読書日記 2016年

Home > 読書日記 > 2016年

人を殺すとはどういうことか 美達大和 新潮文庫 ★★★☆☆

著者は、2人の人間を殺害した殺人犯であり、「LB級」刑務所で20年以上服役している無期懲役囚。LB級刑務所は全国に5ヶ所しかなく、罪の重い長期の受刑者のみを収容する施設である。

著者の人となりは、まことに興味深い。最初に、殺人事件を起こすに至るまでの半生が書かれているが、こんな漫画みたいな人物が実在するのかと思えるような破天荒ぶりなのだ。もっとも、ここに書かれていることが全部事実なのかどうかは確かめようがないのだが。

少年時代の著者は、極端に知能が高く、運動能力もずば抜けていた。
父親は、地元では有名な暴力金融のパイオニアで、傷害事件で前科20犯くらいある凶暴な人。約束を履行しなかった者に対しては容赦なく暴力をふるい、その暴力シーンを息子に見せつけた。耳がちぎれる音も聞いたという。
韓国から単身やって来た父親は、ジャパニーズドリームを実現して財を成した成金だった。小学校への送り迎えは、専属運転手付きのキャデラック。プレスのきいたズボンにピカピカの革靴で登校したという。
一方の母親は、お茶や生け花、長唄などのお稽古ごとに忙しく、育児はお手伝いさんに任せっきり。ネグレクトである。そしてあるとき、息子を捨てて失踪した。
ヤケになった父親は、仕事もせずに愛人宅に入り浸るようになる。困窮した彼は、小学生ながら自らの才覚でビジネスまがいのことを行い、ピンチを切り抜けた。
高校を中退して営業の仕事に就くと、たちまち全国一になり、同世代の50倍も稼ぎ出した。21歳で金融業を始め、年収は億単位。仕事は続けながら、ヤクザの世界に身を置いたこともある。

一体なぜ、これほどの高い知能を持ちながら、そして守るべき家族や地位もありながら、殺人を犯したのか。著者にとっては、約束を履行することがなによりも大切であり、法を守ることは二の次だった。自分こそが法なのだ。
しかし何より、他人への共感性が完全に欠如していた。一緒に殺害を行った舎弟が震え上がるほどに、まるでロボットのように、事務的に殺人を実行したという。
犯罪心理学者にしてみれば天然記念物のような、この極端に歪んだ著者の性格は、いわば父親の「作品」である。せめて、母親がもう少し守ってやることはできなかったのか。

その後、肉親を失う悲しみを自らが体験することを経て、殺人が良くないという認識にようやく思い至った。反省した著者は、本書の中でしばしば「贖罪」を口にする。
けれども、父親に対する神のような賞賛、盲目的・絶対的な服従は変わるところがない。
父親の呪縛から逃れ、その洗脳から解かれないことには、決して「贖罪」にはならないのではないか。

著者はまた、半数が殺人犯という、筋金入りのワルたちが跋扈するLB級刑務所の住民たちをつぶさに観察し、自分のことは棚に上げて、批判を交えつつその生態を記述している。ヤクザの受刑者たちを礼賛するような記述も散見される。

「美達大和」というのはペンネームであり、本名は不詳である。著者の起こした事件はマスコミで大きく報道されたらしいから、当時の新聞記事があるはずなのだが、ネットでは信憑性のある情報は得られなかった。
あまり根拠のないネット情報によれば、殺害されたのは2人とも女性であるらしい。なんとなく男であることを前提に読んでいたが、確かに、本書にはどこにも「男」とは書かれていない。それが女性だとすると、著者に対する印象もだいぶ変わってくるのではないか。

著者は、獄中から、特定の編集者に直接原稿を送りつけることによって、本書を世に出すことに成功する。その後、何冊もの本を出版してる。驚くべきことに、最近はブログで情報発信まで行っている。
本書は、光の届かない<監獄の最奥>から発信されたという点で、非常に興味深い、稀有の書であることは間違いない。しかしどうも、全篇を貫く違和感を拭い去ることができなかった。(16/06/23読了 16/11/06更新)

前へ   読書日記 2016年   次へ

Copyright 2016 Yoshihito Niimura All Rights Reserved.