読書日記 2016年

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百人一首の謎を解く 草野隆 新潮新書 ★★★★☆

これまであまり深く考えたことはなかったが、よく知られているはずの百人一首には、実は謎が多い。例えば、

ちはやぶる神代も聞かず龍田川から紅に水くくるとは

という在原業平の歌がある。この歌は百人一首に入っているからこそ有名だが、ただ紅葉が川面を埋める景を詠んだだけの「駄作」なのだという。それよりも、『伊勢物語』の中の有名な説話で知られた歌々のほうが、業平の代表作としてふさわしい。
このように百人一首は、その歌人の代表作が選ばれているわけではなく、秀歌撰としては疑問があるというのだ。

また、歌人たちに<和歌の祖>として知られている

浪速津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花

のような神話時代の歌も含まれていない。(ちなみにこれは、競技かるたで序歌として最初に読まれる歌である。)
他にも、不幸な歌人の歌が多い、高僧の歌がない、経文や仏法を歌った釈経の歌がない、めでたい歌(賀歌)がない、「よみ人しらず」の歌がない、など、百人一首の撰歌はかなり偏っている。

それはなぜだろうか?本書は、これまでに指摘されてこなかった仮説を織り交ぜつつその謎に迫っていくという、さながらミステリーのような構成になっている。

百人一首は藤原定家が選んだもの、というのは常識である。ところが、そもそもそこからして正しくないらしいのだ。
実は、「百人秀歌」という、百人一首とよく似ているが、数首が入れ替わっており、歌の配列がかなり異なる歌集が存在する。ここには、切りのよい百首ではなく、百一首が収められている。この百人秀歌が「発見」されたのは戦後間もなくの1951年であり、江戸時代の歌人たちはその存在を知らなかった。
本書によれば、定家の手になるのはこの百人秀歌のほうである。これは、宇都宮氏の武人にして僧侶でもあった蓮生(れんしょう)なる人物が、定家に依頼して選んでもらったものだという。
この百人秀歌には、定家による様々な仕掛けが施されている。つまり、百人秀歌のほうが完成度が高く、百人一首ではその仕掛けが破壊されているのだ。
百人秀歌は、嵯峨にある蓮生の山荘の襖に飾られたもので、浄土教の世界観に基づいて現世の苦しみを表したものというが・・・あまり書くとネタバレになるので、この辺でやめておこう。

それにしても、鎌倉時代初期(1235年ごろ)に編まれた百人一首が、800年近い歳月を経て、今なおあらゆる世代に広く知られているというのは実に驚くべきことである。「競技かるた」の歴史も古く、公式ルールが定められたのは1904年(明治37年)にまで遡る。江戸時代から川柳に歌われ、庶民の間に流布していたという。
このような現象は、世界的に見ても他に例がないではないだろうか。(16/03/17読了 16/04/11更新)

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