日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土 孫崎享 ちくま新書 ★★★★★
現在の地球上には、解決すべき多くの問題がある。ちっぽけな無人島がどの国に帰属するかということは、人類にとってそんなに重要な問題なのだろうか?
その答えは、多くの人にとってはイエスであるらしい。領土問題はなぜか狭隘なナショナリズムを煽り、しばしば戦争へと発展する。中国・ソ連国境のウスリー川に、長さ1700m、幅500mの珍宝島という島がある。別に資源があるわけでもない。1969年、この島を巡って中ソの間で軍事衝突が起き、双方に数十名の死者を出した。その後数年間にわたり、両国は軍事的に激しく対峙することになる。1980年から8年間続いたイラン・イラク戦争も、両国の国境をなすシャトルアラブ川の帰属を巡って起きた。
元外交官である著者は、イラン・イラク戦争のときにイラクに駐在していた。防衛大学校の教授も務めている。
今日の日本は、竹島・尖閣・北方領土という領土問題を抱え、三面楚歌の状態にある。この難しい局面にどう対処していくかということは、人によって様々な考えがあるだろう。けれども、多くの日本人は議論の前提として、竹島・尖閣・北方領土は「日本固有の領土」であることを漠然と信じている。しかし本当にそう言い切れるだろうか?それがマスメディアによる洗脳である可能性はないだろうか?本書を読んでみれば、我々の領土問題に対する認識がかなり偏ったものであることに気付かされるだろう。
竹島は、日本領であることを示す史料と、韓国領であることを示す史料の双方がある。しかし、米国の公的機関である地名委員会の見解によれば、竹島(リアンクール島)は韓国領である。竹島に関する米国政府の見解は、時代によって揺れ動いている。ポツダム宣言では、竹島は日本の領土から除外されている。しかし1951年には、ラスク長官は韓国大使に対して「我々への情報によれば独島は朝鮮の一部と扱われたことは一度もなく、1905年以降島根県隠岐島司の所管にある」と述べるに到る。その後、韓国の外交当局や学者の働きかけによって、米国の見解は再び韓国領へと変わった。韓国側の提示する史料のほうが説得力があるとみなされたのである。
尖閣はどうか。「尖閣諸島に関してはそもそも領有権の問題は存在しないのだから、国内法で粛々と対処すべし」という主張がある。しかし、米国の公式見解によれば、尖閣は日本領ではない。その帰属は「係争中」である。
尖閣諸島は現在、日本が実効支配している。日本は、日清戦争に勝利した1895年に、尖閣諸島を沖縄県の一部として併合した。一方、本書によれば、歴史的に尖閣諸島が台湾に帰属することを示す文献は数多くある。(もっとも、中国政府の見解では尖閣諸島は台湾省の一部であり、対中関係も絡んでくるので話は非常にややこしい。)
にもかかわらず、中国がこれまで日本の実効支配を黙認してきたのは、日中国交正常化(1972年)および日中平和友好条約(1978年)の際に、周恩来・鄧小平が尖閣問題を棚上げしたからである。なぜ中国側が譲歩したかというと、当時は中国に比べて日本の経済力が圧倒的に強かったからだ。中国は小異を克服して大同を求めることにしたのだ。
尖閣諸島周辺を巡っては、紛争を避けるため、日中漁業協定が締結されている。にもかかわらず日本の法律で裁くとなれば、それは将来、中国が「国内法で粛々と対応する」事態への道を開くことになる。両国がその方針を取れば、それは武力紛争へと繋がる可能性がある。
北方領土はどうだろうか?本書によれば、北方領土は日本領ではない。なぜなら、ポツダム宣言において、北方領土は日本の主権の及ぶ範囲に含まれていないからである。また、サンフランシスコ平和条約でも、日本は千島列島の全権利を放棄している。それではなぜ、北方領土問題が生じたのか?それは、日ソが親密になることを嫌った米国が、両国の対立を煽ろうとしたからだ。1956年の日ソ国交回復交渉の席上において、「歯舞・色丹の即時返還」という日本側からしてみれば願ってもみない好条件で領土問題が終結しそうになった。しかし、米国がそれを妨害したのである。
第二次大戦の敗戦によって、ドイツは国土の多くを失った。九州・四国・中国を合わせたよりも広い地域をポーランドに割譲し、アルザス・ロレーヌ地方はフランス領となった。戦後のドイツは、日本よりも遥かに厳しい道に立たされたのである。しかしドイツの選択した道は、一切の国土の返還を求めない(棚上げする)ことであった。戦後初のドイツ首相であったアデナウアーは次のように述べている。
私はドイツの西の諸国家が(将来のドイツの脅威について)心配を抱いていることを知っていた。過去100年の経験がこれら諸国に与える懸念を私は完全に理解し承認した。1945年のヨーロッパ政治勢力分布状況(注:ドイツは国家として存在しない状況であった)を指摘してこれら諸国を宥めようとしても無駄だと私は考えた。
私が取り組んだのはドイツをも加えた欧州合衆国という問題だった。将来の欧州合衆国の中にこそドイツの西の諸隣国が望む最善かつ最も永続性のある安全保障があるというのが私の考えだった。
欧州諸国民の共同体が再現され、各国民が欧州の経済、文化、思想、制度に対して各自の、余人をもっては代え難いような公権を果たす場合にのみ、統一ヨーロッパの誕生であることは私には明らかであった。
アデナウアーの構想は現実のものとなり、もはや独仏が戦争をする可能性はゼロになった。それに対して、「東アジア共同体」への道は遥かに遠い。(12/08/19読了 13/02/10更新)