イスラーム国の衝撃 池内恵 文春新書 ★★★★☆
「イスラーム国」による日本人人質事件の直後に、雨後の筍のように大量に緊急出版された「イスラーム国新書」の一つで、たぶんこれが一番よく売れている。この短時間に、よくこれだけものをまとめられるものだと思う。
本書は、世界を震撼させた「イスラーム国」出現の意味を、イスラム思想史と国際政治という二つの切り口から読み解いている。
イスラム思想史的に見れば、「イスラーム国」の主張は何ら新奇な点はないのだという。だからこそ、過激思想に走る人たちを磁力のように惹きつけるのだろう。
新規性と言えば、インターネットを駆使したメディア戦略の巧みさであるが、この辺の議論は、人質事件の際にマスコミでさかんに喧伝されていたものである。
しかし、実際に過激思想に走る人は全体から見ればごく少数だとしても、過激思想を適切に反駁する論法も尽きている、というのは由々しき問題だと思う。
第二の国際政治的な視点からの説明は、勉強になった。
「イスラーム国」出現の意味を理解するためには、まず中東の歴史を知らなければならないが、錯綜していて極めて分かりにくい。
1919年、第一次大戦で英仏を中心とした連合国に敗北したオスマン帝国は、解体・分割され、植民地支配の屈辱を受けることになる。ここから百年に及ぶイスラム受難の歴史が始まるのだ。このときに、英仏露の秘密の話し合いによって勝手に決められたのが「サイクス=ピコ協定」であり、中東地域の国境が不自然に直線的に引かれているのはこのせいである。
のちに、トルコは首尾よく再独立を成し遂げたが、英仏に分割統治されたアラブ人は、単一の国家にまとまることができなかった。もっと悲惨なのがクルド人で、三千万人もの人口を擁しながら、トルコ・シリア・イラン・イラクに分割され、いずれの国においても少数民族にさせられてしまった。
直接的な原因としては、911に続く米国のアフガニスタン・イラク空爆がある。旧フセイン政権のバアス党員の多くが「イスラーム国」に取り込まれたことは、周知の通りである。2003年の米国によるイラク空爆は世界中から非難された(日本政府は支持した)が、10年経って「だから言わんこっちゃない」という事態になったのである。
しかしもう一つの大きな要因は、2010年末に起きたチュニジアでの反政府デモに端を発する「アラブの春」であった。日本はこの頃、東日本大震災に見舞われていたためそれどころではなかったのだが、中東では知らないうちに革命が起きていた。独裁政権が倒され、民主的な国家が誕生したことは歓迎されるべきことのように思われるが、その混乱によって生じた権力の空白地帯に出現したのが「イスラーム国」だったのだ。
つまり、これまでは、独裁政権の強権的な恐怖支配によって過激派の伸張が抑え込まれてきたというのだ。これは全く希望の湧かない話だ。
国際政治というのは相手が沢山いて、非常に複雑である。物理学でいうところの「多体問題」なのだ。しかし、複雑な国際情勢を「ゲームの理論」的に分析する作業は面白いのだが、実際に行われていることは人殺しである。
現在の地球上には、あまりにも多くの紛争地帯があって感覚が麻痺してしまうのだが、そこに住む普通の人たちがどういう生活を送っているか、ということに思いを馳せてみることを忘れてはならない。そのために後藤さんのような勇気あるジャーナリストがいてくれたのだが、日本政府が見捨てたことによって、それも叶わなくなりつつある。
21世紀になって、人類は賢くなるどころか、ますます戦争に明け暮れている。もう当分、中東地域は安定化しそうにない。去年の夏にモロッコに行っておいてよかった。(15/03/26読了 15/03/28更新)