読書日記 2016年

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イスラームとの講和 内藤正典・中田考 集英社新書 ★★★★☆

本書が問うているのは、世界をイスラームの側から眺めてみたらどのように見えるか?ということである。
我々の世界に対する接し方は、欧米に著しくバイアスがかかっている。たとえ著者の主張に賛成できない部分があったとしても、学ぶところは大いにあると思う。

2010年12月にチュニジアで始まった民主化運動、いわゆる「アラブの春」は、2011年4月にシリアに飛び火すると、それを弾圧しようとするアサド政権と反政府組織との間で泥沼の内戦へと突入した。5年間で人口の約半分、1000万人が住む家を奪われ、数百万人が難民として国外に脱出したという未曾有の事態に陥っている。
その混乱に乗じて、イラクのマリキ政権に対するスンナ派の反発を取り込みながらできあがったのが、イスラーム史上最悪の病理、イスラーム国(IS)である。
ISの残虐性ばかりが強調されるが、シリア国民を桁外れに多く殺害しているのは自国の政府軍と、それを支援して空爆を続けるロシア軍である。なにしろアサド政権は、自国民の頭上に無差別に「樽爆弾」を落としてしまう。シリア市民の殺害件数は、ISの1900人に対して、シリア政府軍は18万人、100倍である。恐るべき人道の危機である。

難民の大部分は、隣国トルコ(260万人)とヨルダン(110万人)にいる。一方、合わせて100万人ほどがすでにヨーロッパに入っているが、そこではイスラーム・フォビアの嵐が吹き荒れ、彼らに安住の地はない。
厄介なのは、これはイスラム教とキリスト教という、二つの宗教の対立ではないということだ。そうではなく、イスラームと世俗主義の衝突なのだ。世俗主義とは、「公共の場に神はいてはいけない」という原理である。
そのため、厳しい世俗主義を貫くフランスは、とりわけイスラームに対して敵対的である。<Liberté, Égalité, Fraternité>は「自由・平等・博愛」と訳されるが、Fraternitéは、人類に対する愛ではなく、「同胞愛」という意味である。つまり、身も心もフランスに差し出して同化した人に対してのみ、自由と平等が保証されるのだ。スカーフを法律で禁止して、罰金刑まで科しているのはフランスだけである。
そのような背景の中で、2015年11月にパリ同時多発テロが起き、130人もの死者が出た。そのときにフェイスブックがフランス国旗で覆われたは、ゾッとする光景であった。フランス国歌、ラ・マルセイエーズ La Marseillaise からして、「畑の畝が敵の血で満たされるまで」というまことに血なまぐさい歌詞である。
リベラルで寛容な国、オランダでさえ、LGBT(性的マイノリティー)には優しいが、イスラームに対しては反感と暴力をもって対してる。
居場所を奪われた難民たちの中から、ほんの0.1%でもISに同調する者が出てくれば、何千人ものテロリストが誕生することになるのだ。

現在の中東の国境線は、ヨーロッパが勝手に引いたものである。1648年のウエストファリア条約を源流とする「領域国民国家システム」は、本質的にイスラームとは相容れないのだ。西欧とイスラームは水と油、どこまで行っても交わることはない。
西欧の価値観は人類にとって普遍的なものではなく、ローカルな一文明に過ぎない。そのことを自覚し、価値観の押しつけをやめて、ゆるやかに共存する道を探っていかなければならない。そのためには、西欧に妥協してもらって、イスラーム法の講和規定に基づき、西欧とイスラーム世界との間で講和を図るしかない。

その場合、講和条約を結ぶべき主体が誰なのか、という問題が出てくる。
シーア派のイランは、イラク、シリアからレバノンのヒズブッラーに至るシーア派ベルトの構築に成功しつつある。だからシーア派はイランで良いだろうが、スンナ派には主体がない。
多数派のスンナ派は、シーア派の台頭に神経を尖らせている。サウジアラビアはイランと国交を断絶してしまったが、現在、サウド家の政権は完全に危険な状態にある。アラブの心臓部にあるエジプトも危うい。そこで鍵になってくるのは、エルドアン政権のトルコである。
愉快な話がある。シリア難民問題について話し合うためにドイツのメルケル首相がトルコに赴いたのだが、まんまとエルドアンの術中にはまり、金色の玉座に座らされてしまった。それはあたかも、オスマン帝国のスルタンの元に頼み事をしに行くヨーロッパの勅使のような図であったという。
エルドアンはイスラーム主義者として逸材で、トルコでは現在、イスタンブールにイスラーム学者が集結してきており、オスマン帝国の共通語であったオスマン語の教育も再開したとのことである。
イスラーム世界とヨーロッパとの架け橋であるトルコのエルドアンこそが、カリフに相応しいという。トルコにも問題はあるだろうが、現在の国家システムの枠組みの中でカリフ制を再興させようとするのは現実的な案かもしれない。(16/07/04読了 16/11/21更新)

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