読書日記 2013年

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頭のでき リチャード・E・ニスベット ダイヤモンド社 ★★★★☆

『頭のでき』とは随分といやらしいタイトルだが、著者が本書で主張したいことは、タイトルから受ける印象とは裏腹に、「勉強すれば賢くなれる」ということだ(英語の原題は "Intelligenece and how to Get It")。そんなの当たり前じゃないか、と思うかもしれないが、本書が想定する読者であるアメリカ人にとっては、必ずしもそうではないらしい。

その背景として、まず、アメリカには人種差別という根深い問題がある。おしなべて言うと、黒人は白人よりも学校の成績が悪い。法律上は人種差別はなくなったとしても、黒人の子供たちは、黒人は白人よりも劣ると無意識に考えているという。黒人の若者の間には、「どうせ努力しても報われない」という気分が蔓延している。そのような風潮に反対し、学校での勉強の大切さを説くことが、本書の第一の目的である。

もう一つの背景として、"The Bell Curve" という物議を醸した書物の存在がある。"The Bell Curve" は、端的に言えば、「黒人のIQが低いのは生得的(遺伝的)なものだ」という、吐き気を催すような主張を展開しているらしい。"The Bell Curve" に科学的に反論することが、本書の第二の目的である。

本書で議論していることは、次の2点である。
1.IQは遺伝する。(前提)
では、IQはどの程度遺伝するのだろうか?
→ 主張:IQの遺伝率は、巷で言われているほど高くはない。
2.人種によってIQに差がある。特に、黒人のIQの平均は白人よりも低い。(前提)
なぜそのような差が生じるのだろうか?黒人と白人のIQの違いは、どの程度遺伝子に起因しているのか?
→ 主張:すべて環境の違いで説明できる。「黒人は白人よりもIQが低い」ということは、「黒人は白人よりも貧しい」ということを言い換えたに過ぎない。
全体として、本書の主張は大いに納得できるものである。

狩猟採集民族のように強烈な淘汰圧が働いている集団のほうが、先進国でノウノウと生きている連中よりも平均的に見れば知能が高そうなので(知能が低ければ生きていけない)、IQという指標は何かがおかしいのだ。
IQは、持って生まれた「地頭の良さ」を表していると思われているかもしれないが、それは大いなる誤解である。その考えが間違っていることは、「フリン効果」(Flynn effect)に端的に表れている。IQは、世代を経るごとにウナギ登りにどんどん上昇しているのである。さらに皮肉なことに、レーベン漸進性マトリクスのような、文化に依存しないと信じられているテストほど、上昇率が大きいのだ!反対に、語彙力や、知識を問う問題では伸びはそれほどでもない。
つまり、IQは文化にどっぷりと浸かっているのである。確かに、環境が比較的均一な集団に対しては、IQは学習効果の予測する上で有用な指標だろう。けれども、環境の非常に異なる集団間でIQの比較をすることは、そもそもナンセンスなのかもしれないのだ。

世界で最もIQの高い地域は、東アジア、つまり日本・韓国・中国である。これに関して著者は、「木を見る西洋人 森を見る東洋人」的なステレオタイプな東洋対西洋論を展開している。東アジア人のIQが高いのは、努力することの大切さを知っているからだ、と言うのだ。日本・韓国・中国の三者を「儒教文化圏」として同一視するのは、我々としてはツッコミを入れたくなるところだが、非常にざっくりと言えばそういうことなのかもしれない。

2番目の命題の真偽は、1番目の命題には依存しないことに注意しよう。たとえIQの遺伝率が非常に高かったとしても、同一の環境下においては、人種間のIQの差はないかもしれないのだ。とはいえ、黒人の優れた身体能力が生得的であることは、なんとなく誰もが認めている。脳だって生理的な器官なのだから、人種によってIQに遺伝的な差がある可能性を完全に否定することはできない。
白人と黒人では住んでいる環境があまりにも違うので、遺伝と環境の影響を切り離して比較することはそもそも不可能であり、結局のところ、本当のことは決して分からない。これは、原発が安全かどうかというのと同じ類の、科学というよりは政治の問題なのかもしれない。

1番目の命題に関しては第2章で議論されているが、ここは非常に分かりにくい。というのも、おそらく翻訳者が正確に理解していないようなのである。本書で「遺伝性」と言っているのは、「遺伝率」(heritability)の間違いであろう。きちんとした定義のある学術用語をいい加減に訳出すると、意味が通じなくなるので困る。

著者のいうところの「強い遺伝論者」の研究によれば、IQの遺伝率は85~90%にも及ぶという。この数値を見れば、IQはほとんど遺伝子だけで決まっているかのような印象を受けるだろう。しかし、遺伝率というのは「集団全体の変異に対する遺伝子の相違による変異の割合」のことなので、全体の変異が少ない集団について調べれば、遺伝子による変異が過大評価されることになる。極端な話、実験室で飼われているマウスのように、全ての人が完全に同じ環境で暮らしている集団を考えれば、IQの違いを生み出すのは100%遺伝子だけということになる。

「強い遺伝論者」たちは、同じ家庭で育てられた一卵性双生児同士のIQの相関と、養子に出されて別々の家庭で育てられた一卵性双生児同士のIQの相関を比較する。そして、両者の差を見ることで、環境の寄与と遺伝子の寄与を分離しようとする。しかし、養子に出された一卵性双生児は、実は似たような環境で育つことになる。養子を取るような家庭は裕福だろうし、教育に対しても肯定的だろうと考えられるからだ。
環境からの寄与を見積もるためには、本当は、育てられる家庭はランダムに選ばれなければならないのである。そのような効果を考慮すれば、人類全体では、IQの遺伝率は50%程度だろうと著者は推定している。ただし、それでもなお、IQはかなりの程度遺伝するということもまた事実である。(13/06/15読了 13/12/18更新)

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