悪いらしい。実際読んでみると、まずこの人は文章が巧い。とにかく面白いし、科学的な記述も(その解釈はともかくとして)正確なように思える。そんなに目クジラを立てるほどのこともないんじゃないか、と最初は思った。しかし、レイプがBCだとか、人種間でナニの大きさを比較するとかいう話になると、ちょっと暴走気味という気がしてくる。
BC(Biologically Correct)というのはPC(Politically Correct)に対して著者が作った造語である。PCというのは、chairmanをchairperson、black peopleをAfrican Americansと言い換えたりする例のアレである。こういうのは言葉狩りみたいな側面があって、敢えてこの風潮に逆らって挑発的で毒のあることを書こうとする著者の意図が見える。しかし、「文化人類学が問題にする“未開”部族などは、進化の袋小路に迷い込んだような人々で人間社会の主流からははずれている」なんてことを平気で書くのは(これは他人の説を引用した部分だが、その後で著者は諸手を挙げて賛成している)流石に無神経すぎるというものだ。
一つ前の本(「進化論という考え方」)では、竹内久美子の著作は「センス・オヴ・ワンダー基準」に合格しない、つまり科学の成果に対する謙虚さが足りないと批判している。その通りだと思う。('03.1.31)
「あとがき」には、「この本は、(中略)進化論でワクワクしようと思って書いたものだ」とあるけれども、正直言ってあんまりワクワクしなかったなぁ。皮肉にも、著者が本書で主張している「物語」がイマイチ見えてこなかった。科学的な内容についての説明が表面的になってしまうのは「新書」の宿命かもしれないけど、そもそもこういう学問分野(科学哲学?)というのは、他人の説を羅列するばかりでそれ自体としては何ら新しいものを生み出していない、という気が残念ながらしてしまう。
ただし、巻末のブックガイドは非常に有用。なら最初からそれを読めばいいのかも・・・。('03.1.25)
実に痛快な紀行文だ。美術館から共同便所まで、何でも見てやろうという精神は気に入った。「ひとつ、アメリカへ行ってやろう、と私は思った」という有名な書き出しで始まるのだが、ロクに英語も話せないのに、「まあなんとかなるやろ」という言葉通りにフルブライト留学生の試験を見事にパスする。破天荒な留学生活を終えた後は海を渡ってヨーロッパで貧乏旅行を続けるが、彼は行く先々で現地の女の子とデイトをするのだ。こうでなくちゃイカン。まぁそうはいっても、中近東に入る頃から旅は次第に陰鬱なものになり、インドでドン底を迎えることになるのだが。えらくポップな文体だが、最近の安っぽい放浪記と違って、底には思想が流れている。
著者が旅に出たのは1958年だった。1958年といえば敗戦からわずか13年しか経っていないわけで、その時間が平成が始まってから現在に至るまでよりもっと短いことを思えば、当時の日本において戦争の記憶がまだいかに生々しいものだったかが想像できるだろう。新幹線もないし東京オリンピックも開催されていなかったし、「ポテトチップ」が如何なるものか彼はわざわざ読者に説明しなければならなかったし、蛇口をひねれば熱いお湯がふんだんに出てくるという点においてアメリカは豊かだと素直に思うことができた、そういう時代だった。この本の凄いところは、そうであるにも拘わらず、今読んでもほとんど違和感がないということだ。当時のアメリカでは「ビート」とかいうよく分からないものが流行っていたらしいし、南部に行けば「白人用」「黒人用」の区別があったし、イランのイスラム革命もまだ起こっていなかった。しかし、やっぱりその時からアメリカ資本主義は行き詰まっていると思われていたし、日本はむしろアジアよりも西欧に親和性があると思われていたし、インドは貧困にあえいでいた。つまり、世界は意外に変わっていないのではないか。あるいはこの40余年の間に一番変わったのは日本だったのかもしれない。この本にはほとんど日本のことが出てこないから、現代でも通用する気がするのだろう。
この本がやはり歴史的であることに気付かされたのは、蛇足とも言える最後の「再訪」を読んだときだった。著者が再び各国を訪れた理由は、ベトナム反戦運動を広めるためだったのである。著者の現在が気になってインターネットで調べてみたところ(便利な世の中になったものだ)、今もイラク空爆に反対する市民運動などを続けているようである(小田実のホームページ)。放浪する人など、現代日本には掃いて捨てるほどいるだろう。が、放浪後のこの方向性がまさに──現代との最大の違いなのかもしれない。 ('03.1.24)
私は英語という言語そのものには一つも魅力を感じないのだが、実際に英語圏で暮らすようになって、少しは思うところがある。心の中にぼんやりとあったものが、この本を読んで少しはっきりしてきたような気がする。我が意を得たりと思った部分が8割、そうかなァと思ったところが2割といった感じだろうか。
「これからは国際化社会だから、英語がますます重要になる」とよく言われる。しかし実は、これは反対である!むしろ日本における英語の必要性は減少していると言ってもいい。それは何故かというと、日本語のパワーが相対的に向上したからだ。実際のところ、日本に住んで普通に生活している分には、英語など一言も喋れなくても、また全く読めなくても、一向に困らないだろう。我々は、大学に至るまでの全ての情報を日本語で手に入れることができるという、極めて恵まれた特殊な環境にいるのだ。むしろ日本語は強大すぎる言語であり、周辺の小言語を侵略してきたという事実を忘れるべきではない。
著者曰く、日本は有史以来、古くは中国、明治以降は西欧、戦後はアメリカという具合に、その時々の最も進んだ国の文化を柔軟に取り入れるのために熱心に外国語を勉強してきた。しかるに今や日本は超大国となり、もはやその必要はなくなった。であるから、読解に重点を置いた「手段言語」として英語を勉強する姿勢を捨て、これからは「交流言語」として情報を発信するための英語を身につけるべきだと主張する。そのためには、むしろ日本式英語を確立すべきで、この点は全く賛成である。要するに発音なんてどうでもよろしい。むしろ日本式発音の方が味があっていいと私は確信している。
それはともかく、著者は、いまこそ日本は恩返しをすべき時で、日本文化を(特に欧米に)発信するために英語を学ぶ必要があるのだと説く。しかしそれは余りにもお人好しと言うべきで、日本の文化を学びたければ、我々が今までそうしてきたように、彼らが日本語を勉強するのがスジというものだろう。もちろん情報発信の重要性は充分に承知しているが、だからといって日本人全員が英語を喋れるようになる必要は全くない(実際、著者も英語は義務教育から外すべきだと言っている)。「あとがき」で引用されている藤原正彦氏のエッセイがいみじくも述べているように、流暢な英語を喋れることよりも、日本の文化や伝統に精通していることの方が、国際交流にとってはずっと重要なのだ。全くそう思う。
さて、筆者は「手段言語」としての英語の役割はもう終わったと言うけれど、しかし私の業界(科学の世界)では全くそうではない。科学論文は100%英語で書かれることになっているのだ。それで私は、論文を読んだり書いたりするためには、常に槍玉にあげられる日本の英語教育もそんなに悪くはなかったんじゃないかと思うのだ。受験英語も暗号解読みたいで面白かったし、個人的には、自分が受けてきた英語教育に対してそんなに恨みはない。もちろん英語を喋ることに関しては、もっと早くから始める機会を与えられれば良かったとは思うけれど。
やっぱりイマドキの若者は、著者が心配するほど欧米に対する憧れも劣等感もないんだと思う。それからこの本の題名は、編集者が売れるように付けたのだろうが、あまり内容を表していない。('03.1.17)
これはひどい。この本がトンデモ本であることは予想できたので、まぁ間違い探しをしながら読むのも少しは楽しいかと思ったのだが、想像を絶する支離滅裂ぶりだった。自然科学に対する理解のいい加減さもさることながら、この人の文章には知性というものが感じられないし、不快でさえある。('03.1.6)
私の疑問は、「言語の普遍的な理論は存在し得るか?」ということだった。言語について語るとき、常にある特定の言語(大抵は、その学者の母語であるヨーロッパの言語)から出発しなければならない以上、それは普遍的ではありえない。つまり、チョムスキーはたとえばニューギニアやオーストラリア先住民の言語を知っていたかということである。
その答えはNoである。この本によれば、チョムスキーは言語の多様性なんてものにはハナから興味がなくて、人類という種が共通してもっている「深層構造」なるものの存在をア・プリオリに仮定したのというのである。実際これはチョムスキー批判の書であって、彼のやったことは、構造主義や記述主義のような近代言語学が長い時間をかけて否定してきたヨーロッパ至上主義的な規範主義を、デカルトやらフンボルトといった古色蒼然とした思想のツギハギによって復活させたに過ぎないというのだ。
ではチョムスキー理論など取るに足らないものなのかというと、それはこの本からは判断しかねる。この本の主題は思想史におけるチョムスキーの位置付けにあって、この手の本にありがちなもってまわった衒学的な言い回しはなく、平易な日本語で書かれている点は大いに評価できる。しかし私が知りたいのは、このチョムスキー理論なるものによってどんな新たな知見が得られるのかということなのに、残念ながら肝心の理論の中身についてはほとんど触れられていないのだ。従って、この理論について全くの素人である私が最初に読む本としてはこれは全く相応しくないものだったし、「チョムスキー」という題名も一般的すぎて宜しくない。
果たして「普遍文法」なるものは存在するのだろうか?「空を飛ぶ」というときの「飛ぶ」が自動詞だと思ってしまうのは英語帝国主義に毒されているだけで、自動詞と他動詞の区別なんていうのは普遍的ではないのかもしれない。しかしそれでもなお、地球上に存在する言語というのは結構似ているというのが私の印象で、いかなる言語であれその語る内容は「主体が客体に対して何かをする」というパターンに収まると思う。
現代の言語学では、チョムスキー理論はどのように位置付けられているのだろう。こんなの今どき流行らなくて、そんなことより絶滅しかかっている幾多の言語を記載することの方が遙かに重要だと思うのだが。そういえば、私がまだ受験生だった頃、「変形生成文法」に基づいた英語の夏期講習があったっけ。チョムスキーなんて勿論知らなかった当時の私は、「ナンジャコリャ」と思いつつ結局受講しなかったけど、英語学とかいう極めて特殊(かつ醜悪)な一言語を対象とする学問の中ではこの理論は今でも生き続けているのかも知れない(が、そんなものには興味はない)。('03.1.4)
タイムズ・スクウェアでカウント・ダウンを待っているときに読み始めた。ただ薄くて軽い文庫本をニューヨークに持って行ったに過ぎないのだが、久しぶりに灰谷作品を読むことになった。
今はどうしているのか知らないが(沖縄かな?)、淡路島の農村で、日々自然やいのちと交歓しながら自給自足の生活を営んでいる筆者が純粋に羨ましいと思った。それに引き替え近頃の自分ときたら、すっかり堕落してしまった。「優しさ」なんて、もうどこかに置き忘れて来ちゃったよ。
それにしても、読書量が順調に単調減少しているのは頂けない。これからまた灰谷作品にはまりたくても、そうはいかないのがアメリカ暮らしの辛いところ。せいぜい今年は、大量に空輸しておいた本を端から読み潰していくことにしよう。('03.1.2)