ノーベル賞の100年 馬場錬成 中公新書 ★★★☆☆
ノーベル賞受賞者の業績から、20世紀の科学史を鳥瞰しようとする試みには、類書がたくさんある。本書は、自然科学三賞を同時に扱いつつ、コンパクトにまとめている点が新しいかもしれない。とはいえ、物理学賞と医学・生理学賞がメインであり、化学賞に関する記述は少ない。
ノーベル賞は20世紀の幕開けとともに始まった。そして、その20世紀は物理学の時代であった。量子力学は、1895年のレントゲン(Wilhelm Röntgen)によるX線の発見、そして1896年のベクレル(Henri Becquerel)による放射線の発見がその端緒となった。この両者はそれぞれ1901年と1903年にノーベル物理学賞を受賞しているから、ノーベル物理学賞の歴史をひもとくことは、そのまま新しい物理学の流れを追うことになる。新しい物理学の勃興が、20世紀の始まりとノーベル賞の始まりの両方と軌を一にしていることは、ただの偶然なのであるが、それにしても奇妙なまでの符合である。
科学史におけるもう一つの符号は、20世紀の後半と分子生物学のリンクである。20世紀後半以降のほとんどすべてのノーベル医学・生理学賞は、分子生物学的な研究に与えられている。だから、この賞が「ノーベル生物学賞」でなく、医学・生理学賞であることをほとんど忘れそうになる。けれども、20世紀前半のそれは、まさに医学・生理学賞だった。20世紀の前半と後半で、生物学は断絶しているのである。
20世紀初頭のノーベル医学・生理学賞の多くは、細菌ハンターに与えられている。本書で面白かったのは、ノーベル賞受賞者の候補リストに何度も挙げられながら、惜しくも受賞を逃した、4人の日本人の話である。
1人目は、破傷風菌の純粋培養に成功し、その毒素を取り出して血清療法を生み出した北里柴三郎である。記念すべき第1回目のノーベル医学・生理学賞は、北里の共同研究者であったフォン・ベーリング(Emil von Behring)に贈られた。しかし、その業績「ジフテリアの血清療法の研究」は実際には北里と共同で行われたものであり、しかも受賞の決め手となった論文の実験は、大半が北里によるものだった。さらに、血清療法そのものに最初に成功したのも北里だった。
2人目は、野口英世である。野口は、梅毒の病原菌であるスピロヘータを発見した。他にも、ポリオ、黄熱病、狂犬病などの病原菌を発見したと発表するが、それらはすべて誤りだった。というのも、それらの病気はウイルスによって引き起こされるからである。野口は第一次大戦の勃発により受賞できず、その後自らが黄熱病に罹患して亡くなってしまった。ただし、もし野口が受賞していたら、間違いに与えられたノーベル賞として後世に名を残すことになっていたかもしれない。
3人目は、その名を知る者はほとんどいないように思われるが、山極勝三郎である。彼は、ウサギの耳にコールタールを塗って人工的に癌を発生させることに成功した。ところが、山極の発見の2年前に、フィビゲル(Johannes Fibiger)が線虫によってマウスに胃癌を誘発したと発表し、1926年のノーベル医学・生理学賞はフィビゲルに贈られることになった。けれども、実はフィビゲルの発見は誤りであったことが後に明らかになった。最初に人工的に癌を引き起こすことに成功したのは、山極勝三郎だったのだ。これは、「ノーベル賞三大過誤」の1つに数えられている。残る2つのうちの1つは、ロボトミー手術の考案によって1949年に医学・生理学賞を受賞したモニス(Egas Moniz)だと思うが、もう1つは不明である(佐藤栄作?)。
4人目は、ビタミンの発見者である鈴木梅太郎である。しかし、ビタミン発見という業績によって1929年ノーベル医学・生理学賞の栄誉に輝いたのは、エイクマン(Christiaan Eijkman)とホプキンズ(Frederick Hopkins)だった。鈴木がなぜ受賞できなかったのかは、よく分からない。けれども、米糠によって脚気が治るという鈴木の発見は、鈴木が東大農学部出身であるという理由によって、東大医学部から猛反発を受けていた。東大医学部陣営は、脚気は伝染病であるとする誤った学説を支持していたのである。そのため、東大医学部が鈴木の受賞を妨害したのだという黒い噂がある。(12/05/16読了)