サハラ砂漠 塩の道をゆく 片平考 集英社新書 ★★★★☆
果てしないサハラ砂漠をゆく、ラクダのキャラバン──。
百年も前の話ではない。あらゆる物資がラクダの背で運ばれた時代は終わったけれども、21世紀の現在でも、ラクダが唯一の輸送手段であるものがある。岩塩だ。
かつて、黒人国家であるマリ帝国やソンガイ帝国が繁栄した時代、「黄金の都」トンブクトゥは、金や象牙、奴隷などの交易で栄華を極めた。
そこから北へ750km、サハラ砂漠の最奥部に、タウデニ鉱山はある。かつては奴隷や囚人が送り込まれて岩塩を掘り出す強制労働に従事させられ、現在でも一攫千金を夢見る訳ありの男たちだけが住む、なんの潤いもない干からびた町。タウデニには塩辛い水しかなく、ここに長く住むと死んでしまうという。
灼熱の砂漠で、その岩塩を命を賭して運ぶのが、アザライだ。
2003年、著者はアザライへの同行を許され、42日間かけて、トンブクトゥからタウデニまで往復1500キロの道のりを旅する。
このときは外国人もタウデニに行くことができたが、治安が良かったのは一瞬だけだ。その後、このエリアに外国人は立ち入れなくなってしまったから、これは貴重な記録である。
著者はこのウルトラディープな旅の途中で還暦を迎えたというから、恐るべき体力だ。
トンブクトゥとタウデニは、現在のマリ共和国の北部にある。
サハラ砂漠の南側は、「ブラックアフリカ」というくらいだから、黒人の世界だと思っていた。でもそこは、ベルベル系トゥアレグ人の住む世界なのだ。
国家を持たないトゥアレグ人はしばしば武装蜂起し、2012年、マリ北部は「アザワド」として独立宣言を行った。いわゆる「未承認国家」である。
アル・カイーダ系の武装集団も流入。この地域にはマリ政府の統治が及んでおらず、現在もレベル4の退避勧告が出されている。
ベルベル系トゥアレグ人とアラブ系ベラビッシュ人の長年にわたる確執など、興味深い話も多かった。
でも個人的には、あまり魅力的な旅には思えない。環境の過酷さは言うまでもないが、異教徒がノコノコと出掛けて行ったところで、すんなり受け入れてもらえるような世界ではではなさそうだ。
著者は、旅の終わりに岩塩のバーを購入し、その3分の2を特大スーツケースに詰めて持って帰ってきたそうだ。その実物は、たばこと塩の博物館で見ることができるらしい。(17/07/26読了 17/10/11更新)