視覚世界の謎に迫る 山口真美 講談社ブルーバックス ★★☆☆☆
生まれつき目の見えない人が、ある日突然視力を手に入れたら、世界はどう見えるだろうか?
先天性の白内障(水晶体が混濁して、網膜に光が届かなくなる病気)や角膜の疾患によって生後早期に失明しても、のちに水晶体を摘出して人工的なレンズを装着したり、角膜移植などの手術を受けることによって、視力を取り戻すことができる。現在では、そのような手術は乳児の時に行われるが、開眼(かいげん)手術が普及し出した1960年代には、成人してからの手術も多かった。
そのような先天盲開眼者の驚くべき視覚体験が、『視知覚の形成 I, II』(鳥居修晃・望月登志子、培風館)という本に詳細に記録されている。
開眼者は、手術後、眼帯を取ってすぐに健常者と同じように見えるわけではない。開眼直後の視覚体験は、「まぶしい」という感覚だけであったり、せいぜい色が見えるだけである。形は見えない。医師は、「手術は成功した。これからはできるだけ眼を使いなさい」と言う。そう言われても、どう使ったら良いのか見当もつかないのだという。
視覚障害者は、手で触れることのできる触覚世界に頼って生きている。従って、開眼者にとっては、遠くのものが見える、という事実自体が驚きである。
立体や奥行きの知覚は難しい。ある対象を視点を変えてみると、そのものの形が変わって見える。目の前に立方体があるとする。手で触ってみれば、それが立方体であることはすぐに分かる。しかし、それを視覚だけで判断しようしたときには、どこにもないはずの菱形が突如として現れ、開眼者はひどく戸惑ってしまう。
遠くのものが小さく見えるというのも、理解しがたいことである。開眼者の寺部喜美代さんは、次のように述べている。
ずーっと遠方を見ていると、同じ道でも──同じ幅の道でも遠くに行くほど細く見えていく、そういうことが私にとっては本当に驚きでした。というのは、ある写真を先生に見ていただいた時に、「これは何ですか?」と聞かれて、私は先の方が尖っているように見えたので、最初は「山です」って答えました。しかし先生は答えは絶対におっしゃいませんので「あーそうですか」という感じで、その場はそれで終わりました。
このような状態がしばらく続き、ある日道を先生方と一緒に歩いていて線路のところを渡り、踏切のところで「ちょっとここに立ってごらんなさい」と言われました。私はじっと見ていましたら、急に以前に実験で見た写真のことが頭の中に“わっ”と浮かんできて、「あー、これはあの時の写真と同じじゃないですか?では、あの写真は線路の写真だったのですか!?」って答えたんです。それでそれまで先の方へ行く──線路というものは、私の頭の中では平行線で、どこまで行っても同じ幅でズーッと続いているんだとばかり思っていたのですが、実際に見ると、やはり先の方が細く見えることをこの時初めて発見したのです。このようなことは夢にも考えなかったことなので、その時初めて“あーこれ、こういうことがわかるのが見えるということなのか”と気づき、“見える”ということがこの時、おぼろげにわかったような気がしました。
「陰影」も、触覚の世界では決して遭遇しないものだ。外を歩いていて、地面に長く延びている木や電柱の影を、開眼者は何か障害物があると思って立ち止まってしまう。
このように、眼球が正常に機能していても、経験を積まないと、ものは見えるようにならないのである。つまり、この世界を見ているのは脳なのだ。
著者は、そんな開眼者の視覚体験に衝撃を受け、赤ちゃんの視覚世界を研究する道に入った。形や空間や動きの認識は、誰もが意識せずに、苦もなく行っていることであり、その難しさは、失って初めて気付かされる類のものである。我々がそういう能力を持っている以上、赤ちゃんが徐々に視覚機能を発達させていくのは当然であり、開眼者の視覚体験に比べれば、本書の内容はどうしても霞んでしまう。また、乳児が、二つの図形を区別できるかできないかをどうやって判定しているのか、その実験手法の説明が欲しかった。(10/02/10読了)